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東京新聞  2018年3月4日    評者:中村信也
本の花束  2012年7月号    「〈いま〉を考える」欄
京都新聞  2011年3月18日    「私論公論」    文:池田浩士(京都精華大学客員教授)
反天皇制運動モンスター  2010年12月    「紹介」    評者:桜井大子
毎日新聞    2010年9月19日    「今週の本棚」
反改憲運動通信No.9    2010年9月15日    評者:梶川凉子
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東京新聞  2018年3月4日    評者:中村信也

象徴として生きる

平昌冬季五輪では、日本を象徴する日の丸が揚がり、君が代が流れた。旗や歌ではなく、生身の人間が象徴を務めているのが象徴天皇制だ。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と憲法第一条にある。どんな意味? 本書は孫二人がおじいちゃんと天皇制について語り合う形式で疑問を解く。「一年中の休日が天皇まみれ」と孫が言っても、怒らないで。難しいテーマなんだから。

おじいちゃんは、たとえば作家・詩人中野重治の論をかみ砕く。戦後、天皇は神から人間になったが、職業も自由に選べない。そこで中野は、人権を認めない天皇制から天皇を開放すべきだと考えた。でなければ、軍人や官僚はじめ、国民のさまざまなレベルで天皇の権威を利用した戦前と変わらないということだ、ほか、坂口安吾や竹内好、福沢諭吉の天皇論も出てくる。

戦争の犠牲者を悼み、災害の被災者に寄り添う天皇家。本書で孫は天皇制の素晴らしさを証明すると宣言するが、結論は無い。背景を知った上で考え続けようと勧める。
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本の花束  2012年7月号    「〈いま〉を考える」欄

11月3日の文化の日、祖父の家に遊びにきた大学生と高校生の兄妹は、日本の国民の祝日が天皇家の行事と深く関わっていると知り、驚きます。3人は近現代史を紐解き、戦争のカレンダーや戦後民主主義と天皇の役割り、日の丸や君が代のもつ本来の意味などを考えます。これはすでに私たちの日常にしっかり浸み込んでいる天皇制を見えるものにするという、かなり根気のいる作業です。改めて歴史や憲法に照らし合わせてみると、象徴天皇の存在する今の社会の問題点が明確に見えてきます。天皇のいる制度について考えてみることは、これまでの日本の民主主義を見つめ直し、これからの自分たちの生き方を考える大切な一歩になると気づき、新鮮な感動を覚えます。
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京都新聞  2011年3月18日    「私論公論」    文:池田浩士(京都精華大学客員教授)

大逆事件100年 今なお問う天皇制の存在

「大逆事件」で「犯人」とされた人々の処刑から100年になる。明治天皇の殺害を計画したとして26人が起訴され、24人に死刑判決が下された。そのうち半数は恩赦で無期懲役に減刑されたが、残る12人は判決から6日後の1911年1月24日と翌25日に死刑を執行された。

この「大逆事件」については、政府中枢と司法・検察が仕組んだ冤罪事件という見方が一般的である。天皇に爆弾を投げる計画が現実にあったとしても、大多数の被告はそれとは無関係だった。この「事件」が巨大な権力犯罪だったことは、疑いないだろう。けれども、被告とされた人々が、日ごろからこの国の天皇制度に批判的で、それをなくすべきだという考えの持ち主だったことは、事実なのである。国家の権力者からすれば、彼らは許しがたい「国賊」だったのだ。

「大逆事件」を振り返るとき、冤罪を強調することにもまして大切なのは、天皇が「神」とされていた時代に、天皇制はないほうがよいと考えた人々がいたという事実を、あらためてしっかり考えることだろう。

100年後のいま、もはや天皇は神ではない。明治憲法で唯一の主権者とされた天皇も、現行憲法では「象徴」にすぎない。天皇とその一家に対しては、少なからぬ国民が敬愛の念をいだいている。「逆賊」という非難を浴びた「大逆犯」たちも、現在の天皇制なら異論はなかったはず、と考えられるかもしれない。

はたしてそうだろうか。「大逆犯」たちは、天皇制は自由で平等な人間関係に反する制度であり、一人一人の人間が自立しながら共に生きていくうえで妨げになる、と考えたがゆえに、天皇制に反対したのだった。だとすれば、彼らは、当時の絶対的な天皇制を否定したばかりではなく、いまの「象徴天皇」にも反対なのではなかろうか。

憲法第1条の「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるという規定は、日本という国家社会に生きる私たちの生きかたを、天皇が代表しているということを意味する。「鳩は平和の象徴」というとき、鳩を見ると平和を思い描くように、天皇を見ると日本人である私たちの姿が思い浮かぶのである。

憲法とともに天皇とその一族の地位について定める「皇室典範」は、第1条で「皇統に属する男系の男子」だけが天皇になることを明記している。日本国憲法の第14条は、「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により……差別されない」と述べている。「門地」とは、「家柄、生まれ」のことである。「大逆犯」たちは、どちらの条文を支持し、どちらの条文をなくすべきだと考えるだろうか。

自分の意思や努力とは何の関わりもない「門地」だけを根拠としている人間を、私たちは自分の象徴として生きている。それどころか、私たちは、自分自身であるだけではだめで、象徴の存在が必要であるような、そういう生きかたをしているのだ。

対等で自由な人間関係のなかで、たがいに信じあい敬愛しあって、ともに考えながら生きるかわりに、言葉を交わしたこともなく、尊称でしか呼ばれない遠い存在を、敬愛していると思い込んでいる。100年前の「逆徒」たちは、いまなおそういう生きかたをしている私たちを、どう見ているのだろうか。

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反天皇制運動モンスター  2010年12月    「紹介」    評者:桜井大子

天皇制の問題をそれほどシビアに考えていない人、べつに天皇制あったっていいんでない? などと考えている人にも、本書は、「こんな本がほしかった」とそう言わしめる一冊ではないだろうか。私もこういう本が出るのをずっと待っていたように思う。反天ものとしては快挙の一冊である。沢山の人に読んでほしい。

私はそんなに短くないと思える間、反天連のメンバーやほかの仲間と一緒に象徴天皇制の問題にかかわってきた。天皇制が日本社会の問題とどのようにつながっているのか、具体的な課題を通して議論も行ってきたし、それを言葉にして伝える努力をしたり、街頭に出たりもしてきた。しかし日本社会にあって象徴天皇制の問題は、最初の一歩のところにとどまりつづけていて、そこから始めなければなにも伝わらないという、気が遠くなるようなもどかしさをたびたび感じるのだった。その最初の一歩がどこか、という問題はさておき。

たとえばひとつの歴史が共有されているかどうかで、問題のとらえ方は大きく違ってくる。そして現実は、共有すべき前提の社会的欠落は甚だしいのだ。そういったところをなんとか乗り越えたくて、実は反天連も「象徴天皇制問題基礎講座」などというものを一昨年から一年以上かけてやってみたり、それをパンフレットにしたりもした。しかし、どうしても基礎講座という域からはみ出していく。最初の一歩は長くて難しいのだった。そんなときに本書登場。快挙であった。

さて、この「子どもたちと話す」天王論は、実は大人たちのためのものである、と思う。私のもどかしさの続きで言えば、最初の一歩が共有できていない大方の日本人に読まれるべく、子どもたちとおじいちゃんが対話、いや、おしゃべりを重ねていくのだ。子どもといっても、高校生と大学生。そこに違和感を抱きつつ、日本人の天皇観は、大人でも子ども並み、高校生や大学生は文字通りの子どもというわけか。いや、最初の第一歩というのであれば、子どもも大人も同じであるということか、などと、とりあえず納得してみた。

語り部のおじいちゃんは池田浩士爺。たくさんの引き出しからエピソードや歴史の話を引っ張り出しては、面倒な説明をおもしろく聞かせてくれる。まず「国民の祝日」から始まり、「近現代史と天皇」、「人間天皇」、「日の丸・君が代・元号」、「象徴」等々の問題について、子どもたちとのおしゃべりが続く。そこでは戦前の天皇制と「戦後民主主義」下の象徴天皇制の問題が語られるのだが、憲法の読み方、面倒な「象徴」の解釈法など、なんともわかりやすい。読み進めていくうちに気づくのだが、本書は実は、天皇制を知る、解釈する、感知する、その方法を教えてくれる手引きでもあるのだった。

たとえば冒頭の「国民の祝日」は、子どもたちに敗戦直前の『朝日年間』(1944年版)を引っ張り出させ(このあたりがやはりにくい)、「祭日」一覧を見ながらその名称と天皇制にまつわる由来について問答し、それがそっくりそのまま名称を変えて現在の「国民の祝日」となっていることに気づかせ、子どもたちを驚かせる。あるいは文学者が残した言葉を通じて感じたことのない天皇への違和感を感じさせたり、「大逆事件」や「蟹工船」から天皇制の怖さを読む。池田爺やそのお仲間の大人たちも議論し、論考してきた火野葦平や坂口安吾、中野重治などが残した言葉をめぐっても、きちんと語られている。天皇制と、そこに生きる人間が抱え込む矛盾に気づかせるための工夫は凝らされ、日常のそこここに天皇制の矛盾を見つけ出せることを、教えてくれるのだ。

最終章は、「基本的人権を、一人ひとりが行使することが、天皇制の将来をきめるんだね」という池田爺の言葉で何か明るい展望を予感させられ、そのつもりで最終ページをめくると、おお、前途は多難かも、とか。象徴天皇制は制度そのものが問題であり、こんなものいらない、と多くの人が実感しなくてはなくせないし、そうやってなくさなくてはならない制度なのだ。そうでなければ、なくす意味も半減する。そういう制度なのだ。これまで関わってきた短くない反天皇制運動のなかで私が得た数少ない確信である。そこに到達する方法や表現が枯渇しているいま、読まれるべき一冊が出たのである。ぜひ!

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毎日新聞  2010年9月19日    「今週の本棚」

天皇、あるいは天皇制について初歩的なところから、近現代史にも即しつつ触れられる本。著者本人は天皇制に否定的だが、決して「反天皇制」を声高に叫ぶような本ではない。むしろ、天皇制をとおして、私たちの社会、生活への新たな視座を得ることができる。

中野重治、竹内好、坂口安吾らの言説を引用しつつ、「おじいちゃん」が孫の大学生と高校生に、天皇制について語り聞かせる設定。とはいえ、子供だましではない。ファシズムに詳しい独文学者というだけでなく、天皇制をめぐる思索を重ねて来た著者ならではの、平易でありながら思考の種になる文言が、びっしり詰まっている。一つの考えを知るヒントとして、手に取ってはいかがだろう。(生)

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反改憲運動通信No.9    2010年9月15日    評者:梶川凉子

現代企画室が「子どもと話すシリーズ」というものを出していて、巻末の広告で数えてもすでに17冊も出版されている。文学、科学、宗教、哲学など広いジャンルのなかからテーマを絞り、それにふさわしい執筆者が担当しているようだ。翻訳モノもある。そこにこの夏、池田浩士さん著でこの「天皇ってなに?」が加わった。

「天皇」「天皇制」とは何だ、の問いは考えれば考えるほど難しい。「天皇」の字が入っている書物は敗戦後絶え間なく出版され、現在でも書店では数冊は見ることができる。しかしそのどれもが相当難解で、すっきりと胸に落ちてこない。そこで、「子どもたちと話す」ならと手に取ってみた。わかったことは、いままで読んだ書物のせいではなく、「天皇制」がそもそもとても難しい、やっかいな制度であるせいだった、ということだ。

第一は「憲法」の巻頭に〈象徴天皇〉が国民の総意として規定されていること。引用された竹内好の言葉でいう「一木一草にも天皇制は宿る」ということが難解の原因であることであった。憲法や大自然に対抗して論を立てるのは蟷螂が斧を振るのと同じようなことではないか。

この書では、池田お祖父ちゃんらしき人が、孫のヤーくん、ミッちゃんの疑問に答えたり、質問を出したりして進む。中で、中野重治の『五尺の酒』、坂口安吾の『続堕落論』、竹内好の『権力と芸術』(勁草書房講座「現代芸術巻五」所収)が引かれ、読者が全体を読んでくれることを前提にして、かなりたいせつなポイントが示されている。

坂口安吾の、「日本歴史の証明するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰めの一幕が八月十五日になった。」に対し、池田じいは、「天皇が昔のように〈神〉であっても、現在の〈象徴〉であっても、坂口安吾が〈奥の手〉と呼ぶこの天皇という存在は、国民という〈合作〉のパートナーがいなければ、なんの役にも立たないのだからね。」と言っている。「日本歴史の証明するところ」「国民という合作のパートナー」これが、重石となって「天皇制」の継続を可能にしているのだということが第二の要点だと理解したが、なんだか溜息をついてしまう。

なお池田じいは、日本の祝祭日・ヒノマル君が代・叙勲・象徴・継承など、テーマごとにひとつひとつのことがどう天皇制に関わっているか、〈方策〉の仕組みを解くヒントを出してくれている。一木一草では根が深く絡まり合っているから、解き放たれるのは容易なことではないが、なるべく意識ははっきりしていたいと思う。



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