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週刊読書人 2010年6月25日(金) 評者:桃井和馬
ふぇみん 2010年6月25日(金) 『チカラミナギル本のカズカズ』欄
日本経済新聞 2010年6月13日(日) 評者:脇祐三(論説副委員長)

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週刊読書人 2010年6月25日(金) 評者:桃井和馬

〈臓腑を抉るような記録 人間とは何かの思索を助ける一級の資料〉

南アフリカはワールドカップを通し、日本にも身近になった「アフリカ」の国だ。しかしサッカー以外でメディアをにぎわせているのは「犯罪」報道ばかり。犯罪の原因をつくった「アパルトヘイト(人種隔離)」を振り返る報道は皆無に等しい。これでは本当の南アフリカを、そしてアフリカを理解したことにはならないだろう。南アとは? アパルトヘイトとは? それらの疑問に爆発的な「悲しみ」で答えるのが本書である。

1994年まで50年近く制度化されていた人種隔離政策の中で、何が起き、人々の心はどのように崩れていったのか?

著者は、96年から2年あまり開催された「真実和解委員会(TRC)」を伝え続けたラジオジャーナリストだ。

アパルトヘイトの下、アフリカーナ(主にオランダ系白人移民)を主体とした政府では、警察も農場主も工場主も、そのほとんどがアフリカーナで、彼らの理不尽な暴力が、黒人へと向かっていった。そして黒人は黒人というだけで、男女差なく、身体に銃弾を撃ち込まれ、顔の形が変わるまで殴られ、窒息する直前まで濡れ袋を顔に被せられ、裸にされ、乳首が引きちぎられ、レイプはもちろん、電気ショックや銃弾で性器が弄ばれた。毎日開かれた公聴会では、それらの模様が加害者であるアフリカーナの口から、また被害者である黒人の口から克明に語られ続け、テレビやラジオが連日伝え続けたのである。

だが本書は、現実が単純な勧善懲悪的「二元論」で理解できないことも、TRCで語られた事実から公にしている。たとえばそれが、黒人解放勢力であるはずのANC(アフリカ民族会議)の中で繰り返された「ネックレス・リンチ」(裏切った黒人の首に、ガソリンをかけたタイヤをかけ、焼き殺すリンチ)や、マンデラの先妻で、抵抗のシンボルでもあったウィニーが関わったとされるリンチや殺人の詳細なのだ。「被害者」が「加害者」になる。それら冷厳な事実を前に、安易な頭だけの「和解」など存在しないことがわかる。

著者はアフリカーナの女性だ。その為、公聴会を取材・報道し続ける過程で、自身もアイデンティティ・クライシスを経験する。同時に南ア社会が経験した過去に、精神が蝕まれていく。そしてそれは彼女だけでなく、TRCに関わった者すべてが経験することでもあった。

そうした状況下、TRC委員長であるツツ大主教が徹底的にこだわり、実践した「和解の神学」は、崇高な精神が持ちうる「人類の希望」だ。また著者がTRC取材から得た結論、「和解の本質は生き延びることであり、その鍵は交渉である」という言葉には、正面から過去と向き合ったジャーナリストの凄みを感じる。

二段組み420ページというボリューム。それに名前や地名など、南アが身近ではない私たち日本人には、理解しづらい箇所もかなりあることも事実だ(よほど南アを知っている人以外は、巻末にある峯陽一氏による「解説」を最初に読んでおくことをお薦めする)。

しかし、臓腑を抉るようにして綴られたこの記録が、アパルトヘイトとは何だったのか? それ以前に人間とは何かの思索を助ける一級の資料であることは間違いない。(ももい・かずま氏=フォトジャーナリスト)

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ふぇみん 2010年6月25日(金) 『チカラミナギル本のカズカズ』欄

本書の舞台は、アパルトヘイト撤廃後の南アフリカで1990年代後半に実施された、社会的和解のための「真実和解委員会」である。記者として、そして白人女性として委員会と向き合った日々をつづったこの作品は国内外の高い評価を受け、2004年には映画化された(映画タイトルは『イン・マイ・カントリー』)。

「真実和解委員会」とは過去の人権侵害に対し、応報的な司法ではなく真実の追究を通して正義回復を目指すもので、アジアでは東ティモールの真実和解委員会や韓国の済州島4・3事件に関する委員会が知らせる。本書では各地の公聴会で展開されたアパルトヘイト期の暴力に関する告発や、犠牲者・加害者の語りなどが克明に描かれる。著者も指摘するように委員会に対する評価は様々だが、未来に向けて生まれ変わろうとする国家の苦闘の記録として、本書はいつまでも読み継がれていくだろう。

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日本経済新聞 2010年6月13日(日) 評者:脇祐三(論説副委員長)

〈南ア、分断された社会の和解描く〉

南アフリカのジャーナリストで詩人でもある白人女性が、アパルトヘイト(人種隔離)から南アが脱却し、分断された社会に和解をもたらそうとした過程を描いた、優れたノンフィクションである。

すべての人種が参加した1994年の選挙を経てマンデラ政権が発足した後、白人政権下での人権抑圧や犯罪を調査する真実和解委員会が96年に活動を始めた。特定の集団のためではなく真実のためと位置づけられた委員会は、公聴会を通じてさまざまな事実を表に出し、過去の暗部に向き合うよう人々に迫った。

白人の生死しか気にしない白人たちと、白人の死も黒人の死も気にしなくなった黒人たち。著者は被害者と加害者の双方の証言によって過去を克明に再現する。だが、暴虐や犯罪の「真実」は死に追いやられた人にしかわからないものかもしれない。

白人の中の多様な立場、同報に残虐行為を繰り返した黒人ギャング、解放運動の担い手だったアフリカ民族会議(ANC)内部のリンチや暗殺、マンデラ夫人と闇の勢力の結びつきなど、あらためて認識させられる事実も多い。この本の中には、罪と恥、憎悪と寛容、苦痛と希望、偽善と献身など、人間心理のドラマがびっしり詰まっている。

真実和解委員会は98年に「アパルトヘイトは人類への罪」とする最終報告書を出した。だが、誰に責任があったのかという問いには答えていないと著者は言う。委員会は加害者の恩赦の申請を審理し、犠牲者への補償や被害者の社会復帰を進める役割も担った。免責を前提に証言を引き出すと同時に、責任転嫁の場をつくったともいえるのだろうか。

過去と決別して人権と法の支配を確立するという目標の一方で、国内の和解と社会の再生が円滑に進んだわけでもない。

国民は日々、新たな現実の中で互いの新たな接し方を見つけ出す。和解は一度かぎりのプロセスではなく何度も繰り返されるサイクルだーこうした著者の指摘は示唆に富む。サッカーのワールドカップ開催に合わせて、「正常になるための闘い」がなお続く国を、深く知ることができる本だ。



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