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毎日新聞 2012年4月23日 〈新世紀世界文学ナビ〉スぺイン語圏14:ラウラ・レストレ一ポ
月刊ラティーナ 7月号 評者:伊高浩昭
週刊図書新聞 2010年6月19日(土) 評者:洲崎圭子(お茶の水女子大学博士後期課程/ラテンアメリカ文学・フェミニズム批評)
北海道新聞 2010年4月11日 評者:杉山晃(清泉女子大学教授・スペイン、ラテンアメリカ文学)

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毎日新聞 2012年4月23日 〈新世紀世界文学ナビ〉スぺイン語圏14:ラウラ・レストレ一ポ

〈ナビゲーター〉サンドラ・モラーレス

ラウラ・レストレーポは世界的にその名前が知られる数少ないコロンビア人女流小説家のひとりである。ジャーナリストであったレストレーポは、198O年代にコロンビア政府とゲリラの間の和平交渉に仲介者として参加、交渉が失敗に終わると脅迫を受け、コロンビアからの出国を余儀なくされる。亡命中、86年マドリツドで最初の小説を出版する。

〈コロンビア史に組み込んだ虚構〉

99年の作晶『サヨナラ―自ら娼婦となった少女』(現代企画室、2O1O年)は彼女の4作目の小説。物語が紡ぎ出される糸口は、語り手となる作中ジャーナリストが大規模なガソリン盗難事件のルポを書くため、石油基地のあるトーラという町を訪れたことにある。その町で語り手は石油会社労働組合の記録録文書の間にひとりの少女の写真を見つける。ぞの少女の名前が「サヨナラ」。小説の主人公となるこの少女は、読者を驚かせる決断力を発揮し、幼い身で娼婦となることを決意する。サヨナラが成長し、その仕事に精通していくなか、トーラの町もまた変わっていく。北米の石油会社が町にやってくると人々の暮らしや習慣は一変する。一時は仕事とあり余るほどの富に溢れた町は、石油会社のスト封じが災いし、すさみさびれていく。語り手は少女の人生の物語を町の盛褒記に織り込んでいく。

作品には類似の歴史的事件や、コロンビアのいくつかの町の名前を思い出させる仕掛けがちりばめちれている。トーラは現在パランカべルメハと呼ばれるコロンビア有数の石油産出地の旧名。トーラの石油会社のストは、前世紀の20年代から30年代にかけて北米企業に対する現地労働者たちの最初の抵抗が始まった頃の記憶へと読者を誘う。こうして呼ぴ起こされる背景が、虚構の物語をコロンビアの現代史に組み込むことを可能にする。まさに小説中スポットが当たる時代から始まり、現在もパランカベルメハはゲリラや民兵そして軍隊といった武装組織の対立の中心地のひとつとなつている。『サヨナラ』は虚構のカによって、今や混迷を極め、コロンビア中を震撼させている抗争の根が張り出す時間を描き出す。直截的でユーモアに溢れながらも、詩的な趣さえ漂わせるその語り口は親しみやすく、深層の主題がもたらす悲劇的な重さを和らげる愉快なエピソードもふんだんに盛り込まれている。

〈作家本人から〉
「サヨナラ」の行方

サヨナラは生まれつき意志が強く手なずけられそうにない少女で、コロンビアの密林地帯で娼婦として働くことをひとりで決意します。習慣に従い、娼婦たしは客をとる部屋の扉に出身地に因んだ色の灯りをともします。フランス女たちは赤、イタリア女たちは緑、国境周辺からやってきた女たちは青、地元の娼婦たちは白、先住民だったら黄色といった方式です。

主人公は切れ長の大きな目をした先住民の謎めいた美少女です。この目の魅力を知る女将たちは、初の臼本人娼婦が町にやってきたことを宣伝し、扉には見たこともない紫の灯りをともし、彼女たちが知っていた唯一の日本語「サヨナラ」を少女の源氏名にします。小説『サヨナラ』は日本語に訳され、紫色の装丁で読者のもとへ届きました。作者のわたしは、サヨナラが、彼女の名前がそこから来た遥かなる地へ無事辿り着けたのか、その行方を案じています。

Sandra Morales
コロンビア・ボゴタ生まれ。早稲田大非常動勝師、ラテンアメリカ文学専攻。
訳・真下祐一 群馬県高崎市生まれ。駒津大准教授。
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月刊ラティーナ 7月号 評者:伊高浩昭


コロンビア人女性である著者(60歳)は、コロンビアの現代情勢に関わるジャーナリストであり、1980年代初め、政府と左翼民族派ゲリラ組織『4月19日運動(M19)』との平和交渉に関与した。このときの交渉は失敗したが、この経験を基に、1986年に『ある熱狂の物語』を書いた。これが作家としてのデビュー作となる。本書は8作目の『ラ・ノビア・オスクラ(色黒の彼女)』(1999年)の全訳である。執筆のきっかけとなったのは、90年代初めコロンビア石油公社の依頼で調査取材したバランカベルメハ市の産油現場訪問だったという。

油田地帯から遠くない場所に「ラ・カトゥンガ」という売春街がある。この街にあるとき、やせた色黒の少女がやってきて、売春婦になりたいと言う。身元引き受け人となった経験豊かな老女は、少女を「サヨナラ」と呼ぶことにする。著者は巻末に、「ある日本人女性から実際に身の上話を聴いた」と記しているが、このことと主人公に「サヨナラ」の名をつけたのとは無関係ではないだろう。少女はやがて、男を惹きつけてやまない不思議な魅力を持つ天性の娼婦であることがわかり、石油労働者らの憧れの的となる。

著者は、彼女らの日常生活を喜怒哀楽とともに細かく描く。そして「処女と娼婦、名誉と恥は硬貨の表裏」、「修道女か娼婦になるために生まれてきた」、「娼婦も家庭の上品な主婦になれるし、下品な主婦のように堕落した生活も送れる」などの定見を述べる。ラ米人作家らしく饒舌なのは悪くないが、それが度を超えるくだりがかなりあり、辟易としないでもない。筋として物足りないのは、少女時代に人生の謎や運命を見極めてしまったかのような超然とした「サヨナラ」が恋人を見つけ、別の男と結婚し、離婚して恋人と一緒になって去っていくという点だ。〈普通の女〉になってしまったような味気なさは否めない。

物語の背景に軍隊の移動、政治的暴力事件の発生、労働争議などがちりばめられており、同時代性を感じさせるが、この辺りはジャーナリストらしい。チリ人女流作家イザベル・アジェンデは本書を評価し、「サヨナラが働く売春街という貧しい人々の閉ざされた世界は、コロンビアおよびラ米の多くの地域のメタフォラかもしれない」と書いている。ラ米スペイン語文学の研究者でコロンビア人のサンドラ・モラレス=ムニョスが巻末に掲げる解説は、とても親切で読み応えがある。同胞の偉大な先人ガブリエル・ガルシア=マルケスを読んで育った世代の著者の、作風探しの苦労と努力を垣間見ることもできる。本書もまた、ラ米好きにとって読まずにいられない本だ。

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週刊図書新聞 2010年6月19日(土) 評者:洲崎圭子(お茶の水女子大学博士後期課程/ラテンアメリカ文学・フェミニズム批評)

〈伝説的な娼婦の生きざまを通じて描かれる強靭な意思をもつ女性たちの姿
―ルポルタージュと物語の両方の手法を駆使し、コロンビアの現実に迫る〉


サヨナラとは、伝説的な娼婦の源氏名である。褐色の肌と切れ長の目を持ち、神々しいまでの美しさを放つ。舞台は、南米コロンビアのジャングルで、石油の採掘作業に励む男たちを相手にする娼婦たちが作った町ラ・カトゥンガ。その町に所縁を得た人々が、彼女・サヨナラについて思い出すがままに語り、ジャーナリストの「私」が物語を紡ぎだす。公式の歴史では決して語られない、しかし確かに人々が生きていた証拠が明らかになる。著者ラウラ・レストレーポの手腕が冴えわたる。

本書は作家初の日本語訳である。レストレーポはコロンビア生まれ。大学で政治学とジャーナリズムを教えた。転機は1984年、ベタンクール大統領のもとでゲリラ組織との和平交渉の調停委員を引き受け、失敗したときに訪れた。その結果、6年間の亡命生活を強いられる。その体験が第一作『裏切りの物語』(1986)となった。

第五作目にあたる『サヨナラ』は、石油が国有化される以前の、北米資本に対する労働者たちの闘争事件をもとにしている。ジャーナリストとしての経験を生かし、実際に起こった事柄を下敷きにして書いたという作家の言葉どおり、ルポルタージュと物語の両方の手法を駆使し、コロンビアの現実に迫る。ガブリエル・ガルシア=マルケスが、『百年の孤独』ですべてを書き尽くしてしまったあとで何が言えるか誰にもわからなかった、とレストレーポは言う。しかしだからこそ、そのガルシア=マルケス色がしっかりしみ込んだ言語を使う。「文学は一種の悪魔祓いで、秘密の暗号を暴く力がある」ということを確信しつつ、「暴力がのさばる」国の有り様に疑問を突き付けるのだ。

作中、バナナは石油に、原始の町は色街にとってかわり、絶世の美女は昇天することなく轢死する。『百年の孤独』で洗礼済みの読者陣にとり、楽しい仕掛けがあちこちにある。そしてほかでもない、誇りを持って生きる「女たち」自ら名付けた町が、ラ・カトゥンガだった。そこの町の娼館には、外国女は青、コロンビアの女は赤、地元の女は透明、といった具合に、女たち自らが定めた階級に従った色の電球が吊り下げられている。色ごとに料金が違っているからだ。だが、唯一サヨナラだけは、紫色。他人の都合に翻弄されず、「未来を飼いならして自分の好きにする」ような強靭な意志を持つサヨナラと、亡命生活を送った女性作家が二重写しになる。

先住民であった母親と兄が自殺し、4人の妹たちとともに路頭に迷うことになったとき、長女であった少女ができたことは娼婦になることだけだった。他方、老い先に不安を抱えていた元娼婦トドス・ロス・サントスは、少女のなかに30年前の自分を見出した。育ての母の厳しいしつけの甲斐あって、少女はすべての男たちを虜にすべく、見事な変貌を遂げる。新たな呼び名を与えられ、社会に順応していくことは即ち、予め定められた役割、旧来の価値観に染まるということでもある。だが、孤独を味方にしていたサヨナラは、自分らしく生きるということにつき根源的な問いかけをなす。近しい者たちの相次ぐ死や、妻子持ちを相手にした大失恋。人生の難題に対する答えはすべて、生死を飲み込むたゆまぬ大河の流れの中にあったのだ。彼女は死んでいった人たちと自分、その両方が自分であるということに気が付いていく。「どこからこんなに大量の液体が川床を流れてくるのだろうか?雨、樹液、乳、血、雪、汗、そして涙。マグダレナ川を育てているのは自然から発散する香気と人間の体液なのだ」。随所に散りばめられたふんだんに美しい形容語と詩的な文章により、現地の空気や湿気、そこに生活する人たちの息遣いまでもが読み手にまとわりついてくるようだ。

海外でも、すでに高い評価を得ているレストレーポである。物語を単なるメロドラマに終わらせないのが彼女流だ。インタビュアーの「私」は、一人の女の人生にとどまらない語り手を引き出していく。サヨナラが敬愛した兄は、白人の上官の、混血であるがゆえの動物扱いに反抗した結果、罰として地下牢に生き埋めにされ、その末に手首を切った。息子の死を知った母は、即刻部隊に駆けつけ、石油をぶちまけ自らに火を放つ。

「私」は当時の司令官にもインタビューをする。だがもちろん、恐怖の記憶や痕跡は跡かたもない。そこここに、公式には沈黙を余儀なくされる出来事がある。確かに人間の歴史の一部でありながら、多くは封印されたままだ。だがレストレーポは、暴力的で過酷な面はむき出しにせず、一見して瑣末な事柄を丹念に拾い上げながら、そうした事実をあぶり出していく。その手法は、第三作『太陽の豹』において、テーマは麻薬密売であるにもかかわらず「麻薬」という単語は一切登場させないという快挙で証明済みだ。作家自ら「完璧な作品」と呼ぶ『妄想』(2004年、アルファグラ賞)をはじめ、アルゼンチンの独裁政権時代を扱った最新作『多すぎる英雄たち』等、次鳴る邦訳が待ち遠しい。

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北海道新聞 2010年4月11日 評者:杉山晃(清泉女子大学教授・スペイン、ラテンアメリカ文学)

〈数奇な運命 逸話で構成〉

「サヨナラ」というタイトルにはいささか警戒したが、幸いなことにこれは東洋的なエキゾチズムが売り物の小説ではないのだ。冒頭近く、川沿いの田舎町に、まだあどけなさの残る少女が、古ぼけたスーツケースを手に現れ、客待ちの車引きに「この町で一番の店」へ連れて行ってと頼む―

<「そこで誰が働いているか、知ってんのか?」と彼は訊いた。「町の女だぞ」
「知ってるわよ、そんなこと」
「つまり、すっごく悪い商売だぞ。ほんとうに行きたいのか?」
「決まってるでしょ」少女はためらわずに言い切った。「あたし、娼婦になるんだもん」>

横長の美しい目をした混血の少女は、やがて娼婦としての第一歩を踏みだし、石油の採掘現場で働く男たちが押し寄せるラ・カトゥンガの女王となる。源氏名は、「サヨナラ」。魅力的な目、東洋的な面立ち、なめらかな肌。男たちは彼女の虜となる。

むろんこれだけの話しなら、たとえ警察や資本家の横暴、労働者や娼婦の悲惨の歴史が描きだされても、ごく平凡な小説に終わっただろう。しかしこの小説は、女性記者である語り手の「私」が、車引きや老女将、売春婦たちから集めてまわった数多くのエピソードから構成されている。そして断章と断章が相互に影響し合って、サヨナラの数奇な物語を編み上げていくわけだが、ときおり証言者たちの話は微妙に食い違うのだ。

「娼婦にとって、男に惚れちまうほど大きな不幸はないよ」と知りながらも、その運命をたどることになるサヨナラだが、その行く末についても、異なる証言が並び、さらには語り手である女性記者自身にもまた別の「確信」があるというのだ。そしておそらくこの作品を読む者にも。

著者のラウラ・レストレーポはジャーナリスト出身の作家。スペイン語圏の国々で高い人気を誇っている。



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