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朝日新聞 2018年9月2日 執筆:宇多喜代子
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朝日新聞 2018年9月2日 執筆:宇多喜代子

〈うたをよむ 獄中詠をこえて〉

今、私の手元に大道寺将司の句集『鴉(からす)の目』『棺一基』『残(のこん)の月』がある。

刊行の都度目を通し、その後も折々詠んだ句集だがあらためて読み、大道寺将司が俳句に自らの生の思念を渾身でとどめた俳人であったという認識を新たにする。〈一身に木の芽の声を聞きをりぬ〉〈みはるかす水天一碧(すいてんいっぺき)鳥渡る〉〈残る日に縋(すが)り鳴きたる油蝉〉など、新たにいくつかの句に印を付す。

大道寺は1970年代の連続企業爆破事件にかかわる確定死刑囚となり、四十余年を獄で過ごした。獄中で多発性骨髄腫を発症、2017年5月に東京拘置所で病死。したがって26歳から死の日まで、四季の風光や自然、獄外の人などに触れることのない日々を「日常」として生き、多くの句を書きつづけた。

独房の中で過去の記憶を言葉に繋(つな)ぎ、または言葉から分枝する大樹を脳裏に茂らせ、想像の中に広くて深い新たな現実を再生する。そんな記憶や想像を正確な有季定型、旧仮名遣いで俳句にしてゆく。

〈棺一基四顧(かんいっきしこ)茫々と霞みけり〉〈狼や残んの月を駆けゐたり〉など、かつて読者を刮目(かつもく)させた句は、いまや獄中詠という囲いを外したところで生きている。
 
前出の〈みはるかす〉にしても、水天の大景をまことに歯切れよく表現していて羨望の念を抱かせるほどだ。魂を郷里釧路に飛ばし〈古里の原に鶴唳(かくれい)三つ四つ〉と鶴の声を聞く。独房の生の時間に記憶と俳句の言葉はよく寄り添い、ともによく生きた。大道寺将司は正真の俳人だったのだと、今、心からそう思う。
(俳人)
 

宇多喜代子さんは、俳句界の大御所です。
 
その大御所・宇多喜代子さんに「羨望の念を抱かせるほどだ」とまで言わしめた大道寺将司さん。俳人としてはこの上もない賛辞でしょう。
 
彼の句を読むと、自分の句がいかにも薄っぺらに思えて、落ち込みます。句集『残の月』が出た時、中津の友人たち数人で、この句集の感想を語り合う場を持つことを検討したのですが、それぞれに彼の句を語ることの重さ・難しさを感じて、結局そのままになってしまいました。そのまま、彼が亡くなってしまって、後悔がざらりと残っていました。
 
宇多喜代子さんが「大道寺将司は正真の俳人だったのだと、今、心からそう思う」と書いて下さったことで、「ざらり」が消えた気がします。



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