改題・増補『チェ・ゲバラ プレイバック』へのあとがき

 ゲバラ死後三〇年を迎えた一九九七年以降、彼の思想・行動・生き方をあらためて捉え返すという作業を積み重ねてきた。もちろん、彼自身が書いたものを翻訳・紹介することも含めて、である。
 そのときからさらに一〇年、すなわち、ゲバラ死後四〇年――なお、彼と世界について考え、再考し、書くこと・話すことを続けた。世界は激しく変わり、私も変わった。
 ゲバラの言葉をプレイバックすると、死者は、もちろん、かつてと同じことを書き、話している。一方、再生装置に向かっている私は、激変する世界に揉まれ、困惑し、闇のなかを彷徨い、どこかで光を見つけ、手探りで新たな道を求めているから、そのたびごとに、死者の言葉に新しい意味を見いだしていく。その作業の積み重ねの末に、新しい本書が成った。
 リフレインが、少し、ある。異なる媒体、異なる時代を貫いて、強調したかったことだという意味で、お許し願いたい。

 この四半世紀、日々の仕事場であり続けている現代企画室の、現在の協働者の仲間に、そして歴代の仲間に感謝する。本書でも、またお世話になった向井徹さん(編集)と本永惠子さん(装丁)、そして対談の収録を承諾くださった方々にも感謝を。

 この改題・増補版の準備の最終段階で、韓国から知らせが届いた。文富軾さんが主宰する新しい出版社「クーリエ」が本書の韓国語訳を出版してくれるという。彼の著書『失われた記憶を求めて』は、二〇世紀末の韓国を覆いつくした、暴力に満ちた「狂気の時代」をふりかえるために重要だ(板垣竜太訳、現代企画室、二〇〇五年)。世界に共通の問題を考える縁にもなる普遍性も有している。私が『「拉致」異論』(太田出版、二〇〇三年、現在は河出文庫に所収)を執筆していたとき、彼は大切な対話相手だった(二度にわたって会えたときにも、当時はまだごく一部が紹介されていたに過ぎない文章も)。本書でこだわったことは、「時代の変化」の中にあって、思想がいかに豊富化され得るかという視点だった。その「時代の変化」をまざまざと思わせてくれるこの知らせを、本書の最後におきたい。

    二〇〇九年一月一日 キューバ革命五〇周年の日に
                                    太田昌国