学校の外から

「扶桑社」と「つくる会」が決裂
「つくる会」は別の出版社を公募

2007年6月13日掲載

 次回教科書検定に向けての教科書作成をめぐって、「新しい歴史、公民教科書」の出版元である扶桑社と「つくる会」の関係悪化はついに終局にいたった。(これまでの扶桑社と「つくる会」との交渉経過については、「つくる会」FAX通信第192号に。>>>pdfファイルはこちら...
 扶桑社の新教科書は「つくる会」から分裂した日本教育再生機構(代表・八木秀次)に事務局を置く「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(略称・教科書改善の会)が編集することになり、一方「つくる会」は別の出版社を公募することになった。果たして2つの「つくる会」教科書が並立するのか、本体の「つくる会」側の教科書が出版の引き受け手がなく、日本教育再生機構(=日本会議系)の扶桑社版教科書の登場となるのか、「つくる会」分裂の終局の姿はおもしろくなってきた。<新聞記事のため転載禁止>                               (一作)

「つくる会」、扶桑社と関係断絶 別の出版社を公募
(朝日新聞 2007年05月31日18時25分)

 「新しい歴史教科書をつくる会」は、同会執筆の検定教科書を発行してきた扶桑社(東京)との関係を絶ち、次回の教科書を発行する別の出版社を公募すると31日発表した。30日に開いた理事会でこの方針を決定。これに伴って会長の小林正・元参院議員を解任し、新会長に藤岡信勝・拓殖大教授(教育学)を選んだという。

 つくる会によると、扶桑社が2月、「次回の教科書は、これまで以上に広範な各層からの支持を得られるものにしなくてはならない」として、新しい執筆陣で作成し、別法人をつくって発行する意向を伝えてきた。同会は再考を求めてきたが、その余地がないことが確認されたため、扶桑社からの出版を断念したという。

 扶桑社は、つくる会が執筆した歴史と公民分野の中学教科書を02年度からと06年度からの2回発行した。採択率10%を目標としていたが、実際は1%に届いていない。
 扶桑社は「つくる会の動向に関しては、コメントを差し控えたい」としている。


「つくる会」が発行教科書会社を公募、扶桑社が継続拒否
(読売新聞 2007年5月31日23時45分)

 「新しい歴史教科書をつくる会」は31日、同会のメンバーが執筆した中学校歴史教科書の発行元・扶桑社が教科書の発行継続を拒否したため、別の出版社を公募して次回の教科書を発行すると発表した。

 同会によると、扶桑社は、2006年春から同社の歴史教科書を使っている生徒が全国で約5000人にとどまることなどを理由に、今年2月、今後は別の執筆者で新たな教科書を作り、別法人で発行する考えを伝えてきたという。
 同会は、扶桑社からの出版の可能性がないと判断し、別の出版社を公募することにした。この決定に反対した会長が解任され、副会長だった藤岡信勝・拓殖大教授(63)が新会長に選任された。

教科書問題:「つくる会」の歴史教科書、扶桑社が発行拒否 「組織が混乱」
(毎日新聞 2007年6月1日 東京朝刊)

 扶桑社が発行する中学校社会科教科書を執筆した「新しい歴史教科書をつくる会」は31日、扶桑社が同会執筆の教科書の継続発行を拒否したと発表した。つくる会は「会の理念を守る」として、新たに発行する出版社を公募することを決めた。教育委員会の教科書採択の際、各地で波紋を広げた歴史教科書が存亡の機に立たされている形だ。

 扶桑社が同会に送付した文書によると、扶桑社は「つくる会の組織内に混乱が生じ、事実上分裂する状況になっている」と指摘し、「幅広い推薦をいただける状況にない」と説明している。

 30日付でつくる会会長に就任した藤岡信勝氏は組織分裂を否定した上で、「(同会執筆の教科書の)歴史を書く骨格は、従来の教科書と異なるユニークなものだ。これを守りたい」と話した。

 扶桑社は今後、元つくる会会長の八木秀次氏らが設立した日本教育再生機構と協力し、別の歴史教科書を発行するとみられる。扶桑社は「つくる会の動向に関しては、コメントを差し控えたい」としている。【高山純二】


つくる会、別の発行元探す 「教科書改善の会」も発足へ
(産経新聞 2007/05/31 19:16)

扶桑社の中学歴史・公民教科書の執筆にかかわった「新しい歴史教科書をつくる会」は31日、記者会見し、小林正会長を解任し、藤岡信勝副会長を新会長に選出したと発表した。扶桑社から関係解消を通告されたため、別の発行元を探すとしている。 一方、扶桑社の教科書の次回検定申請に向けて「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)が発足することが分かった。 政治評論家の屋山太郎氏が代表世話人となり、三浦朱門元文化庁長官らが世話人に名を連ねている。伊藤隆東大名誉教授、八木秀次日本教育再生機構理事長ら歴史・公民の専門学者や現場教師の執筆による改訂版作成を目指す。


「つくる会」HPより
平成19(2007)年5月31日
新会長に藤岡信勝氏を選出
小林会長は解任 新副会長に杉原誠四郎氏

 「新しい歴史教科書をつくる会」は、5月30日午後3時から第7回評議会を開催し、次期教科書の発行問題に関する5月10日の理事会決定を受けて討議しました。会議では評議員から多様な観点からの意見が表明されました。全体としては扶桑社との交渉は限界に達しているとの認識に収斂する傾向を示しましたが、評議会は理事会の諮問機関であって決定機関ではなく、評議会としてのまとめは行いませんでした。
 そのあと午後5時過ぎから、引き続き第105回理事会を開催し、次期教科書の発行問題に関して協議しました。その結果、「扶桑社側から、教科書発行について示された方針を白紙撤回するとの提案が無い限り、当会からは交渉しない」という方針を決議しました。これは、5月10日の「当会の見解」に基づいて、5月17日に扶桑社との交渉を行い、「再考」の余地のないことが確認された結果を受けての判断です。(詳細については、FAX通信第192号、第193号をご覧下さい)
 また、このような結果となった責任を明らかにし、今後の「つくる会」の運営を円滑にするという趣旨に基づく、小林会長の解任動議が提出されました。慎重に審議した結果、解任動議は可決されましたが、小林会長に辞任の意思があれば辞任による退任を優先することとしました。その後、小林会長に辞任の意思がないことが判明し、会長並びに理事の解任が確定しました。
 続いて理事会では新会長の選出が議題となり、藤岡信勝副会長が推薦され、反対は無く満場一致で選出されました。また、欠員となった副会長には杉原誠四郎理事が選出されるとともに、新理事として大月短期大学教授の小山常実氏を選出しました。
 この結果、新執行部は、藤岡会長と、高池・福地・杉原3副会長の4名体制で構成されることになりました。
 理事会は新執行部のもとに、次期教科書の発行に向けてその実現を期すために全力を傾注し、全会員の期待に応えていくこととしています。
 なお、今回理事会までに、石井昌浩理事、小川義男理事が辞任されておりますのでお知らせします。


<会長声明>
創立の初心に立ちかえり、「つくる会」10年目の挑戦にお力添えを

平成19年5月31日
「新しい歴史教科書をつくる会」会長
                                   藤岡 信勝
 私はこの度、「新しい歴史教科書をつくる会」の理事会において会長に推挙され、自らに与えられた歴史的責務を引き受けるしかないと決断し、就任を受諾しました。会をめぐる困難な状況のなか、果たすべき課題を前に身の引き締まる思いでおります。
 つくる会は10年前の平成9年(1997年)1月、日本の歴史教科書の現状に危機感を抱いた同憂の士相集い、任意団体として発足しました。近代日本を悪逆非道に描き出す「自虐史観」を克服し、次世代の子どもたちに誇りある日本の歴史の真の姿を伝えようという会の訴えは、たちまち国民的な反響を呼びました。会の事務所に電話をかけてきて、「よくぞ立ち上がってくれた。これで安心してあの世に逝ける」と電話口で泣き崩れるお年寄りもいました。
 こうして10年、つくる会は今、『新しい歴史教科書』というかけがえのない運動の柱を持つに至りました。この教科書は、「階級闘争史観」や「自虐史観」の拘束から自由になり、世界史的視野のなかで日本国と日本人の自画像を品格とバランスをもって活写しています。面白く、通読に耐える唯一の歴史教科書でもあります。この教科書は、単に執筆者グループの著作物ではありません。この間物故された方も含む多くの人々の、この国を思う熱い願いが結晶した集団的な作品というべきものです。
 しかし、残念ながら1昨年の採択では、採択率が1パーセントに満たないという不十分な結果となりました。版元の扶桑社が継続発行するかどうか不安であるとの会員の声に応え、昨年11月、つくる会は扶桑社に対して継続発行の方針を明示されるよう求める要望書を提出しました。
 2月に扶桑社から受け取った回答は、従来のつくる会との関係を解消するというものでした。その後の調査で、その理由は「現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択が取れないから」であり、社の方針に賛同する人々を執筆者とし、書名も変え、別会社をつくって発行するというものであることが判明しました。
 ことここに至って、つくる会は、会創立の理念を明示した趣意書の立場を守るため、別の出版社をさがし、現行の『新しい歴史教科書』を発行し続ける道を選択しました。また、その方針を推進するためにふさわしい指導部を選出しました。そうしない限り、会は理念的にも組織的にも自滅の道をたどります。今回の会の選択は、必ずや会員と支援者の方々の真意に沿うものであると私は確信しております。
 採択率は微々たるものであったにもかかわらず、つくる会の歴史教科書は日本社会に小さくない地殻変動をもたらしました。対抗他社の中学校歴史教科書は劇的といえるほどに変化しましたし、小学校の教科書にも余波は及んでいます。それにとどまらず、この10年間で日本人の間に健全なナショナリズムが芽吹くきっかけとなりました。『新しい歴史教科書』の市販本の売り上げは100万部近くに達しています。教科書の採択率だけが運動の成果をはかるモノサシではありません。大きく見れば、私たちのたたかいは着実な成果を挙げてきたのです。
 こうした状況の変化も反映してか、会の中心的創立者の西尾幹二氏と私が10年前に、会の趣意書を手にして出版社さがしに歩き回った時とは大きく空気が変わっています。この際、私たちの志に共鳴し事業として成り立たしめる目算のある出版社を公募する方向を目指したいと思います。いずれにせよ、出版社は必ず見つかり、道は開けます。
 10年間お世話になった扶桑社との関係断絶は誠に残念ですが、もしも上記の方針を白紙撤回してお声をかけてくださるなら、いつでも交渉のテーブルにつく用意のあることを付け加えておきます。
 つくる会10年目の挑戦に、会員の皆様、国民の皆様のご支援を賜りますよう心からお願い申し上げます。私も、「自ら顧みて直からば千万人といえども吾往かん」の気概をもって微力を尽くします。