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5・10内藤判決(君が代処分・再任用拒否)を許さない!

2017年7月1日掲載

(元)高槻市立南平台小学校教員  山田 肇

5月10日、菅平和、野村尚、山田肇らの「君が代」不起立を唯一の理由とした再任用合格取消の撤回を求める裁判の判決で、大阪地裁・内藤裁判長は、「再任用合格決定の取消」の撤回を求める訴え等、すべて「却下」、あるいは「棄却」しました。これほど「良心」と「品位」のない、また「悪質」な「判決」はないと言っても過言ではありません。『絶望の裁判所』(瀬木比呂志著)そのものを眼前に見た思いです。 

1 再任用されるかどうかは、「反省」がキーポイント?!
私の処分は人事委員会で取り消されています。しかし、処分は取り消されても「職務命令に違反した事実」が「存在しなかったこと」にはならない、また、「職務命令違反」について「反省の態度を示しているとは認めがたい」から再任用取消は当然だ、こう「判決」は書きます。内藤裁判長は、「君が代」不起立は「職務命令違反」だから「反省の態度」を示せ!「反省」もせず、「君が代」で立つという「踏み絵」を踏まない者は再任用しなくて当然だ、こう書きました。つまり、教師は「職務命令に従うアイヒマンになれ!」と言ったわけです。

2「君が代」の「踏み絵」を踏んだ者だけを再任用していいと認めた「判決」を許せない!
府教委の言う「意向確認書」、しかし実際は「踏み絵」によって再任用するかどうかを決める府教委のやり口は、この裁判の大きな「争点」でしたが、内藤裁判長は「争点」を15も挙げながら、これについては、「争点」の中に入れていません。最大の「争点」を外して、何が「裁判」だ、何が「判決」だ!?
しかも卑劣なことに、「今後、卒業式・入学式等の国歌斉唱時を含む上司の」という文言をわざと意識的に削って、「意向確認書は、職務命令に従うことの確認を求めるもの」だ、「教職員が職務命令に従うことは当然のこと」と書き、府教委がやっている「踏み絵」を踏んだ者だけを再任用する、しかし踏まない者はクビにするという、この「思想・良心の自由」を踏みにじる再任用採否のやり方を認めたのです。

3 飲酒運転や体罰による「停職」の者も再任用、しかし、「君が代」不起立者はクビ!こんなことがあっていいのか!
「君が代」不起立によって戒告を受けた者は再任用審査会に上程されるが、他の事案の場合は戒告では審査会に上程されず、また、体罰や飲酒運転等で「停職6ヶ月」の者は再任用されているのに、なぜ私たちは「君が代」不起立による「戒告」だけで、しかも「踏み絵」を踏まないと再任用されないのか、こんなことが許されるのか?これも、この裁判の大きな「争点」でした。
しかし、驚くべきことに、この事実に、5・10内藤判決は一言半句も言及しません!再任用審査会の「さ」の字もない。しかし、私は問う!万人も問うはずだ。歴史も問うだろう。飲酒運転や体罰による「停職処分」の人は再任用されているのに、なぜ、処分を取り消されている私が再任用されないのか? と。

4 私たちの訴えが、なんで「却下」=「門前払い」なんだ!
私たちの裁判は、再任用に合格していたのに「君が代」不起立を唯一の理由として取り消したのは「行政処分」であるから、その「行政処分」の取消しを求めるという形を取っています。ところが、5・10内藤判決は、この私たちの「訴え」を「却下」、つまり、「門前払い」しました。
その理由に、また、驚きます。再任用に合格し、それを取り消されたからといっても、まだ再任用されてないから、訴える「法的地位」がない。再任用するもしないも、府教委の裁量権の範囲内であり、府教委は単に任用しなかっただけだから、そんなのは「行政処分」ではありませんよ、「行政処分」ではないのだから、その「取消」を求めることもできません。「法的地位」のない者が訴えているのだから、訴えは「却下」!これが「門前払い」の意味です。
再任用の合格を取り消された私たちに「法的地位」がないとすれば、再任用の合格を取り消されても、誰も訴えられないことになります!そんなハカな!裁量権があるといえど、そこには公正公平な審査基準というものが必要だろう!なんで、体罰や飲酒運転で「停職6ヶ月」の人が再任用されているのに、「君が代」不起立だけで、しかも、私の処分は取り消されているのに、私の訴えが「門前払い」なんだ!何回でもくり返して、このことを声を大にして言いたい。

5 「敬意の表明」を「感得」させたら、
それは「思想・良心の自由」の侵害だ
また、内藤判決は、驚くべきことに、最高裁でも未だ言っていないことをこっそりと「判決」文に忍ばせています。「争点7」で、「本件各職務命令は、君が代が国歌と規定され、一般に国旗国歌に対する敬意の表明が慣例上の儀礼的所作として尊重されるべきことなどを生徒らに感得させることを目的とするもの」であると書きます。「感得」なんて言葉は初めて聞きました。
最高裁判例は、「君が代」の起立斉唱が「敬意の表明」の側面を持つということから、教職員の内面を間接的に制約していると認めざるを得ませんでした。また、児童生徒に対しては「君が代」の起立斉唱を強制してはならないと言っています。ところが、内藤判決は「敬意の表明」を「生徒らに感得させること」が「目的」だと、書きます。「敬意の表明」を生徒に「感得」させたら、それこそ、強制であり、「思想・良心の自由」に対する侵害ではないのか!憲法を守るべき裁判官が、「思想・良心の自由」の侵害を認め、推奨する!こんな判決が、この国では堂々と「判決」の名でまかり通るのでしょうか?!

6 私の処分が取り消されたことに対する「精神的苦痛」
「金100万円」は、どこへ行ったのか?
さらに、5・10内藤判決は、私が「訴え」たことを「判決」で完全に無視しています。それは何か?訴状で、次のように書きました。「・・・また、原告山田は高槻市教育委員会の違法な内申に基づき大阪府教育委員会から違法な戒告処分を受けて,多大の精神的苦痛を被った。これらにより、原告山田が被った精神的苦痛を金銭に評価すると、金100万円を下らない」と。
それに対して、判決では、再任用が取り消されたことに対し、「損害賠償を求める原告」の「請求には」「理由がない」とは書くが、私が「違法な戒告処分を受けて,多大の精神的苦痛を被った」ことに対する言及がどこにも一切ありません。原告の「訴え」に対して、いっさい「判断」も言及もしない。私の「精神的苦痛」「金100万円」は、どこへ行ったのか?!私の戒告処分が取り消されたことは、厳然たる事実です!それに対する私の「精神的苦痛」「金100万円」にいっさい言及しない、この「判決」は欠陥判決そのものです!

7 判決は大阪の「状況」と「実情」によって「国旗国歌条例」を是とする!ふざけるな!そんな「状況」と「実情」はありはしない!
私たちは、大阪府の「国旗国歌条例」は「国旗国歌法・教育基本法・学習指導要領の趣旨に反し、違憲違法である」、つまり、大阪だけにしかないこの「条例」は、憲法19条「思想・良心の自由」、23条「学問の自由」、また、教育の自由に関する旭川学テ判決に反し、さらに「法律の範囲内で」の条例制定権を認める憲法94条違反でもあると主張してきました。
判決は、国旗国歌法と教育基本法をわざわざ上げる。しかし、その二つに強制規定はないのだから、どうしようもないはずだが、内藤裁判長は一気にジャンプする。空高くジャンプして着地したところは、とんでもないところだ!「府国旗国歌条例は、国旗国歌法、教育基本法の趣旨に沿うものであり、その目的及び効果を阻害するものではなく、矛盾抵触するものとはいえない」と書く。
しかし、さっぱり分からない。いきなりジャンプして結論づけられても、なぜ、「国旗国歌条例」が「違憲違法」ではないのか分からない。数百mジャンプした結果は、「当然」という結論だけ。こんなものが裁判か?!「判決」か?!憲法にもとづいて考慮し判断して、「判決」を書け!と叫びたい。
また、大阪だけしか存在しない「国旗国歌条例」は、「法律の範囲内で」の条例制定権を認める憲法94条違反という主張に対して、なんとまた、判決は「各郷土について学ぶために」「府国旗国歌条例」は必要、「各地方ごとの状況」から、「君が代」強制は必要、「実情に応じた対応とするために」「職務命令」も是とする。しかし、いったい、大阪だけのどんな「地方ごとの状況」があるのか?大阪だけのどんな「実情」があるのか?内藤裁判長よ、説明せよ!聞かしてくれ!が、そんなものはありはしない。大阪だけに「国旗国歌条例」が必要だなどという「状況」も「実情」もありはしない。ないものをあると言って、「教育基本法と府国旗国歌条例との間に矛盾抵触」はないと強弁する。
私たちは、国旗国歌法でも教育基本法でも「日の丸」「君が代」の強制まで規定していないのに、「国旗国歌条例」は「君が代」を「職務命令」で強制し、それは憲法19条、23条、94条違反で違憲・違法だと言っている。それにまともに答えず、ありもしない「地方の実情」などを持ち出して、「国旗国歌条例」は是とする。開いた口がふさがらない。「判決」で何でも書けば通ると思うな!このような内藤判決は、やがて歴史によって指弾されるであろう。
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)新大統領が言った「正義が直ちに通じる国をつくる」という道が歴史の進む方向だ!日本の侵略戦争は間違っていた、二度とその侵略戦争の戦場に教え子を送るなという立場に立って、侵略戦争を進めた天皇を讃える歌=「君が代」を歌えないと自らの良心から「君が代」で座ったことは、「正義が直ちに通じる国」に向かう道だと、私は考える。

8 教師としての「良心」にもとづく「君が代」不起立には、義と理がある!
人事委員会でもこの裁判でも、私は「希望の杜」施設内学級で「学校をつくる」取り組みを進めてきたこと、また、校長がつけた私の「勤務実績」は「S」であったことも明らかにしました。しかし、私の「勤務実績」について、これまた、「判決」では一言半句も言及がありません。内藤裁判長は再任用を決めるのに「勤務実績」など関係ない、要は「君が代」で立つという「職務命令に従う」か、どうかだ!そして、「職務命令違反」に「反省の態度」を示さないような教師は再任用合格が取消されて当然だとしたのです。
何が正しくて、何が間違っているか、子どもたちにしっかり考えるようにと言ってきた教師として、侵略戦争を進めた天皇をたたえる歌は歌えないと「君が代」で座れば、また、それを「反省」しなければクビ=再任用されないって、この国はどんな国なのでしょうか? 教師が命令に従うアイヒマンでは、教育は成り立ちません。ルイ・アラゴンは、『教えるとは、希望を語ること。学ぶとは、誠実を胸にきざむこと』と詩に書きました。教師が歴史の真実を『誠実に胸にきざ』まないと、子どもたちに『希望を語ること』はできません。侵略と戦争の旗「日の丸」を仰ぎ、天皇をたたえる歌「君が代」を立って歌うことは、『誠実に』『歴史の真実』に立って子どもたちの教育を行おうと考える私や日本の教師にとっては、絶対にできないこと、譲れない一線であります。教師としての「良心」にもとづく「君が代」不起立の抵抗には、義と理があります。どこまでも闘います。ご支援をお願いいたします。みなさん、共に闘いましょう!


大阪高裁への控訴にあたり、特別カンパのお願い・・・
支える会の会費をはじめ多額のカンパも頂いているところ、誠に恐縮ですが、今回、大阪高裁への控訴にあたって弁護士さんにお支払いする費用や裁判所に払う印紙代をふくめて約40万円が必要となり、特別カンパをお願いする次第です。
郵便局の振り込み用紙の番号は、00970-6-空欄305477です。
「山田先生を支える会」宛、よろしくお願いします。