学労ネット

休憩時間訴訟 陳述書

2006年4月15日掲載



平成16年(行ウ)第50号 賃金等請求事件
原  告  松 岡   勲  外4名
被  告  大  阪  府  外8名

2006年4月10日

陳 述 書

松 岡  勲

1、私は1972年度より高槻市立小学校教諭、同中学校教諭として勤務してきました。高槻市立柳川中学校には1997年度より勤務し、2002年度は3年生担任、2003年度は1年生担任でした。2004年3月に柳川中学校を最後に定年退職し、2005年度末まで高槻市立五領中学校に非常勤特別嘱託員として勤務しました。

2、2002年度の休憩時間が取れなかった勤務実態
 高槻市立柳川中学校では、午後0時45分から1時30分までが休憩時間(生徒の昼休みと同じ時間)でしたが、この時間帯で教員が休憩時間を取るのは不可能です。昼食時間には週に3回程度は生徒と教室で昼食を取っており、その際には生徒の様子の把握、生徒との会話と打ち合わせ等を食事もそこそこにしてやってきました。また、昼食時間以外にも生徒の指導、生徒の相談事への対応、学年会議、教科会議、教員の打ち合わせ、班ノートの点検、教材準備等席の暖まる余裕のない2年間でした。
 両年度とも学校では会議とは定例のものだけでなく、臨時の会議が昼休みによく入るのが実態でした。学年の生徒指導上の問題が起こったときは学年全体で対応しており、これは放課後だけはなく、昼休みを使わざるを得ませんでした。その他の諸会議なども入ってくるのが実情でした。
 高槻市教育委員会は2002年度に休憩時間の試行実施をし、年度末に実態調査をしました。この実態調査(甲2-1号証)の柳川中学校の休憩時間取得実態は、C:ほとんど取得できなかった、D:全く取得できなかったの率を合わせると72.4%にものぼり、また、50%以上取得できた(A、Bの合計)と回答した率は27.5%にすぎません。さらに明示した休憩時間を変更して休憩時間が取得できなかった率はC、D合わせると82.2%、変更後に50%以上取得できたという回答率は17.8%にすぎません。被告竹下柳川中学校長も「明示した休憩時間は取れていないという予想はあったが、実態はそれを超えるものであった。制度の抜本的な改善か、人的配置を施す以外に方法はない」(甲2-4号証)と高槻市教委へのアンケートで答えています。このことから、休憩時間が取得できず、労働が継続しており、未払い賃金が発生している実態が明確であります。また、2003年度以降、休憩時間取得実態調査をしていないことから、被告高槻市及び被告竹下校長は勤務時間管理の責任を果たしていません。
 2002年度の3年生担任時には、昼食時間に教室で生徒を把握し、生徒との会話と打ち合わせ等をやってきました。また、昼食時以外の休憩時間も生徒の指導、生徒の相談事への対応、学年会議、教科会議、教員の打ち合わせ、班ノートの点検、教材準備等余裕のない日々でした。特に2学期中頃よりは進路(進学)関係の事務作業等が連日続き、昼休みにはパンと缶コーヒーで昼食を職員室で取りながら仕事をし続けるのが常態でした。この時期は進学事務のため教室で食事も取れませんでした。このように教員が多忙なときほど生徒間のトラブルは起こり、生徒が職員室に飛び込んでくることがよくありました。
 特にこの年度のクラスに小学校時より不登校であった生徒が在籍しており、その生徒は3年生になって相談室登校をしており、昼休みにその生徒との対応をとるしかなく、その積み重ねのなかで高校進学が実現しました。また、昼休みには障害児学級在籍で私のクラスが原学級であった情緒障害児生徒との対応があり、ゆっくり休憩を取ることはできませんでした。その取り組みの結果、この生徒も職業訓練施設への進学ができました。

3、2003年度の休憩時間が取れなかった勤務実態
 2003年度は1年生担任でしたが、4校の小学校から入学した生徒を中学校の集団生活に慣れさせ、さまざまなトラブルを調整するには昼休み時間を使わざるを得ませんでした。毎朝クラスの様子をすばやく把握することから仕事が始まりました。クラスには友達関係がうまく取り結べない高機能自閉症の男子生徒がおり、しょっちゅう学級や学年の生徒とトラブルが起こりました。朝の段階で何か問題がおこっていないか把握し、また、事前に母親から連絡があった場合は友達関係の調整のために話をする予定を立てました。昼食時には教室で食事をしながら関係の生徒に手短に事情を聞き、昼食後に個別にそれぞれ話をしたり、昼休み中は生徒との対応に追われ、気がついたら5時限目の授業に入っているというのが実態でした。さらに放課後に本人と関係の生徒を集め、トラブルの解消のための話こみをして1年間が過ぎました。その他にも人間関係がうまくいかず、トラブルがよくある男子生徒、茶髪に関係して生活指導上の対応が必要な女子生徒などがおり、同様にきめ細かく休憩時間に対応してきました。職員室で食事を取っていても、いつトラブルが起こり、生徒が呼びに来るか、生徒が泣きながら飛びこんで来るか分かりませんので、落ち着いて食事をすることはできませんでした。実際に昼休みに生徒のトラブルが一番起こりました。そんなこんなで、教師の「早食い」は知る人ぞ知る話です。
 また、2003年度は教育実習生担当で、6月9日から27日までの3週間を実習生に対しての教材研究・特別教育活動の指導にあて、休憩時間もその対応に使わざるを得ませんでした。(なお、教育実習は「給特法」にいう「限定4項目」以外であります。)

4、被告校長の休憩時間の取得を具体的に指導しなかった事実について
 高槻市立柳川中学校は休憩時間を生徒の昼食・昼休み時間に当てています。当然のことながら、この時間帯は生徒は在校し、昼食指導・生徒指導や授業の準備等に当てざるを得ない時間であり、「一定場所で事実上拘束されて、その時間を自由に利用することなど到底できない時間」であり、この時間は実労働についているか、「手待ち時間」(=労働時間)でありました。この時間帯では休憩が取れません。被告竹下柳川中学校長の意見も先の市教委へのアンケートでその実態を正直にあらわしています。被告竹下校長はこのような時間帯に休憩時間を明示し、また、休憩時間が取れない実態を何ら改善せず、休憩時間の取得ができない状態を放置した責任があります。休憩時間に職員が働いていることは、被告竹下校長はよく知っている事実です。職員は、なにも「好きこのんで」「自主的に」休憩時間に働いているのではありません。これは「黙示の命令」という他ありません。
 また、平成16年8月25日付「被告高槻市外準備書面(1)」(2頁23行目)の「原告松岡以外の教員は、これらの事務を勤務時間内に休憩時間を使わないで処理している」という被告竹下校長の主張に対して、「原告準備書面」(2)(4)(7)で求釈明をしましたが、被告の答えがありませんでした。また、平成17年5年1月17日付「被告高槻市外準備書面(3)」(2頁12行目)で「上記情緒情緒障害がある生徒への対応は、養護教諭や心の相談員が専ら行っていた」との被告竹下校長の主張に対しても、その論拠を答えられたいと「原告準備書面」(4)(7)で求釈明をしましたが、これに対しても答えがないままでした。このような事実に反する主張までして、被告竹下柳川中学校長は職員に休憩時間を保障すべき管理者としての責任を放棄しました。被告竹下校長はこの事実関係を明らかにする必要があります。

5、最近の過密な勤務実態と休憩時間について
 中学校の実態は生徒とのさまざまな対応、クラス関係の諸事務、教科研究・準備、定期考査の問題作成と採点、進路関係の諸事務等どうしても自宅への持ち帰り仕事が多くなります。特に2002年の「教育改革」以来、超過勤務は激増しており、それを減らすためには休憩時間も使わざるを得ないのが実態であります。

 今まで述べてきたように、校長は監督者として所属職員が労働基準法第34条に定められた休憩時間を取得することができるような労働条件を保障しなければならないし、それを実行するために、監督者としての勤務時間管理義務を負っています。(2001年4月6日付の厚生労働省労働基準監督課「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」甲9号証参照)
 被告竹下校長はそのことを知りながら、注意義務を怠り、監督者としての責務を放棄し続けてきました。これは明らかな違法行為(訴状記載の通り)であるといえますし、原告松岡は、このような常態化した休憩時間未取得によって、多大の肉体的・精神的な苦痛を被ってきたのであります。


家保 達雄

1.私は1972年4月から高槻市立小学校・養護学校教諭を歴任し、2000年4月から 2005年 3月まで高槻市立庄所小学校に勤務していました。同年に庄所小学校の廃校という事態を受け、2005年4月から、現在の高槻市立津之江小学校に勤務しています。
 今回の訴訟における、被告恒岡庄所小学校長(2002年度まで在任)・被告中井庄所小学校長(2005年度まで在任)の重要な2点の事実誤認について、以下、申し述べます。

2.2002年度の休憩時間が取れなかった勤務実態
 初めに申し述べて置きますが、庄所小学校における勤務時間は、2002年度・2003年度ともに8:30~17:15となっており、休憩時間は、月・火・木曜は15:25~16:10、水・金曜は14:25~15:10と設定されていました。2002年度は、恒岡校長のもと小学1年生の担任をしました。後にも述べていますが、この年度の休憩時間は「児童との対応等でほとんど取得できなかった」【甲2-3号証】というのが被告恒岡校長の認識でした。「児童との対応、保護者との対応」に追われることは日常的に他学年担任も同様ですが、特に1年児童に当たっては保護者の我が子に対する心情もさまざまであり、一見些細な事柄に見えるようなことでも担任に相談をかけてくるのが常なのです。また、「1年生プロブレム」という言葉に象徴されるように、子どもたち同士のトラブルや忘れ物などの対応に、担任がそれこそ日常的に手を取られるのは当たり前と言えるのです。そうした状況の中、その年度は、当初から5年生の「荒れ」が目立ち、学級崩壊に近い状態となり、「いじめ」が原因で、ついに、1学期も終わらないうちに不登校児1名を出すにいたりました。この事象は、当然、学校全体の課題となり、こうした事態の沈静化に向けては5年担任だけでなく、全教職員が具体的に、実質的に対応することとなりました。つまり、当該5年生児童との個別的な話し込み・聞き取りや生活指導、当番活動の点検など全教員が毎日のごとく年度末まで、何らかの関わりを持つことになったのです。当然のことながら課題の解消に向けて、年度当初に立案した各部・各委員会の年間計画も変更を余儀なくされていきました。また、各学年の取り組みについても事ある毎に相互点検を重ねていきました。
 そのため、必然的に、臨時職員会議や臨時校内研究会などが、放課後の臨時会議として割りこんでくることになりました。また、学校運営に関わる指導部会では、原告は「体育行事」係に所属していたのですが、1年2クラスのもう一人の担任も、たまたま「体育行事」係だったので「学年会兼指導部会」という会議も入りこんできました。当時の会議日程・実態を確認すれば、原告が【2004年4月21日付訴状8頁の3行目~6行目】で申し立てている事実「他学年の『いじめ・不登校』の課題をどう克服するか等の臨時校内研究会が何度も持たれ、毎日の教材準備、学年行事・学校行事の準備に休憩時間を当てざるを得なかったのが実態であった。」こと(甲71号証参照)を、被告高槻市・恒岡校長が否定していることは【平成16年8月25日付被告高槻市外準備書面(1)の3頁・の否認】事実と相違していると言わざるを得ません。
高槻市教育委員会は2002年度に休憩時間の試行実施をし、年度末に実態調査をしました。この実態調査(甲2-1号証)の庄所小学校の休憩時間取得実態は、C:ほとんど取得できなかった、D:全く取得できなかったの人数は、10人中9名にものぼり、B:50%程度取得できたとしたのは1名だけでした。さらに明示した休憩時間を変更した場合の人数もBが1名増えたのみでした。被告恒岡校長も「授業終了後45分を休憩に充てたが、児童との対応等でほとんど取得できなかった。来年度は一斉に休憩が取れるよう充分な検討が必要。」と高槻市教委へのアンケートに答えています。

3.2003年度の休憩時間が取れなかった勤務実態
 2003年度は、中井校長のもと、5・6年「算数」(前期8時間・後期10時間/週)のT.T(チーム・ティーチング)主担と、同じく5・6年の「理科専科」(前期6時間・後期4時間/週)、さらに養護学級在籍児童の学習支援(個別・入り込み指導で7時間/週)、クラブ指導(1時間/週)の計22時間/週の授業を担当しました。
また、【2004年10月20日付原告準備書面(2)の「添付資料(2)」】で示したように、当時の校務分掌表で、全部で39の「部・委員会」のうち、原告はそのうちの15に所属していました(15/39)。さらに全部で25ある各代表(長)のうち11(11/25)に位置づけされていました。「代表(長)」には各会議に提案するための原案を作成するという仕事があるのです。ちなみに他の教職員(事務・管理職を除く)の平均はというと、所属の重なりは4.8/39、代表(長)の重なりは1.8/25であり、原告が担任外であるとはいえ、様々な部署で企画・立案・実務に携わることとなりました。学校現場ではそれぞれの部署で企画・立案するだけではなく、主担として実務にも携わらねばなりません。放課後に休憩を取ることはほとんど不可能という状態でした。2003年度では、上記のような校務分掌上の制約がある中で、「22時間/週」の授業を担当しました。そうした授業や点検のために、当然、保障・確保されなくてはならない休憩時間を、その他の業務に食いつぶさざるを得なかったことを論証するため、あえて、「算数」と「理科」のみにつき、【2005年3月7日付原告準備書面(4)】で「2学年にわたるT.T授業の準備・点検、および、2学年にわたる理科実験の準備・後片付けに要する具体的な時間計算」を示しました。
原告が【訴状8頁の11行目~15行目】で申し立てている事実、「実態としては、5・6年の2学年にわたる理科・算数の教材研究、授業準備、また理科実験がある場合の事前準備・後片付けに追われる日々がほとんど毎日続いていた。さらに前述したように、多くの校務分掌に関わる指導計画や準備・研究、各部・委員会間の調整等で放課後も追いまくられる状態となり」という事実を、被告高槻市・中井校長が否定していること【平成16年8月25日付被告高槻市外準備書面(1)の4頁・の否認(しかも内容的に不正確)】は事実と相違していると言わざるを得ません。さらに【平成17年5月16日付被告高槻市外準備書面(5)の2頁16行目~21行目】で述べられている、「また、理科の実験は、特定の単元を学習している時期に限って、しかも必要に応じて実施されるにすぎないのであって、頻繁に実施されることはないことは言うまでもないことであるが、そもそも同人が主張する朝学習用プリントの点検等及び理科実験の準備等の各作業に要する時間が相当であるかについて疑義無しとしないし、総時間数を算出する計算方法も客観的合理性があるとは言い難い。」という被告高槻市・中井校長の意見が「誤った主張」であることは明らかです。
なお、当時の会議日程・会議実態を確認すれば、休憩時間に他の業務が食い込まざるを得なかったことは明白です。(甲72号証参照)

4.被告校長らが休憩時間の取得を具体的に指導しなかった事実について
2.で指摘していたように、被告恒岡校長は市教委へのアンケート(甲2-3号証)で「来年度は一斉に休憩が取れるよう充分な検討が必要」と回答していたにも拘わらず、その「回答」前後にわたり休憩時間の取得を具体的に指導した事実はなく、休憩時間中に勤務することが「黙示の命令」に当たることは明らかです。さらに次年度に向けて何らかの改善策を講じていた事実もうかがえませんでした。
また、3.で指摘していたように、原告は休憩時間中も算数プリントの丸付け等その他の業務をこなしていました。被告中井校長は、休憩時間中に原告がプリントの丸付け等の業務を日常的に継続していたことを現認していた場面が多々あったにも拘わらず、休憩時間の取得を具体的に指導した事実はなく、この「業務」が「黙示の命令」に当たることは明らかです。
言うまでもなく、校長には校務をつかさどり、所属職員を監督する責務(学校教育法28条3項)がありますが、それは法令を遵守する(地方公務員法32条)ことを当然の前提としています。原告は、児童(生徒)の教育をつかさどり、子どもの教育を受ける権利を充足するために必要不可欠な責務として、前述してきたような職務を果たしてきました。校長は、監督者として所属職員が労基法に定められた休憩時間を取得することができるような勤務条件を保障しなければならないし、それを実行するために、監督者としての当然の注意義務を負っているのです。被告恒岡・中井校長はそのことを知りながら(あるいは、それを知り得た立場にあったにも拘わらず)注意義務を怠り、自らが原告に求めた職務に対して、原告が自らの責務としてやむを得ず職務に専念せざるを得ないことをよいことに、それに依存して監督者としての責務を放棄し続けてきました。これは明らかな違法行為と言えます。原告はこの2年間にわたり、事実上、休憩時間中に勤務させられた日数は296日にも及び、肉体的・精神的に被った多大なる苦痛に対し損害賠償を求めます。

5.最近の過密な勤務実態と休憩時間について
私は、2005年度より高槻市津之江小学校勤務となりました。同小学校の休憩時間は、火・木・金曜が15:30~16:15、月・水曜が14:40~15:25となっています。当年度は校門警備や校区内パトロール、通学安全指導など勤務時間外の業務が多く入ってきました。休憩時間施行後4年になりますが、ますます業務の多忙化と煩雑化が進行してきているように感じます。【甲69-1号証】でまとめたように、9月27日~10月25日の1ケ月間では休憩時間は全く取得できていませんでした。このような実態でありながら、現校長が休憩時間の取得を指導したり勤務時間終了後の早期退勤を促したりしたことは一度もありません。監督者としての責務を放棄している点では、当訴訟での被告両校長と全く同様なのです。


志 摩  覚

1.私は1974年4月から守口市立小学校教諭、1976年4月から高槻市立小学校教諭を歴任し、2001年4月から高槻市立土室小学校教諭として勤務しています。今回の訴訟で、休憩時間が取れなかったことの事実認定の根幹にかかわる「私の勤務実態」と「被告の休憩時間中の勤務強制」について、以下、申し述べます。

2.2002年度の休憩時間が取れなかった勤務実態
 土室小学校での私の休憩時間は、月・水曜日は14:40~15:25、火・木・金曜日は15:30~16:15でした。しかし私は休憩時間が全く取れていませんでした。

 2002年度試行された休憩時間明示に伴い、高槻市が実施した土室小学校の実態調査結果(甲2-1号証)は次の通りでした。
 明示された休憩時間を取得できたかについては、C:ほとんど取得できなかった、D:全く取得できなかった率を合わせると72.7%にもなり、50%以上取得できた(A、Bの合計)という者の率は27.3%にしかすぎません。さらに明示された休憩時間を変更しても取得できなかった率はC、D合わせると89.3%、変更後に50%以上取得できた者の率は10.7%という勤務実態が浮かびあがりました。
 被告高浜土室小学校長(2004年度まで在任、以下被告という)はこの結果について、『児童への対応や教材研究等で、なかなか取得できない現状。時間変更等の工夫をしても子どもとの対応が長引き取得は厳しかった。』(甲2-3号証)との意見を高槻市教育委員会にあげています。教職員の勤務状況をよく把握し得る立場の被告は、教職員の休憩時間中の勤務実態を把握しきった上で、教職員が提出したアンケートの「取得は厳しかった」記述内容を教職員の休憩時間中勤務実態の最大公約数とみなし、公文書として事実報告を市教委へ上げました。
 このことからも被告は、休憩時間中の業務が土室小学校で日常的に為されていた事実を認めているのは明白です。
 2002年度私は5年生担任として、1学期は林間学校の行事があり、4月当初からその計画や準備作業に忙殺されました。児童と一緒にする作業も多くて特別活動だけではとうてい足らず、授業時間終了後の休憩時間にしていました。計画等も休憩時間にしていました。また、この年は高槻市の研究委嘱校の指定を受け、2学期末に総合的学習の研究発表の中心的な学年の1つになり、年度当初から計画、立案、地域内外のボランティア・ゲストの人々との折衝・準備と休憩時間帯も仕事をせざるをえませんでした。それでも勤務時間終了後の1~2時間の残業とノート・テスト・教材研究・教材作成の自宅への持ち帰りは日常茶飯事という実態でした。

3.2003年度休憩時間が取れなかった勤務実態
 2003年度は理科専科の授業とコンピュータ情報主担の校務分掌を担当しました。教材準備、実験器具準備、教材園の管理、実験後の片付け(例えば膨大なガラス器具の洗浄。大規模校であるゆえクラス数・クラス人数・班人数が多く実験器具の数が膨大)、放課後、接触を求めてくる児童への対応で休憩時間を費やしました。また、ホームページ作成、コンピュータクラブのボランティアさん達との打ち合わせ、機器の日々の保守管理、コンピュータ室機器の全面的新規更新作業、情報主担者会議・研修への出張で、休憩時間を費やしても時間が足らず、年間を通じてほぼ1~3時間の残業と自宅への持ち帰りで仕事を乗り切らざるをえませんでした。残業は午後8時、9時に及んだ事もしばしばでした。

4.被告が休憩時間の取得を具体的に指導しなかった事実について
・ 被告は、組合による2003年8月6日の校長交渉の席でも文書明示を求めたにも拘らず、被告らの中でただ一人2003年度の休憩時間の文書明示をしていません。他の被告が為しているにも拘らず、なぜ休憩時間試行の根幹となる文書明示をしなかったのか、これは職務怠慢であります。私は如何なる考えに基づく不作為か2005年3月7日付原告準備書面(4)以降で再三釈明を求めてきましたが、被告からは真摯な返答がありません。被告は土室小学校教職員全員に対し休憩時間の取得を指導していません。
・ また職場から離れた場所で行われる情報主担者会議の開始時刻に出席するには、交通時間を考慮すると最低3時15分に職場を出て行く必要があり、会議終了の5時15分過ぎまでに休憩時間は取れませんでした。6時間目はコンピュータクラブのクラブ担当として、クラブ活動がない日は5・6年生が行うボランティア活動を担当し指導していました。 これに対しての被告の「学校側は6時限目を空きにする等、休憩時間の取得のための配慮していた」との主張(平成17年1月17日付被告高槻市外準備書面(3))は明らかな誤りで、休憩時間の変更が配慮された事実は全くありません。被告は2003年度の時間割表をみて言い逃れに使ったと思われます。そして被告が教職員の休憩時間について如何に思慮に欠けていたかの証拠になる主張だと思います。この点についても被告の真摯な釈明を待つところです。
・ 被告は職員会議等の会議が休憩時間中にかかって行われていたことを黙認していました。
「職員会議が休憩時間にかかって開催される事は稀有な場合である」との被告の虚偽の主張(平成17年5月16日付け被告高槻市外準備書面(5)の3ページ10行目)がありましたが、本訴訟対象の2002年度・2003年度職員会議は、定例の水曜日なら休憩時間終了25分前の3時前後から、木・金曜日なら休憩時間終了25分前の3時50分前後から開始され、勤務時間終了の5時15分以降も継続されたことが度々ありました。
 校長自身が出席して主催する職員会議が勤務時間外に開催され勤務時間内から勤務時間外にわたって続行されたので、職員会議終了後までの勤務時間外の時間については、いずれも校長の黙示の命令による勤務をしていて、休憩時間は取れませんでした。
 また「職員会議の日時の設定は、学年代表の教職員や各部代表の教職員で構成される「推進会議」を踏まえたものであり、職員会議が休憩時間にかかって行われる場合についても同様」(平成17年5月16日付被告高槻市外準備書面(5)3ページ4行目~5行目)との主張がありましたが、『推進会議』の構成員には『管理職』が含まれ、被告も出席していた事実を隠蔽するための主張です。職員会議・推進会議を主催し、教職員が適法な労働をするよう監督する職務を担う被告は「休憩時間は働かせてはならない時間」との管理職としての認識を欠いており、職務怠慢にあたり刑事罰もありえると思います。
 尚且つ、限定4項目については「臨時又は緊急にやむを得ない必要があるときに限る」と制約を加えています。勤務時間が終了しても臨時又は緊急にやむを得ないので職員会議を延長する必要があるときのみの限定4項目です。
 その上被告は、他の被告校長がした「職員会議の時間が休憩時間に食い込むときには、休憩時間の変更を指示」すべき職務を担っているにも拘らず、何の措置をも講じませんでした。この様に被告は休憩時間を保障する責務を果たさず、原告を含む多数の教職員の休憩時間取得を侵害しました。
・ 被告は、休憩時間中に原告を含め多数の教職員が職員室や教室等にて仕事をしているのを現認しながら、「休憩時間中なので休みなさい」という指示を教職員に一切していませんし、振替えの事前通告もしていません。被告は教職員の健康を守るため休憩を取るように指導したことは皆無で、休憩時間中の勤務を強制し私の休憩時間取得を侵害しました。

5.最近の過密な勤務実態・超過勤務
 先に提出した2005年9月27日~10月25日の休憩時間帯中の労働実態報告(甲69-2号証)を読んで頂いても解るように、休憩時間が取れない実態・勤務時間終了後の長時間超過勤務実態は2004年度以降も変わりません。6年生を担任していた2005年度、休憩時間は皆無に等しいのが実態でした。

 以上、休憩時間は過密労働からくる心身の疲労を回復するために休養を取るべき時間にも拘らず、被告がその休憩時間をとらせず、私の休憩時間取得を侵害した苦痛に対して損害賠償を求めます。



末広 淑子

1 . 原告の末広淑子です。1977年4月から大阪府摂津市、1980年4月より高槻市で小学校教員として勤務してきました。高槻市立竹の内小学校には1996年4月から勤務し、2002年度は3年生担当、2003年度は5年生担当でした。2004年度に転勤し、現在は高槻市立寿栄小学校に勤務しています。

2. 2002年度の休憩時間が取れなかった勤務実態
 2002年度 高槻市立竹の内小学校の休憩時間は、火、木、金(6校時ある日)が午後3:35~4:20、月、水(5校時ある日)が午後2:45~3:30でした。授業が終了した10分後の45分間です。この10分は終わりの会といって、児童といっしょにその日のまとめをする時間です。この後すぐに児童を下校させて休憩時間が取れるでしょうか。そうではありません。担任はその後、児童に次の日の用意等を連絡します。児童は連絡帳というノートにそれを書きます。それからランドセルに教科書などを入れて帰る準備をし、みんなで「さようなら」をします。それだけでも10分や15分はかかります。「さようなら」をした後みんなすぐに下校するかといえば、まずそんなことはありません。何かが見あたらないとか 、準備が間に合わないとか、児童同士のトラブルがあったり等で全員が教室から出るのにも10分~15分はかかってしまいます。これは毎日の事ですから原告末広が時刻通りに休憩時間にはいることは、まずできませんでした。また、児童が帰った後も教室の片付け、ノートの点検、次回の授業の準備など『これで終わり』と言うことのない仕事がありました。これらの仕事はこの時間に少しでもやっておかないと積み残しがたまり、後でかたづけることが大変になります。ですから原告末広は休憩時間であっても仕事をやり続けるという実態でした。
 さらに、この2002年度、高槻市立竹の内小学校 はNIE(「教育に新聞を」の英語略)の研究指定をうけて2年目に入っていました。これは前年度、被告佐竹竹の内小学校長(以下被告佐竹校長)同席の職員会議で決定されたもので、この研究指定を引き受けた時点から被告佐竹校長が職員に職務として命じたものです。2年間で研究指定が終了するので、当年度はそのまとめとして3年生(原告末広の担当学年)が公開授業をすることになっていました。公開授業というのは、単に公開日だけが大変なのではありません。事前の取り組みが重要で、準備に多くの時間がいるのです。3年生では11月22日の公開授業に向けて1学期から、総合的な学習という授業でNIEを中心にして取り組みました。そして、運動会(9月30日が雨のため10月2日)が終わってからはさらに集中的に取り組み、公開月の11月になると通常3時間の総合的な学習の時間は1週目5時間、2週目10時間、3週目8時間にもなりました。その1時間ごとに事前の話し合いや準備があり、授業後の反省や点検があります。この作業は休憩時間に食い込み、超過勤務になり、持ち帰り仕事になりました。3年生担任の同僚は保育所の迎えの時間を気にしながら超過勤務をしていました。これが実態です。
 また、高槻市教育委員会は2002年度に休憩時間の試行実施をし、年度末に実態調査をしました。この実態調査(甲2-1号証)の高槻市立竹の内小学校 の休憩時間取得実態を見ると、C:ほとんど取得できなかった、D:全く取得できなかったの率を合わせると52.2%です。さらに明示した休憩時間を変更しても休憩時間が取得できなかった率はC、D合わせると82.3%です。被告佐竹校長も「電話、来客対応、教材研究等のためとりにくかった。しかし、意識付けとしての効果はあった。」と高槻市教委へのアンケートで答えています。実態として休憩時間が取得できず、労働が継続していることを被告佐竹校長は認識していました。また、たとえ手を休めていても電話、来客対応等のため「手待ち時間」=「労働時間」となっており、まさに未払い賃金が発生している実態が明確に示されています。

3.2003年度の休憩時間が取れなかった勤務実態
 2003年度、高槻市立竹の内小学校の校長は被告佐竹校長から被告大西竹の内小学校長(以下被告大西校長)に代わりました。休憩時間の割り振りは前年度と同じでした。原告末広は5年生の担当になりました。児童の下校時の実態、平常時の私の勤務実態も前年度とほぼ同じで、学校現場の忙しさに変わりはありませんでした。そして、休憩時間取得のために改善されたことは何もありませんでした。
 原告末広の担当した5年生は、2003年度竹の内小学校の課題学年で、その課題の重さのため担任がなかなか決まらない状況でした。クラスには自閉的傾向の子、不登校の子、養護学級入級の子、すぐにキレてしまう子などがいて、個別の指導や連絡等の配慮が必要でした。学年全体も落ち着かずトラブルがよく起こったので、担任2人は毎日子どもたちの様子を情報交換し、必要に応じて保護者への連絡や家庭訪問を繰り返しました。それらは20分休みや昼休み、放課後等に時間をかけてていねいにやらねばならないものでした。当然、休憩時間や勤務時間外の労働になりました。また、この5年生の課題については学校全体として支援をすることが確認されていましたので、その取り組み状況は口頭やレポートで全職員に報告していました。被告大西校長も授業中様子を見に来たり、トラブルが起きた時の児童同士の話し合いに同席したり、不登校の児童の保護者と話をしたりとさまざまな支援をしていました。この実態を現認していたのです。
 こういう状況の中でさまざまな行事に取り組みました。5年生で最も大きな行事は林間学校です。大きな行事であるため事前の準備には多くの時間を費やします。まずは下見に行き、宿舎の担当者と宿泊や活動の相談、旅行会社とバスの手配や行程の確認、保護者へは持ち物や活動内容の説明会等をします。子どもたちとは班分けやしおり作り、係活動の打ち合わせや練習、行程や持ち物の説明などをします。さらに担任同士での打ち合わせも時間をかけて綿密にやらねばなりませんでした。また、児童が中心になって活動する児童会祭りも事前の準備に時間を費やす行事です。交流学年の3年生と一緒に取り組むのですが、高学年である5年生がほとんどの計画、準備をやることになります。その取り組みは授業時間はもちろん、児童の休み時間や放課後にかかることもありました。放課後は原告末広の休憩時間や勤務時間外ですが、その時間を児童との取り組みや、行事等の準備に当てることが常態化していたのが実態です。

4. 被告校長らの監督者としての責務の放棄
 2、3で2年間の休憩が取れなかった勤務実態を述べてきました。しかし、被告校長らは、原告末広の主張に対して「不知」「否認」「争う」(平成17年1月17日付被告高槻市外準備書面(3))とし、「抽象的に忙しかった旨を述べるに過ぎず」(平成17年5月16日付被告高槻市外準備書面(5))と決めつけています。すべて被告校長らの黙示の命令下で行われている教育活動であるにもかかわらず、日々の職員の勤務状況、とりわけ自らの指導と責任の下で進めてきたNIEへの取り組みの勤務実態、または、多くの課題を持った学年の児童にかかわる学級担任の勤務実態を被告校長らは、全く把握できていません。自らの職務怠慢をさらけ出しているといわざるを得ません。従って被告佐竹校長、被告大西校長とも、本裁判で問題になっている原告末広の休憩時間の取得状況について全く把握できていないことが明らかです。休憩時間を取得するための手だてや配慮がなされたこともありません。それは事実上、原告末広が休憩時間に仕事をすることを認め、強制しているということに他なりません。監督者である校長として当然なすべき事をせず、またそれに対する反省もなく、原告末広の訴えに「不知」「否認」「争う」とするのはあまりにも無責任であり、事実に反しています。

 校長には校務をつかさどり、所属職員を監督する責務(学校教育法28条3項)があります。その責務とは当然法令を遵守する(地方公務員法32条)ことを前提としています。
 原告末広は、児童の教育をつかさどり(学校教育法28条6項)、子どもの教育を受ける権利を充足するために必要不可欠な責務として、今まで述べてきたような職務を果たしてきました。校長は、監督者として所属職員が労基法に定められた休憩時間を取得することができるような労働条件を保障しなければならないし、それを実行するために、監督者としての注意義務を負っています。被告校長らはそのことを知りながら、あるいはそれを知り得た立場にあったにもかかわらず、注意義務を怠り続けてきました。すなわち、自らが原告末広に求めた職務に対して、原告末広が責務としてやむをえず職務に専念せざるをえないことをよいことに、監督者としての責務を放棄し続けてきたのです。これは明らかな違法行為(訴状記載の通り)です。休憩時間が労働からくる心身の疲労を回復するための時間であるにもかかわらず、常態化した休憩時間未取得の結果、多大の肉体的・精神的な苦痛を被ってきたことに対して、原告末広は損害賠償を求めます。

5.最近の勤務実態と休憩時間について
 原告末広は2004年度に転勤し、現在は高槻市立寿栄小学校に勤務しています。休憩時間は火、木、金(6校時ある日)は午後3:30~4:15、月、水(5校時ある日)は午後2:45~3:30となっています。勤務時間は午前8:30~午後5:15です。2005年度は、高槻市教育委員会が休憩時間の試行を始めてからすでに4年目になります。しかし、その取得状況はよくなるどころか、ますます多忙化が進んでいるように思います。「末広淑子 休憩時間帯中の労働実態報告(2005年9月27日~10月25日)寿栄小学校 」(甲69-3号証)にまとめたように、休憩時間は全く取得できていません。養護学級在籍児の下校の際の保護者への引き継ぎ、児童のトラブル解決のための話し合い、教室の片づけ、テストの丸つけ、運動会の準備、図工の作品掲示等、限りなく仕事がありました。休憩時間であってもこれらの仕事をやり、少しでもやり残しを減らしておく必要がありました。休憩時間の後はほぼ会議が入っていて、仕事をやることはできません。また、全学年2クラスという小規模校のため職員の数が少なく、一人あたりの校務の分担が多くなっているのも多忙の一因でした。2005年度においても、休憩時間未取得は常態化していました。しかし、このような実態を見て、現校長が職員に「休憩を取るように」とか「早く帰るように」とかの声かけをしたことはありません。現勤務校の校長も被告校長らと同じように、監督者としての責務を放棄していると言わざるを得ません。


長谷川 洋子

1,私は、1979年4月から、高槻市立三箇牧小学校、川西小学校、大冠小学校に教諭として赴任し、2005年4月からは、高槻市立南大冠小学校に勤務しています。

2,2002年度の休憩時間が取れなかった事実
 被告山口大冠小学校長(以下、被告校長といいます)は、同校の休憩時間を月、火、木、金は3時30分~4時15分、水曜日は2時40分~3時25分と明示しました。

 しかし、02年度末に被告高槻市が実施した休憩時間実態調査で、同小学校の教職員の52%が「ほぼ休憩できなかった。」、19%が「全く休憩できなかった。」と回答しています。(甲2-1号証)被告校長自身、同実態調査をふまえ、「休憩時間には、児童や保護者への対応が入ることが多い。児童がいる間は休憩をとるという意識が薄い。」と回答しています。(甲2-4号証)なぜ放課後に保護者が多く訪れるかというと、クラスでの子どもの人間関係がうまくいっていない等の悩み相談、あるいは抗議、親どうし・子どもどうしのけんかなど、保護者は多岐にわたる悩みをかかえて学校に来ます。児童の場合も同様です。とくに中高学年では、クラスで問題が起きると、当該児童らを呼び放課後じっくり話し合いをします。問題解決するために避けてとおれないのです。細やかな対応を逸すると大変な事態に進展しかねないのが、昨今の教育現場です。最高学年の終礼10分後から始まる休憩時間に子どもとの話し合いはどうしてもかぶさってしまいます。被告校長のいう「児童がいる間は休憩をとるという意識が薄い。」のではなく、「保護者・児童がいざるをえない時間帯に休憩時間があるので、休憩がとれない。」のです。
 私は02年度は1年を担任していました。4月30日(火)の例でいいますと、1年は5時間授業があり、終礼は2時30分ですが、忘れ物やトイレを確認したり、訳がわからず困っている子の対応をしていたら、子ども達が全員教室から出るのは3時になります。それから養護学級入級児童Aさんの連絡帳(1日どんなことがあったか詳細に記入)を書き、学童保育にいるAさんに届けにいき、Aさんと話したり、様子を確かめます。02年は市教育研究会の生活科の部長をしていました。3時半から市内から役員数名が来校するので、あわてて会議室の準備をし、そのまま会議に突入します。(なぜ休憩時間に会議が設定されたかというと、行事が多いなか役員校のスケジュールを合わせると同日同時刻しか会議ができなかったからです。)5時過ぎまで役員会議があり、その後、校内の体育委員会の仕事(ボールの空気入れのための入れ物探し)をし、その後、翌日の職員会議に提出する入学式反省の報告作りをしました。反省アンケートがぎりぎりまで出ず、明日報告なのでやむをえない仕事でした。当然5時15分の勤務時間終了オーバーです。
 平成16年8月25日付被告高槻市外準備書面(1)で、「会議は定例職員会議が第1水曜日、校内研究会が第3・4水曜日など、事前に日時が決められているものが多く、なぜ会議のある日の休憩時間にしか(他校や親に電話)連絡等できなかったのか。」と述べていますが、校内会議がない日でも、こんな勤務実態なのです。

3,2003年度の休憩時間が取れなかった事実
 03年は私は3年を担任しました。9月22日(月)の例でいいますと、5時間目の体育が終わり、着替えの後連絡、終礼は3時になります。その後すぐ4時まで体育館で運動会応援団の放課後指導です。7月に爆弾脅迫電話事件があったので、応援団も地区別集団下校をさせ最終的に4時15分を超えます。その後、学年会議をしますが、運動会の最終チェック、はっぴ作りや学習計画等、議題は多く、5時15分を超えて会議をしました。
 また、平成16年8月25日付被告高槻市外準備書面(1)で「補習については、月曜日の6校時目(午後2時35分から3時20分)としていたから、7月に爆弾脅迫電話事件等が発生したため補習を禁止しており、休憩時間を午後3時30分から4時15分までと明示し、この時間帯に職務命令を出したことはないと強調しておきたい。」と主張しています。これは被告校長の勘違いです。被告校長のいう月曜6校時目の補習とは「大冠タイム」といわれる一斉補習です。04年度から始められたもので、02年から03年度には存在しませんでした。私が主張しているのは、03年度4月から爆弾脅迫事件が起こる直前まで、クラスの3年生に対して行った補習です。会議や児童の委員会・クラブ活動のない火、木、金に一部の子どもを残してたびたび補習しました。火・金は6時限(3時20分終了)までなので、補習をすると休憩時間に入らざるを得ないのです。私は被告校長の誤認を糾しましたが、現在に至るまで被告校長は誤りを訂正しないままです。

4,被告校長が休憩時間の取得を具体的に指導しなかった事実について
 平成17年1月17日付被告高槻市外準備書面(3)で、被告校長は「休憩時間に業務を行っている教員に対して、休憩時間を取るようにといったことがある。」と述べています。しかしながら、私は被告校長の下で働いた3年間、一度も言ってもらったことはありませんし、職員会議や職員朝礼などの日々の場で「休憩時間は仕事をせず休憩をとるように。」と被告校長は一度も発言していません。また、2,3で述べた過密な勤務実態の中で教職員に休憩をとらすような具体的方策を立てなかったことは、被告校長が無言のうちに「休憩時間内に働け。」と示唆(黙示の命令を)していたと言わざるをえません。

5,05年の過密な勤務実態、休憩時間がとれない事実について
 やはり勤務実態は過密で、数回休憩時間内に職員会議が入らざるをえなかったり、新任2年目の担任と学年会を持ち細かい打ち合わせが必要となり、05年の休憩時間は彼女との打ち合わせにほぼ費やしました。休憩時間は皆無に等しい現状でした。(甲69-4号証)

 以上述べてきたように、言うまでもなく、校長には校務をつかさどり、所属職員を監督する責務(学校教育法28条3項)があります。その責務は法令を遵守する(地方公務員法32条)ことが勿論前提です。
 私は、児童の教育をつかさどり(学校教育法28条6項)、子どもの教育を受ける権利を充足するために必要不可欠な責務として、今まで述べてきたような職務を果たしてきました。
 校長は、監督者として所属職員が労基法に定められた休憩時間を取得することができるような勤務条件を保障しなければならないし、そのために監督者として当然の注意義務を負っています。しかし、被告校長はそのことを知り得た立場にあったにもかかわらず、注意義務を怠り、私が自らの責務としてやむをえず職務に専念せざるをえないことをよいことに、それに依存して監督者としての責務を放棄し続けてきました。
 これは明らかな違法行為(訴状記載の通り)であるといえますし、私は、このような常態化した休憩時間未取得によって、多大の肉体的・精神的な苦痛を被ってきたといえます。

以上