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休憩時間訴訟 「準備書面(2)」高槻市準備書面への批判

2004年10月24日掲載

平成16年(行ウ)第50号 賃金等請求事件
原  告  松 岡   勲  外4名
被  告  大  阪  府  外8名

準備書面(2)

2004年10月20日

大阪地方裁判所 第5民事部合議1係御中

原告   松 岡   勲

原告   家 保 達 雄

原告   志 摩   覚

原告   末 広 淑 子

原告   長谷川 洋 子





             <目  次>

被告高槻市他7名の「準備書面(1)」への反論
1)原告松岡の反論
2)原告家保の反論
3)原告志摩の反論
4)原告末広の反論
5)原告長谷川の反論
6)吹田市の休憩時間試行実施モデル校の取得実態
7)小括・黙示の命令論
8)求釈明


被告大阪府の「準備書面(1)」への反論
1)休憩時間は勤務を命じられない
2)教員の勤務実態~給特法成立当時との比較から~
3)求釈明

結   語

<高槻市他7名の「準備書面(1)」への反論>

1)原告松岡の反論

≪高槻市他の準備書面(1)で争いがない点≫

① 休憩時間は0時45分から1時半まで(生徒の昼休みと同じ)
② 2002年度は3年生担任、2003年度は1年生担任で、昼食時間には週に3回程度は生徒と教室で昼食をとっていたこと。
③ 2002年度の3年生担任では、2学期中頃より進路指導のための生徒との相談、書類作成等の作業があること。

≪以下、不知、否認についての反論≫

1、被告竹下校長が高槻市教育委員会にあげた2002年度休憩時間試行結果への意見は次の通りである。
 「明示した休憩時間は取れていないという予想はあったが、実態はそれを超えるものであった。制度の抜本的な改善か、人的配置を施す以外に方法はない。」
 高槻市立中学校は休憩時間を生徒の昼食時間に当てている。原告松岡の勤務校であった柳川中学校では、この時間帯は当然のことながら生徒は在校し、昼食指導・生徒指導や授業の準備等に当てられる時間であり、「一定場所で事実上拘束されて、その時間を自由に利用することなど到底できない時間」であり、これは「手待ち時間」(=労働時間)である。この時間帯では休憩が取れないことは訴状及び陳述書で縷々説明したところである。被告竹下校長の意見もその実態を正直にあらわしている。このような実態は2003年度も何ら改善されておられず、2003年度も休憩時間の取得が困難であった。(④の否認に関して)
2、中学校の担任教員にとって、昼休みは生徒との関わりで手を離せず、ゆっくり休憩を取る余裕はない。2002年度は3年生担任であり、学級に在籍する情緒障害がある障害児生徒のへの対応、その他の生徒の生活指導、進路関係についての生徒との対応で、昼休み中は走り回っており、気がついたら5時限目の授業に入っているというのが実態であった。特にこの年度のクラスに小学校時より不登校であった生徒が在籍しており、その生徒は3年生になり相談室登校をしており、昼休みにその生徒との対応をとるしかなく、その積み重ねのなかで高校進学が実現した。また、昼休みに情緒障害児生徒との対応もあり、この生徒も職業訓練施設への進学ができた。
 2003年度は1年生担任で、4校の小学校から入学した生徒を中学校の集団生活に慣れさせ、さまざまなトラブルを調整するには昼休み時間を使わざるを得ないのが実態だった。特に1年生の担任クラスには高機能自閉症の生徒が在籍し、頻繁に起こる生徒間のトラブルの対応に時間を取らざるを得なかった。また、クラスには人間関係や生徒指導で対応しなければならない生徒が多くおり、同時対応で息の休まる暇などなかった。
 また、2003年度は教育実習生担当で6月9日から27日までの3週間を実習生に対しての教材研究・特別教育活動の指導にあて、休憩時間もその対応に使わざるを得なかった。(なお、教育実習は「給特法」に基づき府条例で定める「限定4項目」以外である。)
 学校では会議とは定例のものだけでなく、臨時の会議が昼休みによく入るのが実態である。学年の生徒指導上の問題が起こったときは学年全体で対応しており、これは放課後だけはなく、昼休みを使わざるを得なかった。その他の諸会議なども入ってくるのが実情だった。中学校教員の休憩時間は昼食もそこそこに雑多な仕事をこなしているのが実態である。(⑤に否認及び⑥⑦の不知に関して)
3、最後に被告「準備書面(1)」の「なお」以降(2ページ)の「原告松岡は休憩時間に職員室で班ノートの点検や教材準備等行っている様子は見られなかった」とう主張については「いいがかり」としか言えない。付け加えると、2003年度は職員室の職員の状態がよくなく、もっぱら教科準備室(社会科には準備室がないので、理科準備室を借りていた)で諸々の仕事をしていた。「原告松岡以外の教員は、これらの事務を勤務時間内に休憩時間を使わないで処理をしている」というのは虚偽の主張であり、どのような根拠があっての主張か示されたい。
4、全体を通じて、中学校の実態は生徒とのさまざまな対応、クラス関係の諸事務・教科研究及び定期考査の問題作成と採点、進路関係の諸事務等どうしても自宅への持ち帰り仕事が多くなる。それを減らすためには休憩時間も使わざるを得ないのが実態である。なにも「好きこのんで」「自主的に」休憩時間に働いているのではない。これは管理職もよく知っていることなので、「黙示の命令」という他ない。

2)原告家保の反論

≪高槻市他の準備書面(1)で争いがない点≫

① 2002年度は1年生担任で、1学期の前半は、家庭との連絡を週2~3回の「学年だとり」で行ったきたこと
② 「学年だより」が、週1回・2週に1回と減ったこと、
③ 2003年度は、5・6年生の理科専科と5・6年算数のT・T主担、さらに養護学級児童の学習支援を行うことになったこと、庄所小学校は養護学級1学級を含めて8学級の小規模校であり、規模別加配は1名であること、その枠が「理科専科」になったこと
④ 「空き時間」が5時間/週であったこと

≪以下、不知、否認についての反論≫

1、被告恒岡校長が高槻市教育委員会にあげた2002年度休憩時間試行結果への意見は次の通りである。
 「授業終了後の45分を休憩に充てたが、児童との対応等でほとんど取得できなかった。来年度は一斉に休憩が取れるよう十分な検討が必要。」
 当時の実態はかくの通りであり、2003年度にそうした状況が解消されていない事は明らかである。まず、このことを主張した上で、以下の通り反論する。
2、「⑤子どもたちが下校した後は、当然、毎日の学年会(担任2名)、教材研究・教材準備に忙殺されることになり、休憩時間はほとんど取れない状態であったことは不知ないし争う。」について。
この部分に関しては、訴状では、当時の1年担任のみの状況を述べているのではなく、他学年の担任の状況も概ね同様であり、彼らもまた、休憩時間はほとんど取れない状態であったことを述べているのであり、準備書面4ページの7行目~9行目の解釈は意味をなさないものである。3、「⑥設定されていた休憩時間後は、ほぼ毎日、何らかの定例会議・臨時会議が組み込まれ、勤務時間内での時間的余裕など皆無であること。」「⑧他学年の「いじめ・不登校」の課題をどう克服するか等の臨時校内研究会が何度も持たれ、毎日の教材準備・学校行事の準備に休憩時間を当てざるを得なかったのが実態であったこと。」の否認、さらに4ページの10行目~14行目の解釈について、添付資料1を添え、以下の通り反論する。
原告の2002年度における会議に関わる校務分掌は、「研究部会(人権・道徳部)代表・指導部会(体育部)代表・高槻市人権教育研究協議会校内代表・校内推進委員会・職員会議・校内研」が主たるものであった。年間行事予定としての定例諸会議はそれぞれ月1回ではあったが、実際にはそれでおさまるようなものでなかったことは、添付資料1より明らかである。しかも各会議の所要時間が「半時間から1時間程度」というのは、平均値としてもあまりにも実態からかけはなれているといわざるを得ない。さらに臨時校内研についても年間4~5回などというものではなく、臨時打ち合わせや全体交流会も含め、最低7回は持たれている。さらに校内研を持つ前段階としては、研究部会・推進委員会・学年会などその都度持たれていたのが実情である。 
4、「⑦児童・保護者との対応に追われることが多かったこと。」の否認について以下の通り反論する。
論点が2002年度に関わることなので、原告の1年担任時の事例である。「児童との対応、保護者との対応」に追われることは、日常的に他学年担任も同様である。特に1年児童にあっては保護者の我が子に対する心情も様々であり、一見些細な事柄に思えるようなことでも担任に相談をかけてくるのは常である。また子どもたち同士のトラブルや忘れ物などの対応に、担任がそれこそ日常的に手を取られるのは当たり前と言える。この実態を否認するというのなら、管理職は現場の実態を全く認識できていないと断じていいのではないかと思われる。こうした実態を訴状にあげた主旨は、前述したような会議に追われる日々の中で、さらにこうした対応に時間を取られるという実態が「休憩時間」を取れなくしてしまっていることを認識していただきたかったわけであり、訴状の主旨をご理解頂きたい。
5、「⑨担任外の、主だった校務分掌の大半を一人で兼務すること。」の否認については、論点が2003年度に関わることなので、添付資料2を添え、以下の通り反論する。
 2003年度の校務分掌表は添付資料2の通りであり、全部で39の「部・委員会」のうち、原告はそのうちの15に所属している(15/39)。また全部で25ある各代表(長)のうち11(11/25)に位置づけされている。ちなみに他の教職員(事務・管理職を除く)の平均はというと、所属の重なりは4.8/39、代表(長)の重なりは1.8/25であり、原告が担任外とはいえ様々な部署で企画・立案・実務にたずさわることとなった。学校現場ではそれぞれの部署で企画・立案するだけではなく、主担として実務にも携わらねばならないのである。 4ページ19行目から5ページ1行目の解釈の中で、教育課程編成は教頭が行っていたということと推進部をリードするのが教頭であったということは認めるが、誤りを挙げると、時間割編成は10月(後期)にも行われること、指導部児童会の取り組みは一回毎の取り組みではなく継続した取り組みであること、集団部の代表は原告家保であり中心となって会議を進めてきたことである。例えば指導部の「児童会」では2002年度の研究部(人権・道徳部)の年度末総括をふまえ、4月には「縦割り集団(1~6年)」の編成について企画・提案し、職員会議での了承を得て5月に立案、6月に編成・発足、顔合わせの児童会集会開催、7月に「たなばた集会」、9月には縦割り集団を主とした運動会の取り組みに発展し、12月~1月にかけて「縦割り集団によるカーニバル」実施へと1年間継続した取り組みとなった。それぞれの節目節目で、企画・立案・実務作業と業務ははいってくるわけである。こうした多岐にわたる膨大な職務は、学校現場の教職員なら大なり小なり担っているわけで、原告のみではなく、「休憩時間」を取ることもままならずに「持ち帰り残業」が日常である教育現場の過重労働の実態を理解していただきたい。
6、「⑩5・6年の2学年にわたる理科・算数の教材研究、授業準備また理科実験がある場合の事前準備,後片付けに追われる日々がほとんど毎日続いていたこと」の否認について、以下の通り反論する。
2003年度の5・6年の大きな課題の一つに「学力保障」があった。前年度までの「クラスの荒れ」の状況により、培われるべき学力が不充分であった為である。その課題を克服するための組織的取り組みの一つが、算数の「T・T(チーム・ティーチング)授業」であった。その課題に応ずるために、原告は二日に一度は朝学習用プリントを準備し、毎日のように授業用のプリント点検・ノート点検を行ってきた。6年生は24名(養護学級対象児を含む)、5年生は36名(養護学級対象児を含む)、合計60名分である。プリント1枚の点検に1分かかればプリントだけで約1時間費やすることになる。勿論、授業中での点検もあるが、ノート・テストの点検、朝学習プリントの点検などが常にあるわけで、算数の点検作業だけで毎日2時間程度は費やしていた。当然、教材研究や準備がそれに重なる。⑩に関して、さらに5・6年の理科は2学年で週6時間になる。実験教材も多く、2学年の実験準備、後片づけに費やす時間は、2時間の実験では1時間は必要となる。週5時間の空き時間のなかでこうした業務をとうてい処理できない。10分休み・20分休み・給食をかきこんだ後の昼時間(担任外なので給食指導はしなくてよい)、それでも足らず放課後の会議前、さらには会議後の残業と業務は続き、揚げ句の果ては持ち帰り残業となるのがおちである。授業の準備・処理だけならまだしも他の校務分掌の業務も重なり、まさに「追われる日々」が続いていたのが実情である。4ページ17行目~18行目の「誇張以外何物でもない」という解釈にどんな根拠があるのか示していただきたい。

3)原告志摩の反論

≪高槻市他の準備書面(1)で争いがない点≫

① 2002年度(5年生担任)の1学期に林間学校の行事があったこと(6月13日、14日)
② 高槻市の研究委嘱校の指定を受けたこと。
③ 2003年度に理科専科とコンピュータ情報主担であったこと。
≪以下、不知、否認についての反論≫
【勤務時間終了後の残業実態に関する不知・否認への反論】
 終業時間以降、原告を含め多数の教職員が職員室や教室等にて残業をしているのを被告高浜校長は現認している。原告の1例として、コンピュータ室機器の入れ替え時の終業時間後残業を現認し、旧コンピュータを職員室で再利用するに伴う作業時の終業時間後残業を現認・休日出勤の自己申告報告を受けている。
 また年間を通じて大半の日、残業している教職員よりも早く終業し学校現場から退出していた校長には、教頭に指示する等の方法で教職員の終業時刻(残業による退出時刻)を把握する責務がある。
 以上により被告高浜校長は、原告の残業実態を現認しているにも拘らず偽証し、労働者の勤務時間管理の責任放棄による職務怠慢を為していると言わざるを得ない。
 厚生労働省2001年4月6日付け『労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準』には全ての事業所の使用者に対して、労働者の勤務時間の管理責任を課している。そして、始業・就業時刻の確認・記録方法として使用者の現認・記録、客観的記録、自己申告制による記録のいずれかの方法による労働時間の記録を労基法109条に基づき3年間保存することを義務付けている。
 従って原告の残業実態を証明するために、2002年度と2003年度の原告の始業・就業時刻記録を証拠書類として提出することを求める。
(以上④⑥の不知)

【休憩時間中の勤務実態に関する不知・否認についての反論】
 休憩時間明示に伴う実態調査結果から、被告高浜校長が高槻市教育委員会にあげた2002年度休憩時間試行結果への意見は次の通りである。
 「児童への対応や教材研究等で、なかなか取得できない現状。時間変更等の工夫をしても子どもとの対応が長引き取得は厳しかった。」
 研究委嘱校の指定を受け、5年生が11月に研究発表をするまでの取り組みは、1学期の『お米』に関する総合的学習に引き続く発展学習として「アジアの人々・暮らし・文化」について5年生の子ども達の取り組みである。地域の学習田を活用した6月の米作り学習から長期に亘り継続した子どもの活動・取り組みを、「一部を担ったにすぎない」と発表当日のみの活動にしか言及できない校長は認識不足と言わざるを得ない。
 ホームページの更新は1学期も行い、3回であるので校長の誤りを指摘しておきたい。
 また、職場から離れた場所で行われる情報主担者会議の開始時間に出席するには、交通時間を考慮すると最低3時15分に職場を出て行く必要があり、会議終了の5時過ぎまでに休憩時間が取れなかった日が少なくとも6回あったことが校長の準備書面にて明らかになったことを指摘しておきたい。
 高浜校長は、休憩時間中に原告を含め多数の教職員が職員室や教室等にて仕事をしているのを現認しながら、教職員の健康を守るため休憩を取るように指導しなかった。また職員会議等の会議が休憩時間中にかかって行われていたことを黙認していた。『黙示の命令』である。
 高浜校長は、組合による校長交渉の席で文書明示を求めたにも拘らず、被告校長らの中でただひとり2003年度の休憩時間の文書明示を為していない。
 以上により校長は、原告の休憩時間中の勤務実態を現認しているにも拘らず偽証し、休憩時間を取るように指導せず原告の休憩時間取得を侵害した。
 原告の休憩時間中の勤務実態を証明するために、2002年度休憩時間明示に伴う実態調査結果集計の基となる原告が校長に提出した自署名入りのアンケート記録を証拠書類として提出することを求める。
(以上④⑤⑦⑧⑨⑩の不知・否認及び補足)

4)原告末広の反論

≪高槻市他の準備書面(1)で争いがない点≫

① 2002年度はNIEの研究指定を受けたこと
② 2003年度は、5年生担当で林間学校や児童会の行事があり、その計画や児童と一緒にやる準備が多かったこと
③ 両年度とも、電話の近くに席があったこと

≪以下、不知、否認についての反論≫

1、はじめに 
 2002年度高槻市教委に対して被告佐竹校長は、休憩時間試行に対する意見を、「電話、来客対応、教材研究等のためとりにくかった。しかし、意識づけとしての効果はあった。」と上げている。職員は「休憩時間があるんだ」という意識は持っていたのだが、実態としては「取りにくい」状況にあったのである。2003年度はどうか。学校現場の忙しさに変わりはなく、休憩時間取得のために改善されたことは何もなかった。また、「意識づけ」はされたとしても教員個人の意識や努力で休憩が取得できるようにはなり得ない仕事量であった。従って、2003年度も休憩時間取得が困難であったことは変わりない。
 すでに陳述書で述べているが、学校現場は通常の状態でも休憩時間の取得は困難である。ここで取り上げているNIE(「教育に新聞を」の英語略)の研究発表や林間学習の取り組み、児童会の取り組みは「通常の状態」の上に重なっているものである。行事等によって休憩時間取得がさらに難しくなった状況を明らかにしたのである。
 以上のことを主張した上で、以下の通り反論する。
2、④「準備に追われて休憩時間はほとんど取れなかった」についての不知・否認について
私の勤務校であった竹の内小学校は2001年度よりNIEの研究指定校であった。2002年度は2年目に入り公開授業が当たっていた。その授業をするのが3年生で、私の担当学年であった。授業を公開するということは、事前の取り組みが必要であり、準備に多くの時間がいる。11月22日の公開授業に向けて1学期から、総合的な学習ではNIEを中心にして取り組んできた。そして、運動会(9月30日が雨のため10月2日)が終わってからはさらに集中的に取り組み、公開月の11月になると通常3時間の総合的な学習の時間は1週目5時間、2週目10時間、3週目8時間にもなった。その1時間ごとに事前の話し合いや準備があり、授業後の反省や点検がある。10月、11月にある多くの行事や会議、出張の中でこれだけのことをしようとすると時間は足りない。足りない分は休憩時間に食い込み、超過勤務になり、持ち帰り仕事になった。3年生担任の同僚は保育所の迎えの時間をいつも気にしながら超勤をしていた。管理職、特に教頭はこの様子を現認していたはずである。NIEの研究指定(管理職の希望も強かった)は学校が受けたものであり、学校全体で取り組みがなされたものである。従って管理職は各学年の、とりわけ代表として公開授業を担当した3年生の取り組み状況(進度や忙しさ)を当然把握していなければならない。
3、⑤「6時間目が終わってから児童と一緒にやらねばいけないので、休憩時間にやることになったことや計画等も休憩時間にやらねばやりきれなかったこと」についての不知・否認について
2003年度は5年生の担当になった。私のクラスには自閉的傾向の子、不登校の子、養護学級入級の子、すぐにキレてしまう子などがいて、個別の指導や連絡等の配慮がいった。学年全体も落ち着かず、よくトラブルが起こった。担任2人は毎日子どもたちの様子を情報交換し、必要に応じて保護者への連絡や家庭訪問をした。それらは20分休みや昼休み、放課後(休憩時間から勤務時間外まで)等に時間をかけてていねいにやらねばならなかった。こういう状況の中で学期初めの取り組みや行事をこなし、5年生で最も大きな行事である林間学校に向けての取り組みを始めたのである。大きな行事であるため事前の準備には多くの時間を費やす。まずは下見に行き、宿泊や活動の相談、旅行社とはバスや行程の確認、保護者への説明。子どもたちとは班分けやしおり作り、係活動の打ち合わせや練習、行程や持ち物の説明など。さらに担任同士での打ち合わせも時間をかけて綿密にやらねばならない。また、児童会行事である「児童会祭り」は交流学年の3年生と一緒に取り組むが、高学年である5年生がほとんどの計画、準備をやらねばならないのである。2例を挙げたが、これらの取り組みは授業時間はもちろん、休み時間や放課後にもかかる。放課後には当然、休憩時間や勤務時間外が含まれる。しかし、そうしなければ間に合わないのである。私たちの休憩時間を行事の準備に当ててしまっている実態は毎年繰り返されている。管理職は当然知っている。それなのに「不知」「否認」というのは到底理解できない。また、「これらの計画や準備は、1年を通じて行わねばならないものではなく」(7ページ、4行目)と述べているが、とりわけ忙しい時期を挙げているのであって、休憩時間が奪われている事実は何ら変わらない。
4、④「休憩時間に職員室に管理職がいない時にその対応に追われ休憩が取れないことが多々あった。」についての不知・否認について
職員室での職員の席は担当学年で決まるのでこのこと自体は仕方のないことである。また、「電話対応は、休憩時間に限らず、管理職が対応する」(7ページ、5行目)は当然のことである。しかし、ここに取り立てて挙げたのは「通例」と言えない状況があったからである。2002年度から休憩時間の試行に入ったにもかかわらず、この2年間休憩時間の電話対応に対する配慮は何もなかった。そのため近くにいた私が多くの電話対応をすることになった。休憩時間とはいえもちろん学年会等をしていたわけであるが、その会議を何度も中断して対応し、取り次いだりメモを取ったりした。校長室にも何度も取り次ぎに行っている。特に2003年度については教頭が病気で休んだので、代替者を要求したが認められなかった。そのため、その間とそれ以後(まだ教頭の体調が万全でなかったので)はさらに頻繁になった。「原告末広のみが殊更に日常的に命令によって行っていた訳ではない」(7ページ、6行目)とあるが、管理職が対応しなければ近くの誰かが対応するのは分かっていることであるし、誰も対応しないことは学校の信用にも関わる。従って「黙示の命令」であることは明白である。
5、おわりに
私がいままで休憩時間にやってきた仕事で「むだ」なものはない。授業や行事、学力保障、子どもとの信頼関係や保護者との信頼関係を築く等のために不可欠なものばかりである。これらは正規の業務そのものなのだ。教員が休憩時間に正規の業務をやっていることを管理職は現認している。それは「黙示の命令」に他ならない。

5)原告長谷川の反論

≪高槻市他の準備書面(1)で争いがない点≫

 被告高槻市は、準備書面(1)(平成16年8月25日)の7ページ8行目から8ページにおいて、原告長谷川の主張のうち、
① 大冠小学校では、通常、休憩時間が終わった4時15分から会議がもたれたこと。
② 2002年度、原告長谷川は、高槻市教育研究会小学校生活部の部長をしていたこと。
③ 担任した1年のクラスには養護学級在籍児童がおり、児童数も40名に近かった。
④ 養護学級在籍児童の学童保育が5時下校であること。
⑤ 翌年度は3年担任をしたこと。
をいずれも認めている。

≪以下、不知、否認についての反論≫

⑥ 休憩時間に研究会準備の電話連絡や事務作業など、会議開始前の休憩時間の間に行わなければならず、会議が終わってからでは、電話先の相手をつかまえる事ができないからであるとの点。
⑦ 2003年度も含め、休憩時間がとれる条件下では全くなかったとの点。
⑧ ノートの点検、テスト・プリントのマル付け、保護者への連絡、子どもの補習、明日では間に合わない学年会の打合せ(授業、学年行事、会議に関わるもの)も入ったとの点。
を被告はいずれも否認し、
⑨ 子ども達が下校したあとの休憩時間に養護学級在籍児童への連絡帳を書いたり、明日までにすまさなければならないノート・プリントのマルつけや点検をしたとの点。
を不知とした。また、
(ⅰ) 長谷川が休憩時間に研究会のため電話連絡や事務作業を行っていたかどうか、
(ⅱ) 会議は定例職員会議が第1水曜日、校内研究会が第3,4水曜日など、事前に日時が定められているものが多く、なぜ、会議のある日の休憩時間にしか連絡できなかったのか、
(ⅲ) 学校間の連絡等は、FAXやコンピュータネットワークを利用したメールによることも可能であり、これらの方法によったか否か。
(ⅳ) 早く知らせなければならない連絡とは何を指すのか。 
 いずれも不明であるが、休憩時間の途中に行わなければならない性格のものでない。 ・・(A)
 補習は月曜日の6校時としていたが、7月に爆弾脅迫電話事件等が発生したため、補習を禁止しており、休憩時間を午後3時30分から4時15分(水曜日は午後2時40分から3時25分)までと明示し、この時間帯に職務命令を出したことはないと強調しておきたい。 ・・(B)
と主張する。

以下、原告長谷川の反論

(ⅰ)について反論する。
原告長谷川は大冠小学校職員室にある校長の机上の電話機を使って連絡業務をしていた。校長の隣に机を並べている川崎勝巳教頭が、長谷川が電話をかけている時、座っていることが多かった。同教頭が現認しているはずである。長谷川が職員室で休憩時間中に作業している時、同教頭が通りすがりに長谷川の作業を現認している事もあった。
(ⅱ)について反論する。
 原告は被告高槻市の訴状内容誤認を示唆したい。原告長谷川は、訴状の中で「勤務時間終了の5時15分すぎに相手の学校に電話しても、既に相手は学校に不在か、会議延長である事が多く、相手と連絡がとれる可能性は少ない。だから、会議前に電話せざるを得ない。」という旨、主張したのであって、会議のない日も当然、電話連絡の業務をしているのである。①
(ⅲ)について反論する。
 高槻市の教員は、市からPCもメールアドレスも配給されていない。(各学校のアドレスは学習用であって業務用ではないと認識している。)個人のアドレスや通話料を使用して各学校連絡に使うのは不当であるし、そのような校長からの指示・命令も当然ない。又、多忙な職場で働く人間にとって、FAX書面往復で例会の打合せを行うより、電話の方がはるかに短時間で済む事は自明の理であろう。FAXを往復させるにしても、休憩時間以外で書面作成可能な日時を選んで返事を書き、発送しろということなのか。そんな業務はありえない。被告高槻市の反論は非常識である。
(ⅳ)について反論する。
 大冠小学校教員は常時、「報告・連絡・相談」(学校用語で「ほうれんそう」という)「報告・連絡・相談は上司にも保護者にも迅速に」という指示を被告山口校長(当時)から受けていた。長谷川が上司の指示に従った事は正当である。
 養護学級在籍児童の連絡帳について。毎日B6版連絡帳1頁ぐらい、長い時は2頁、保護者への報告を書いた。当該児童の朝のようす、休み時間、授業時間で気がついた事、どのくらい給食を食べられたか、健康面、宿題など連絡すべき事を毎日書き、当該児童の学校生活への親の理解を得られるよう努めた。連絡帳は、職員室で書く事も多かった。管理職が部下の業務について現認しているはずである。

(A)について反論する。
 証拠として、「平成14(2002)年度大冠小学校行事予定表」と「平成15(2003)年度大冠小学校行事予定表」をあげる。(添付資料3、4)

《具体例》
 「平成15(2003)年度 大冠小学校行事予定表」5月、6月を見ると、家庭訪問が8日(木)(2時~6時20分頃まで)から始まり、9日(金)(2時~5時50分)、12日(月)(2時~4時40分)、13日(火)(2時15分~6時30分)15日(木)(2時~4時)、と続いた。1学期当時、35人クラスであったが、夜しか時間の都合がつかない保護者もあり、上記の如く家庭訪問が続く。9日に保護者の変更願があり1時間ブランクができたが、マルつけや明日の授業の準備をせざるをえない。
 14日(水)は高槻市教育研究会の第1回部会があり、原告は、同じく3年生を担任した原田加代子教諭と小学校理科部会の役員になったので、5時過ぎまで理科部会に拘束された。
 家庭訪問の間は、いっさい休憩時間はとれない。休憩時間45分間を空けて家庭訪問のスケジュールを決めることは不可能である。たくさんの保護者が忙しくそれぞれ時間指定を乞われるからである。
 16日(金)は予備日であったが、翌日の休業日17日(土)の土曜参観の準備に追われることになる。土曜日はふだんよりたくさんの保護者の参観があるので、教育活動に親の理解を得るため、教員は周到に工夫準備する。参観教材準備、家庭訪問に追われ出来なかった教室整備、マル付け(担任は4教科のマル付けプリントを抱えている)も含めて仕事は山積みである。
 校長が超過勤務を命じないとされる(教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合に関する規程第3条)勤務時間終了後に学校で残務作業をしたり、家に持ち帰って作業をしたり、あるいは前日休憩時間に作業をして初めて、参観行事が可能になったのである。
その他の具体例
 両年の体育大会後の10月、11月のスケジュールを見ていただきたい。会議、行事のすしずめである。
 平成15年度(2003)年度の9月予定表に追加で書き込んだが、27日(土)の体育大会明けの30日(火)に、原告長谷川が担任した3年生とJICA(ジャイカ、国際協力事業団)からの研修生との交流会が持たれた。この行事は総合的学習の国際理解教育の一環として行われるもので、児童は総合的学習の発表をしたり、体育大会で踊った踊りを披露した。それだけではない。3年児童は英語の挨拶を覚え練習したりする。それらの準備は体育大会の準備と並行して行わなければならなかった。英語の挨拶プランを準備するのは担任の仕事であったし、30日のスケジュールを変更する術はなかった。
 校内的に見ても大きな行事が連続するに事は日常茶飯事である。
 同平成15年(2003年)10月29日(水)6年修学旅行の前日に、出発式が行われた。全校生を対象に、6年生が広島へ修学旅行に行く決意を述べる大切な行事だ。その同日、全米No1教師が、大阪府と高槻市教育委員とともに来校。6年生は学校の代表として役目を引き受けることになった。行事が重なる中、それらの対応や準備、同時に日常の学習の準備点検を会議の合間をくぐり抜けてしなければ次の行事が間に合わない。「会議の合間」とは、休憩時間と勤務時間終了5時15分以降の超過勤務時間しかないのである。
 以下、被告に釈明を求める。
 超過密行事の準備対応、日常の学習の準備点検をする時間を休憩時間と勤務時間終了5時15分以降の超過勤務時間以外のどの時間帯ですればいいのか、行事予定表(添付資料3,4)を見て釈明していただきたい。
 被告山口校長自身、2002年度に高槻市教委が行った休憩時間の校長向けアンケートの中で「休憩時間には、児童・保護者への対応が入ることが多い。」と、休憩時間に業務が入らざるをえなかった事を認めている。さらに「児童がいる間は、休憩をとるという意識が薄い。」と同校長は続ける。全校的に休憩時間をとれる雰囲気ではなかった事をこの一文が明らかにしている。

B)について反論する。
 「補習は月曜の6校時としていたが」は被告の誤認である。
 月曜6限補習は「大冠タイム」として2004年度から全校で実施し始めたもの。2002,2003年度は全校的設定はなく、原告も月曜6校時にこだわらず、クラスで必要な時に補習を行っていた。②
 「7月に爆弾脅迫電話事件等が発生したため、補習を禁止している。」とあるが、脅迫電話事件の発生は2003年7月14日。(勿論この日は、地域保護者への説明会が終わり退勤する20時40分まで、休憩時間は取れていない。)2002年、2003年の事件発生前7月13日まで、長谷川がクラスで不定期に補習をしていた事実を覆い隠している。③

 以下、被告に釈明を求める。
 「(ⅱ)について・・①」、「(B)について・・②」の2点において、被告高槻市は、故意に誤った主張をされたのか。
 「(B)について・・③」において、同被告はなぜ事実隠蔽されるのか、その理由について釈明されたい。
 「休憩時間を午後3時30分から4時15分(水曜日は午後2時40分から3時25分)までと明示し、この時間帯に職務命令を出したことはないと強調しておきたい」とあるが、
1)休憩時間までしなければならない膨大な業務があることは、「Aについて」でさきほど述べたとおりである。
2)また、山口校長(当時)は、全教職員が休憩できる場所を指定し、「休憩をとって下さい。」と、2002年、2003年度に全教職員に呼びかけた事はいっさいなかった。休憩時間に業務を行っている教員に、仕事をやめて休憩を取るよう促した事もいっさいなかった。
3)その上、管理職を除く全教職員がいっせいに休憩できる場所は、大冠小学校にない。職員室後方に、ついたてを立て、テーブルとパイプいすを置いた場所があり、教員がそこでお茶を飲んだり、ひと息ついたりしているが、職員室は仕事をする場所である。たとえそこで休憩・休息をとろうとしても「手待ち時間」に過ぎず、現に児童は用事がある時、職員室にいる教員をしじゅう呼びに来るし、保護者が面会を求める時もある。
 男性更衣室、女性更衣室のロッカーの奥に、女性は6畳程度の、男性は7畳程度の和室がある。休養室として設定されているが、女性教職員の人数は16人、男性教職員の人数は10人(管理職を除く)。女性一人当たり0.375畳。男性一人あたり0.7畳のスペースとなる。大人一人が正座若しくは足を伸ばしてぎっしりになるスペースである。 全員が一斉にこのスペースの中で、のびのびと休憩をとることができるだろうか?もちろん取れない。労基法に基づいた休憩時間を取る態勢が大冠小学校に存在しないのだ。
 
1)~3)の事実を鑑みるに、休憩時間とは労働基準法に謳われ罰則規定まである強行法規である。であるにもかかわらず、大冠小学校では休憩時間は明示されても、教職員は休憩を一斉に取ることができる場所も提供されず、休憩時間にせざるを得ない膨大な仕事に追われ、山口校長さえもその実態を認め、(「Aについて」を参照)「休憩をとって下さい。」と部下に呼びかけない、という実態があった。
 これは、せざるをえない膨大な仕事を休憩で中断することなく続ける必要性を、同校長は暗に認めていたのである。
 ここに「黙示の命令」の存在がはっきり見える。
 もし同校長が黙示の命令の存在を認めていなければ、労基法は強行法規であるのだから、校長は「法律で決められています。ただちに仕事を中断し、休憩を取ってください。」と、毎日職員室で呼びかけたであろう。そのような事実は皆無であったのだから、黙示の命令の存在は明白である。

6)吹田市の休憩時間試行実施モデル校の取得実態
 大阪府教委は2003年度に休息時間の制度化にあわせて、「休憩・休息時間の確保に向けての運用(メモ)」を提示し、直接に監督権のある府立学校(府立高校、府立養護学校)及び指導関係にある府下市町村教育委員会に以下のような休憩・休息時間確保のプログラム(案)を提示した。
 大阪府教委のスケジュールは
 1)平成15年度については、各校での休憩時間・休息時間の確保及びその実態把握とする。
 2)平成16年度については、平成15年度の1年間の取り組み情況を調査・検証し、確保できていない学校について、年度中に確保にむけて重点的に取り組むものとする。
 3)平成17年度において、休憩時間・休息時間が確保された情況をめざす。(*これが本格実施)
 このような府教委の指導と大阪教育合同労働組合吹田支部の要求があり、吹田市教委は2003年度3学期に5校のモデル校で休憩・休息時間の試行実施を行った。そのうち休憩時間の取得実態を「休憩・休息時間の確保に向けたモデル校実施を終えて」(吹田市教育委員会教職員課)に見てみる。
 休憩時間の取得状況は、
A小学校・・実際はほとんど取得できなかった。
B小学校・・①取得できた        0%
      ②時々取得できた     41%
      ③取得できなかった。   59%
(②+③で100%)
C中学校・・①取得できた       33%
      ②時々取得できた     10%
      ③取得できなかった。   57%
(②+③で67%)
D小学校・・①取得できた     15.6%
      ②変更して取得できた  4.3%
      ③時々取得できた    6.3%
      ④取得できなかった。 73.8%
      (③+④で80.1%)
E中学校・・①取得できた       37%
      ②部分的に取得できた    7%
      ③取得できなかった。   56%
(②+③で63%)
 以上見たように吹田市の試行においても高槻市の2002年度休憩時間取得実態調査同様、休憩時間はほとんど取れていないことが例証された。教職員が「休憩時間」を取れないのは、原告らだけではないのである。

7)小括・黙示の命令論
 原告らの反論は休憩時間に労働が連続した実態は被告校長らも知っている事実であり、そこに「黙示の命令があった」と主張する。校長の「黙示の意思表示(黙示の命令)」については島根県教組超勤事件の松江地裁判決(1968年4月10日)では次のように規定する。(「労働判例」1971・7・15)
 「そこで、どのような場合に、黙示の意思表示があったとみるべきかを一般的に考えるに、①校長が具体的個別的にまたは包括的に(例えば年間を通じたものとして)ある職務を命じた場合において、その職務が当然勤務時間外になさなければならないものであるときまたは客観的にみて時間外にわたることが予定されているものであるときには、その職務に客観的に必要と認められる時間について、②校長または職員会議がある催しを学校行事として実施すること決定した場合、その学校行事(その準備を含む。)が勤務時間外に実施されまたは勤務時間内から勤務時間外にわたって続行される場合には、その実施に要する時間について、③校長自身が出席して主催する会議が勤務時間外に開催されまたは勤務時間内から勤務時間外にわたって続行される場合においては、その会議終了後までの勤務時間外の時間については、いずれも校長の黙示の超勤命令がなされたものと解するのが相当である。」
 以上のように判決は黙示の超勤命令を定義し、この事件では黙示の命令があったとし、超過勤務手当を支払うよう命じた。本件休憩時間未払賃金等請求事件は原告らの反論のなかで縷々述べたように校長の「黙示の命令」下の勤務であり、請求は当然認められるべきである。
 しかも本件においては、原告らが休憩中に業務をなしているにも関わらず、被告校長らは、それについてとくに「休憩中に必要ない業務である」という指示もしていないし、意見ものべてない。校長らは、その休憩中の業務と休憩時間後の授業等、児童生徒への指導が連続的であることも承知しており、当然、業務が黙示の命令によってなされているものと解される。原告らは休憩中の業務が、不必要であるとか、後で処理可能であるとは考えておらず、その点において、「校長の黙示の命令」以外であると考える余地はなかったのである。

8)求釈明
1、原告松岡に関して、高槻市他の「準備書面(1)」(2ページ、23行目)「原告松岡以外の教員は、これらの事務を勤務時間内に休憩時間を使わないで処理している」とあるが、その根拠を示されたい。
2、原告家保の反論中の「4ページ17行目~18行目の『誇張以外何物でもない』という解釈にどんな根拠があるのか」の求釈明に答えられたい。
3、原告志摩の反論に関して、情報主担者会議があった原告の出張日に、休憩時間がとれる状況であったかを明らかにれたい。
 2003年度の休憩時間の文書明示を為さなかったのは何故か、校長の見解を明らかにされたい。
4、原告末広の反論に関して、NIEの公開授業や林間学習の膨大な事前の準備をどんな時間帯にやっていたと把握されているのかをお聞きしたい。
5、原告長谷川の反論中の「求釈明」について答えられたい。
①「(ⅱ)について・・①」で、原告長谷川が会議日のみ電話連絡業務を行っていたという誤った主張、「(B)について・・②」で、2004年度から実施開始した大冠タイム(全校補習時間)を2002年、2003年度も実施していたという誤った主張・・これらの誤った被告高槻市の主張は、故意であったかどうかについての釈明をされたい。
 「(B)について・・③」において、事件日が2003年7月14日であって、2002年度と2003年度の事件日まで全面補習禁止の事実はなく、その間、原告長谷川が不定期に放課後補習をしていた事実を隠蔽した理由についての釈明をされたい。
②超過密行事の準備対応、日常の学習の準備点検をする時間を、休憩時間と勤務時間終了5時15分以降の超過勤務時間以外のどの時間帯ですればいいのか、行事予定表を見た上で、釈明されたい。
5、高槻市教委は大阪府教委に先駆けて、2002年度より休憩時間の試行をしたが(大阪府教委の府立学校での試行は2003年度)、2003年度よりの完全実施の予定を「府教委が試行であるので」と2003年度、2004年度も延期し、試行の継続とした。大阪府教委は休憩時間完全実施の予定を2005年度としているが、高槻市教委は来年度に休憩時間の完全実施をなされるのか。もし完全実施がなされないなら、休憩時間の保障ができていないことの例証になると考えるが、いかがか。