学労ネット

休憩時間をもとめる私たちは
はたしてぜいたく者でしょうか?

2004年4月21日掲載

==私たちは休憩時間の保障をもとめる裁判をおこしました。==

このHPをご覧頂いているみなさん。
次の問いの答えをご存じでしょうか?

Q1大阪府高槻市の教員は、いつごろから休憩時間を与えられていたのでしょう?

(1)約60年前(1945年)から
(2)約10年前(1995年)から
(3)約2年前から(2002年)から

答えは(3)です。大阪府高槻市の学校に休憩時間が試行され、3年目になります。つまり20世紀の間、私たち高槻の教員は休憩を取ることができなかったという事です。

正確には、大阪府条例・規則、高槻市条例・規則に、「教職員の休憩時間」は記載されてはいましたが、いわゆる店ざらし状態でした。

高槻市では2年前に休憩時間が「試行」され、また、大阪府では、昨年に休息時間が制度化され、休憩・休息時間が「試行」されたました。

よく「子どもの休み時間に、教員は職員室でコーヒーでも飲んでいるんだろう」とか、「給食の時間が食事時間で、休憩に相当するでしょ?」とか言われます。このように言われるたびに、私たちはため息をつくほかありません。

子ども達の20分休みに、私たちは、子どもの勉強の補習や子ども同士のトラブルの解決、あるいは次の授業の準備など、職員室に帰り着く事はできません。給食の時間は、配膳・食事の指導をしながら、自分の食事は5分ぐらいですまし、あとはマルつけや再び食事指導、ということになります。

毎日、休みをとらずえんえんと40年近く働き続ける事は、健康に良いはずがなく、昔は、定年でやめてすぐ、ろうそくが燃え尽きるように死んでいった教員たちがいました。

今は、定年まで耐たず、体をこわしたり精神疾患をおこしてやめていく人。あるいは現職で病死・自死する人が大幅に増えています。

私たち教員は使い捨ての機械ではなく、人間なのです。
そして、子ども達は何よりも、元気で、気持ちに余裕がある人間に教えられたいのではないでしょうか?

私たちは、休憩時間試行開始から2年間、記録をとり続け実際にはほとんど全く休憩時間がとれていないことに気づきました。これではいけない、本当に休憩時間がとれる環境を作っていこう・・ということで、2年間の休憩時間がとれず、その時間に働かざるをえなかった賃金未払い分を請求する訴訟を起こしました。日本教育労働史上、初めての訴訟ということです。

「こんな不景気な時代に休憩もへったくれもないだろう。」と
おっしゃる向きもあるかもしれません。しかし、私たちが働く条件や生命を大事にしていくことが必ず大阪で働く大人や子ども達に良い結果を生むと、信じています。どうかご理解と厚いご支援をよろしくお願い致します。

       2004年4月21日

              学校労働者ネットワーク・高槻