学校から

愛国心へ子どもを連れさる「心のノート」

2003年10月12日掲載

*一作(中学1年生担任) 
momo pon(中学2年生の子をもつ母)

(一作)
ひさしぶりに「心のノート」(中学生用)を開いてみたけど、歯の浮く言葉の羅列だね。しらけてくる。
「いまここに23の鍵がある」(P8~9・クリックするとそのページを表示します)が「心のノート」の見取り図だね。
(momo pon)
一作さん、前からこの「23個の鍵」が気になっていたんだけど、どこからその数字が出てきたんだろうね~。(笑)数字っていかにも科学的に証明されたものかのように錯覚を起こさせるけど、むしろ「心のノート」に似つかわしくない。
何故なら、このノートは数学的思考も科学的な視点も曇らせ、社会的批判を封じ込める子ども像をつくるものだから。
(一作)
これね、「学習指導要領に示された道徳の『内容』を平易な言葉で簡潔に示したページ」(文部科学省「中学校心のノート活用のために」)だって。徳目だね。
大項目が4つあって、「自分自身」「他の人とのかかわり」「自然や崇高なものとのかかわり」「集団や社会とのかかわり」だ。それぞれに小項目がある。
しかし、その続きのページが「心で見なければ本当のことは見えないんだよ」というサン・テグジュペリ『星の王子さま』の引用だからくさいね。『星の王子さま』ファンが怒るよ。最終的には心の問題に還元しようとする魂胆がみえみえだ。
(momo pon)
本当は「心で物事を見ること」が一番不確かな尺度なんだけどね。100人いれば100通りの価値観があるから、同じ尺度なんてない。しかし、この「心のノート」ではいつも他人や集団を意識して集団の一部に組み込まれるため、個を没しろと言ってるのだから、違う意見や考えを言えないように子どもを追い込み、ストレスにさらすよ。非常に危険だよね。
(一作)
自分自身からはじまり、人間関係、自然と崇高なものときて、 集団と社会へとずらしていって、最後には「愛国心」(「この国を愛し、この国に生きる」)だ。本庄豊さんがこのホームページ「心のノート・ガラガラポン」の「うしろから読む『心のノート』」でこの点を展開されているのにならって、僕たちも後ろから読んでみようか。
(momo pon)
小学生用と中学生用の大きな違いは、中学生用にはもろに「愛国心」「日本人としての自覚」などのすり込みが露骨に出てくるよね。後ろから読むっておもしろいと思う。この「心のノート」が意図する悪魔の顔がクローズアップされてくる。
(一作)
大項目4の「集団や社会とのかかわり」は次のように続く。
「仲間がいてキラリと光る自分がいる」
「法やきまりを守る気持ちよい社会」
「つながり合う社会は住みよい」
「不正を許さぬ社会をつくるために」
「私たちの力を社会の力に」
「大切な家族の一員だから」
「自分の学校・仲間に誇りをもって」
「郷土をもっと好きになろう」
「この国を愛しこの国に生きる」
「世界に思いをはせよう」

義務と公徳心

(一作)
「集団の中の自分に胸を張れ」(P84~85・クリックするとそのページを表示します)は例によって書き込みの誘導尋問だね。「多くの仲間が、人の役にたちたいと考えています」って、ほんまかいな。まずは「個人」がどう社会のなかで扱われているか、ほんとうに大切にされているかどうかと思うがね。
(momo pon)
まったく、そうだよね。個人が大切にされて初めて健全な社会があると思うけどなー。EU諸国の個人主義を「心のノート」を書いた人達は学んでいないんちゃう?個人主義を利己主義と勘違いを起こしているアホなのかしら?
(一作)
続いて、
「ルールとはなんのためにあるのだろう?」(P88~89・クリックするとそのページを表示します)では、「権利」より「義務」を強調するというお定まりのコースだ。
「やるべきことをやらずに自分の権利だけを主張する人」「他人の権利は認めないのに、自分の権利を押し通そうする人」を否定的材料として、「義務を果たすこと」と「社会生活の秩序と規律」を「ルール」として刷り込む。いやな感じだね。
(momo pon)
「子どもの権利条約」では子どもにあるのが権利、大人や国が義務を背負っているよね。ノルウェーの教科書には年齢に応じた「子どもの権利」が出ている。そして自己決定権を学ばせている。ストライキや不服従ができることを学ばせているの。徹底的に「個人」を尊重しているし、驚くことに、全ての在ノルウェー外国人の母国語保障を公教育でやっているのよ。日本とはえらい違いでっせ!マイノリティを小学校低学年から学ばせ、必ず肌の色が違う人を載せ、人種や文化の違いを認める教育をしている。こんなことが国際的な視野を広め、人権を尊重する教育になると思うんだけど、「心のノート」は反対のベクトルなんだよね。
(一作)
次のページは「自分だけがよければいい人」のオンパレード。子どもたちは、この「公徳心」のない人びとのカリカチュアを見て、「いいージャン」とは言えないよね。
「公徳は、社会生活の中で私たちが守るべき道」「でもいまの世の中は、自分だけがいいという人が多すぎると思いませんか」ともってきて、「社会連帯とは、一人一人が助け合い励まし合いながら、ともに手をたずさえて安心して生活できる明るい社会を築いていくこと」とし、結局、ボランティア活動こそが「社会連帯」だとする。
ひどいね。不況とリストラで失業し、町にホームレスが増えている現実にはふれない。福祉や教育の切り捨て、退職したって年金すら先の保障がない社会になっているのに。現実には目をむけさせない「心のノート」の本質が明らかだね。
(momo pon)
まず、子どもは安心して大人社会から守られる存在であるということが抜けて「公徳心」もへったくれもないでしょう。ボランティアもただ働きをよしとしたり、よい子ちゃん作りにはもってこいよね。労働に対する正当な賃金報酬があって働く喜びがあると思うの。サービス残業を当たり前としている企業のご都合主義に適合させたいんちゃう?(笑)むしろ社会をよくするには企業のエゴと闘う子どもを育てなきゃね。あ~、メッチャ腹立つ。
(一作)
「気持ちいい場所を共にしたい、だから・・やっぱり『よい社会』で暮らしたい」(P92~93・クリックするとそのページを表示します)では、理想とする街角の風景と中学生のボランティア活動の写真。こんな人ばっかりだったら息苦しいね。
(momo pon)
「よい社会」に不可欠なものは「現実を見る目」でしょう。メディアリテラシーを義務教育で学んでいないのは先進国の中ではニッポンだけ。(笑)
この「心のノート」は現実から目を背け、社会批判をしない子どもの量産を目的にしているよね。

愛校心

(一作)
「ルール」(公徳心)の次は学校編だけど、「この学級に正義はあるか!」とは大時代だよね。「公正、公平な態度で差別や偏見のない社会を」なんて、なにか部落問題の啓発ポスターの標語みたい。このなかの子どもの類型「知らんぷり型」「自分がカワイイ型」「無関心よそおい型」は教師がよく使うそれだね。「義を見てせざるは勇なきなり」は笑っちゃう。
(momo pon)
「公徳心」にしてもそうだけど、時代錯誤的な書き方に「教育勅語」を臭わせるよね。(笑)知らんぷり型っていいよね~。誰だって干渉されたくないから。
自分がカワイイ型って当たり前じゃん!まず自分を肯定することが若年層の自殺を防ぐと思うよ。自己肯定の教育をしないから、子どもが追い込まれる。現実を知らないアホばかりが執筆にあたっているのかしらね?不登校児も周りがその子どもを肯定することからだよね。本当に河合隼雄氏ってカウンセラーできるの?
(一作)
ちょっと後ろに飛んで、
「この学校が好き」(P106~107・クリックするとそのページを表示します)、「この学校をもっとすてきにしたい」。
学校ってそんなにいいとこなんかね。ぼくなんか同僚が子どもをヒステリックに叱責したり、罵倒したりする声を聞きたくないから、職員室から足が遠のくのが現実だけど。体罰だってあるぜ。最近も職員室前の廊下に子どもを正座させている教師がいたな。正座を体罰と思っていない奴もいる。こんな学校を愛せるかね。
(momo pon)
子どもにとって学校が楽しいものなるか、苦痛になのか?難しいなぁ・・・
競争ばかりさせられ、校則に縛られ、子どもの人権もなかったし、欺瞞を学校で学んだとわたし自身は思うんだけど・・世論調査で子どもにアンケートを取ったら「疲れている」が一番にきてた。塾やクラブでヘトヘトになっている子どもにとって学校ってなんだろう?

勤労は奉仕

(一作)
次の「働く」は力がはいってませんなー
「『働く』ということには社会を支え、世の中に貢献する力がある」(P100~101・クリックするとそのページを表示します)では、「「働く」ということは(中略)社会に奉仕し、そして貢献することだ」とあるけど、「食うため」ははずせないよね。「労働者の権利」という発想の片鱗もないよ。勤労学習の目的は「勤労の尊さや意義を理解し、奉仕の精神をもって、公共の福祉と社会の発展に努める」(「中学校心のノート活用のために」)だって。勤労って「奉仕」なんだ!
(momo pon)
労働には賃金がつくのが当たり前。誰だって給料があるから働くよね。
また、ボランティアも有償ボランティアがいっぱいある。子どもには奉仕の精神より労働基準法を学ばせたいよ。ストライキ権とか、不服従するとか、企業と交渉して権利を獲得するとかね。滅私奉公型の人間育成の「心のノート」でんがな。一作さん、ざけんじゃねーと言いたいね。(笑)

家族愛

(一作)
出てきた、出てきた家族編だよ。
(P102~103・クリックするとそのページを表示します)
目標は「父母、祖父母に敬愛の念を深め、家族の一員としての自覚を持って充実した家庭生活を築く」(「中学校心のノート活用のために」)だ。鼻白むね。ここんとこどう?
(momo pon)
家族が最小単位のような書き方にむかつく。国を形成している単位を間違っているんじゃないの?(笑)家族っていっても個人の集合体だと思う。
価値観も違えば、それぞれが自分の生き方をするだろうし、束縛しない家族のあり方を問うことが健全なんじゃないかしら?

愛郷心

(一作)
愛校心、家族愛の次に本音部分にたどり着いたのが「ここが私のふるさと」で愛郷心。「ふるさとに自分ができることはなんだろうか」。「お父さん、お母さんお話してよ/20年後のあなたへ」では、「20年後のあなたになって想像してみよう。あなたはふるさとを離れ遠い土地で暮らしている。あなたのかわいい子どもが、お父さんやお母さんになったあなたに、ふるさとの少年時代や少女時代を聞いてきた。さあ、あなたはどんなお話をしてあげるのだろう」と書くことの強要だ。余計なお節介だ。
(momo pon)
教育基本法の改悪の主旨にも近づいていますね。(笑)ふるさとや親への感謝をしなさいと言いたいんだろうね。愛の安売りをやっているみたいだけど、親なんて感謝して欲しいなんて思っちゃいない。子どもが幸せになればいいだけで、恩返しをしろという親はそうそういないでしょう。将来親の面倒を見るのは福祉が充実した社会だよね。愛より充実した福祉国家を国は目指せよと渇を入れたいね。

愛国心

(一作)
そして、極めつけは
「我が国を愛し、その発展を願う」(P114~115・クリックするとそのページを表示します)。愛国心だ!「美しい言葉がある。美しい四季がある。そして・・」となり、「私は日本のよさをこう考えている」と書きこむことを強制する。まるで「愛国心通知表」ネタだね。続いて、「伝統文化」の強調。
(momo pon)
そうだよね。本音がもろに出ていておもしろい。国際的な視野をもった子どもにはならない。「日本のための日本人だけに通用する国作り」は異文化共生社会にならないし、在日外国人を排除し、すげー歪な子どもが育つよ。
(一作)
つけたしのように「この国を愛することが、世界を愛することにつながっていく」そうだけど、はんまかいな。このあと、「世界の平和と人類の幸福を考える」のページにつなげているけど、「日の丸」で世界への貢献でもするんかいな?
基本的には「つくる会」の教科書と同じ骨格が「心のノート」だな。
(momo pon)
まさにその通りですね。こんな「心のノート」で愛国心が培われると思っている連中の底が見えましたね。(笑)
(一作)
次回は前から「心のノート」に迫っていきましょう。