週刊金曜日08年6月20日号[人権とメディア]
山口正紀

三浦さんの長期拘束――日本社会は、なぜ怒らないのか

 サイパンで「逮捕」されてからすでに約四カ月、三浦和義さんの不当な身柄拘束が長期化している。日本で十数年に及ぶ裁判の末に無罪が確定した人が、米国で同じ罪状で逮捕され、その逮捕状の有効性を問う審理の間も身柄拘束を解かれない。これはもう、外国権力機関による「拉致・監禁」だ。
 だが、日本政府は邦人保護の義務を果たさない。逮捕後、疑惑報道を再燃させたメディアも、この重大な人権侵害に関心を示さない。
 三浦さんは、「銃撃事件」二審無罪判決(九八年)後、数多くの冤罪被害者の支援に取り組んできた。その活動で知り合った人たちは、ロス市警の「逮捕」を許し難い犯罪と受けとめ、「三浦和義氏の逮捕に怒る市民の会」を結成、一日も早い解放を求めて活動している。
 三浦さんはサイパンの裁判所に保釈請求し、人身保護請求を申し立てた。ロスでも三月、逮捕状の無効を求める申し立てを行なった。ロス郡地裁の審理では、検察側がロスへの身柄移送を求めたが、裁判所は五月の第二回審理で「移送は不要」としつつ、逮捕状の有効性については判断を保留した。
 審理の争点は、一事不再理と共謀罪。カリフォルニア州法は〇四年、「外国での判決には一事不再理の原則を適用しない」と改正された。それは改正前の判決にも及ぶのか。これについては四月、同州サンディエゴ郡地裁がメキシコ人の裁判で「遡及処罰の禁止」を理由に訴追を取り消す判断を示した。
 問題は共謀罪。逮捕状には(1)殺人罪((2)殺人共謀罪の二罪が書かれており、「日本では共謀罪は裁かれていないから一事不再理に該当しない」と検察側は主張する。弁護側は「三浦さんは殺人の共謀共同正犯に問われたのだから、無罪判決は実質的に共謀罪にも及ぶ」と、一事不再理の適用を求めている。
 裁判所は日本の裁判記録の提出を求めた。逮捕状の容疑事実と日本の裁判で審理された事実が、「共謀」も含めて同一かどうか判断するため、と思われる。それには裁判記録の英訳・検討が必要なため、審理は七月一九日まで延期された。
 三浦さんは日本の裁判で、ロス在住のO氏との「共謀」による殺人罪に問われた。一審はO氏を無罪と認めながら、「氏名不詳者との共謀」として三浦さんを有罪とした。二審は、それもありえないとして無罪判決を言い渡した。まさに「共謀の事実」が否定されたのだ。
 にもかかわらず、ロス市警は再び逮捕し、「共謀」で裁判にかけようとした。そのために三浦さんは身柄を拘束され続け、高額の弁護士費用から裁判記録の英訳費まで重い負担を余儀なくされている。
 こんな理不尽が許されていいのか。三浦さんの闘いや二審無罪判決を知る人は憤る。だが、怒りは日本社会全体に広がらない。多くの人が今も、三浦さんを「ほんとうはやった」と思い込んでいる。そう思わせてきたのが「ロス疑惑報道」というメディアの犯罪だ。 無罪判決が出ても詳細を伝えず、報道犯罪に頬かむりしたメディアは、今回の不当逮捕で再び三浦さんを「容疑者」にし、大騒ぎした。
 三浦さんは五月三〇日、政府に米国の捜査共助要請に協力しないよう求める行政訴訟を起こした。逮捕直後、町村信孝官房長官は「協力の意向」を表明した。だが、日本の行政府が「確定した無罪判決」を無視して行動することは国際捜査共助法でも憲法上も許されない。その確認を求める初めての裁判だ。
 しかし、この提訴にもメディアは関心を示さない。翌日の新聞は各紙とも一段十数行のベタ記事。その記事でも「三浦容疑者」だ。
 六月九日、「怒る市民の会」は衆議院議員会館で「一事不再理と共謀罪を考える院内集会」を開き、議員とメディアに参加を呼びかけた。弘中惇一郎弁護士らが日米弁護団の取り組みを報告した(「市民の会」HPに詳報)が、全国紙・テレビには報じられなかった。 大切なことは伝えない――メディアと権力の「共謀」罪を問おう。