|
ふぇみんベトナムツアー参加者の声
|
|
ふぇみんでは毎年ベトナム・希望の村を訪ね子どもたちと交流するツアーを行っています。このツアーで子どもたちと出会うことで里親になる人も多い。01年度のツアーの参加者の声を紹介します |
|
2003年度ベトナムツアー参加者の声
|
| 子どものまぶしい笑顔に思う ryo |
|
「希望の村」の門をくぐった私の目に飛び込んできたもの。それは想像をはるかに超えた子どもたちのまぶしい笑顔だった。 |
|
山の学校を訪ねて
![]() |
|
戦争の遺した残酷さ 肌 で感じた
|
|
私にとって、今回で4度目のベトナム訪問で、初めて農村生活や民間の養護施設に行った。 |
|
|
|
2001年度ベトナムツアー参加者の声(報告集より)
|
| 子どもの心に思いで残したかな 歯を磨いてあげました aiko |
|
ベトナム支援へ戻る
|
|
13人の名前を覚えながら、絶対みんなとはぐれないようにして無事1週間のスケジュールをこなし、想い出いっぱいで帰ってきました。よいスケジュールを組んでくださり、みなさんのおかげで大変楽しい旅行でした。 メインの里子との対面もなんとかなりました。会話はダメですが、ふれあいはオーケーでした。私のベトナムの歌が下手だと笑われ、お手玉が上手にできないと笑われ、なんとなく頼りなさそうだけど、でも明るいママ! というイメージで、仲良くくっついて昼寝して、子どもの心にささやかな思い出が残ったと思います。
ツアーのメンバーの活躍ぶりに驚きました。s氏は手話をやり、理紗ちゃんはケン玉チャンピオン、その母上のは英語ぺらぺら、屋台のものを何でも食べてお腹を壊さない、Oさんはお手玉を3つも4つもまわし、Kさんは日舞を舞い、ユンちゃんは 歌を歌い、安由美ちゃんは折り紙名人、Fさんはノバの英語で何か話す。ええー私どうしよう、なにも出来ないー。 観光したミソンもダナンの田園風景も心に残りました。戦争犯罪展示館は人間の狂気に目を背けたくなる悲惨さでしたが、戦争そのものは自分一人の力ではどうにもならない人類の不幸だと思います。
|
希望の村が支援する子どもの家を訪ねた |
|
ベトナム支援へ戻る
|
| ベトナムの今 カルチャーショックをうけて
順子 |
|
ベトナムから帰って2週間・・・未だにカルチャーショックのただ中にいる。様々な国を訪問 したことのある私だがベトナムほど陰と陽の多面性を見せてくれた国はない。 アメリカの市場開放により、経済発展の渦中にあるベトナム。豊富な食材、電化製品、色とりどりの衣料品などが所狭しと並んでいる市場。その一方で、農村の子どもたちの裸足。そこに共産圏の貧富の差を垣間見る。戦争の負の遺産が未だに顕在化する一方で、戦争を知らない世代が台頭しつつあるのも現実のベトナムだ。
|
子どもたちといっしょに食事 |
| 無邪気で率直な歓迎
久子 |
|
ベトナム――里親・里子、「天と地」ベトナム戦争、ベ平連、おしゃれ雑貨、友人の作ってくれたベトナム料理…登、遠い国なのに身近に感じていたアジアの国。ワクワクする想いを載せて飛び立った。 ともかく、南国のアジア、32度の暑さ、ホーチミン市の道いっぱいのオートバイの喧噪なこと。道を渡る時は手をつないで「セーノイチニノサン」と必死の覚悟で渡り抜く。市場の人々の雑踏。ちょっと郊外に出ると見渡す限り続く緑、のどかな田園風景、豊かなたんぼは、まさに日本の故郷と相似ている。
|
| ベトナム支援へ戻る |
日本語教室の子どもたち |
|
2002年度ベトナムツアー参加者の声(報告集より)
|
| 日本の浴衣を着たこどもたち
北村敏子 |
|
今年の「希望の村」の訪問で感じたことは、子ども達の生活がどんどん良くなって いることでした。それは、お昼に子ども達と一緒に食べた昼食の内容にも現れていま した。 揚げ春巻きに具だくさんのホウ(うどん)、バナナもふんだんにあって、子ど も達もずいぶん残していました。余った食べ物をどんどん大きなお鍋に放り込むの で、心配になって「それどうするの」と聞きましたら「豚のエサにする」ということ なので安心しました。いままでも野菜は豊富だったのですが、タンパク質が足りない かなと思っていたのですが、もう大丈夫のようです。「シンチャオの会」が贈った、 鶏と鶏小屋は大ヒットだったと思います。玉子はふんだんにとれるし、その肉も蛋白 源として活用できるからです。 夜の職員たちとの食事会にもおいしい鶏の唐揚げがた くさん出ていましたものね。 昼食の後の昼寝の時間に子ども7人が集まってきました。背丈が合わなかったり、 袖丈がつんつるてんだったり、楽屋裏はてんやわんや。当日、踊りの名手はベトナム 舞踊の方に廻ったらしいのが分かりました。というのは、踊りがまったく苦手で、騎 馬戦など活発なスポーツが好きな私の里子のスウィちゃんが、真っ先にやってきたか らです。 五歳位の子どもの浴衣の着られるこどもが居なくて、選手交代で何人もが着 たり脱いだり。それと浴衣を素肌に着るというのは日本人の常識ですが、ズボンが附 いているアオザイの感覚では、パンティの上にじかに浴衣を着るのはとても恥ずかし いらしく、ズボンを脱いでと言っても嫌がって脱ぎません。上の方も襟付きのシャツ を着たままです。 それで、本番にはズボンは薄手の、シャツは襟なしを着るようにと 頼みました。ほんとうは裾除けや肌襦袢を用意すればいいのですが、これって、意外 に高く上下 一揃いを買えば1万円はするので用意できませんでした。 「さくら さくら 」を一節、一節、教えるおしえましたが、7人の踊り子はみな 熱心で1時間はあっという間にたってしまいました。「大丈夫かな」と言いました ら、「もう1回」と子ども達の方からいってくれます。嬉しくなりました。いよいよ 本番前、舞台の袖に控えていた子ども達は「胸どきどき」と叩いていましたが、ビデ オで見る限り、にわか仕込みにしてはけっこう踊っているので、嬉しかったです。 その前に、こども達は出番を待ってホールの最後部に着物を着て座っていたのです が、側にいた上級クラス男の子たちが女の子たちの浴衣姿をからかうのです。そした ら、私の娘のスウィちゃんが男の子たちを睨め回しものすごい勢いで叱咤したので す。その迫力はたいしたもの。男の子たちはしゅーんとして静かになりました。 私は なんだか可笑しくなってしましました。ベトナムの女性たちの逞しさは垣間見ていま すが、予備軍はぞくぞく誕生しているんですな。「希望の村」でも女の子たちの方が 元気いいものね。 着物と文庫帯、ひもなど、持っていった分全部寄贈しましたが、舞 踊を教えているという教師の方から、「すごく嬉しい」と感謝されました。きっと、
いろいろアレンジして踊りに活用してくれることでしょう。 |
| ベトナム支援へ戻る |
| ホビロンに思いを馳せて
井上 文 |
|
今回は3度目のベトナム旅行である。 今度こそホビロンを食べよう 私は心に決めていた。 私は俄然興味をもった。旅行中もさくら日本語学校の生徒さん、日本に留学中のユン ちゃんなど同世代の女性に片っ端から『ホビロンは好き?』とたずねた。全員が目を 輝かせて、『大好き!よく食べる』、『ビール飲みながらだと最高!』と答えてくれ た。 日本語学校生、旅行者勤務24歳の女性、おなじく22歳の大学生も流暢な日本 語で食べ方を教えてくれたり、今晩一緒に食べに行く?なんて誘ってくれたり・・ ・。実際現地で、女性には「美容と健康によい」といわれており、子供には「受験勉 強のおやつ」にと食べられているという。 日本でも地方によって蜂の子、イナゴ、ザザ虫などが食べられているけれど、いわ ゆる“ゲテモノ”扱いである。日本人からみて風変わりなこのホビロン、ベトナムで は普通に食べられている。食文化の違いって面白いナとつくづく感じた。 さてそのホビロン、いくつかの情報誌には「夜のおやつ」と書かれていたので、 チャンスに恵まれず、また今回も食べられないのか・・と半ば諦めかけていた。が 最終日ホーチミンでの昼下がり、街中を散策中に出会うことができた。ゆで卵の入っ た金属製の鍋と天秤棒、おばあさんが路上に座っていたのである。物売りのしつこさ に辟易していた私は、足早に通り過ぎたが、”今のは・・・もしかして・・・”。 『ホビロン?』『ホビロン、ホビロン』との返事。早速1つ買ってみた。まだ湯に浸 かっているゆで卵をビニール袋に入れてくれる。”側に塩・胡椒・香草があったけど、持ち帰りにはくれないのかな、まぁ、素材の味を楽しむっていう点ではいらない か”4000ドン(約40円)はちょっとボラれたけど(通常2000ドンぐらいら しい)外国人価格だと思えばイイかと、ワクワクしながらホテルへ。 まず殻を割ると、茶色い何か混じった透明な液体が溢れ(体液?しかも熱い !) 茶色に変色した毛細血管らしきモノで覆われた黄身が現れた。想像したより気持ち悪 くない。ガブリ、勢いよく齧り付く。鶏卵よりコクのある、固ゆで卵という感じ。私 はアヒルのゆで卵の滋味あふれる所が好きなので、これはまずまず。同室の人も恐る 恐る覗きに来たけど、「ウワー」と顔をしかめられてしまった。一口食べた後、記念 撮影をし、また一口囓ったら今度は肉の部分が出た。ゆで卵と鶏肉(アヒルだけど) を同時に食べている様な感じ。美味しくて3口で食べ終わってしまったけれど、最後 に軟骨らしき部分がコリッとあったので多分そこが頭・・・。 ツアーメンバーや家族 に報告したところ、皆、あれを食べたのかと驚かれてしまった。なかでも友人たちに は「どんな味?日本の食べ物に例えると何?」と聞かれ、「貝の壺焼きっぽい」と答
えると「それならOKかも」と挑戦したいという輩もいた。いずれにしても、ホビロ ンは私の好物の1つになった。またベトナムに行く機会があれば、またぜひ食べたい
と思っている。 |
| ベトナム支援へ戻る |
| ベトナム旅行によせて
大澤 つた子 |
|
連れ合いは、水俣病関西訴訟の上告取り下げを求めて、又、101万人署名活動 をしながら、東海道五三次を歩いている最中(三月二三日〜五月二五日)。私は甘夏 みかんの出荷最盛期もあり、二人が不在になることにおいて何度もベトナム行きをと りやめようかと思った。そんな時、「動けばいいことがいっぱいあるよ!じっとして いても何も見つからないよ!」との娘の言葉に決心がついた。仕事場の人に感謝しな がらの出発だった。
弱虫の私をこんなにもやさ しく受け入れてくれ、どうしてこんなに親切に迎えてけれるんだろうと、不思議にさ え思えた。料理コンテストでは、実に手際良く分担して、時間内に見事なベトナム料 理が並んだ。そんな彼女たちの姿を見て、火が着けられない火を熾せない日本の子供 達、物ばかりあふれ豊かそうにみえる日本の子供達の将来が心配になってきた。そし て、本当の豊かさをこの希望の家に学んだ。帰る時刻を切なく思っているとき、ファ ミリーの代表が私の気持ちを察するように、手を握りしめて、車まで送ってくれた。
良い旅が出来るかに思えたが、残り2日というときに激しい腹痛・下痢・嘔吐に 見舞われ、ホテルで半日寝ていた。心身共に本当に辛かった。皆と合流する約束の場
所に行く途中、再び嘔吐。ホテルの廊下を走り、鉢植えの根本にしゃがみ込んだ。で も吐き気はあるのに、もう胃は空っぽ。出る物もなく・・・本当にきつかった。その
時ふと気づくと 私の周りには、4,5人の人が集まり、喉のあたりに薬を塗ってく れたり、背中をさすってくれたり。また、靴を脱がせてくれて、マッサージもしてく
れた。
他にも色々な所に行かせてもらった今回のベトナムの旅。この旅行で元気をも らった分、一人でも多くの人にベトナムのこと、希望の家のことを伝えたいと思って いる。ベトナムの地に心から感謝。またきっと行かせてもらいます。 弱気になれば強気を 恐れた時には勇気を 永遠の勝利は闘いでなく心で得るものだ (『天と地』の著者レ・リさんのメッセー ジ)
|
| ベトナム支援へ戻る |
| ベトナムあれこれ
榎本 啓子 |
|
●出発
ファミリーの子供達は皆、自然に助け合い育っている様子が感じられ嬉し かった。4歳〜18歳までの集団なんて日本ではなかなか考えられません。1人耳の
不自由な子がいましたが、手話も交えながら自然なコミュニケーションがとれている のには本当に感心させられました。
|
| ベトナム支援へ戻る |
| ベトナムのすごい力 M・N |
|
春休みの終わりにベトナムへ行った。この旅は私にとって初めての海外旅行だった。行く前には人から「海外に行くと考え方が変わるよ」などと言われていた。そういうふうに思って行ったわけではなかったが、実際に行ってみると感じることもたくさんあったし、日本との違いもいろいろ気がついた。 さくら日本語学校の人と話していて「英語を話せますか?」「あまり話せません」と言うと「なぜ話せないんですか? なぜ勉強しないのですか?」と聞かれる。また学生か、と聞かれ、そうだと答えると必ず「あなたは何を勉強しているのですか?」と聞かれる。同じような歳の人はどんどん何かをつかもうとしている。そんなとき私は少し恥ずかしくなった。 ベトナムの交通ルール(そんなものなかったかもしれないが)にもびっくりさせられた。信号なんてほとんどなく、渡りたいときは隙を狙って渡る。すごい車にも出会った。ミーソンでのジープ、今にも壊れそうなトラック、運転席にハンモックをつっているトラック、荷物を積みすぎて倒れそうなバイク、大人2人に子どもを2人も乗せているバイク、そしてみんな事故になりそうで事故にはならなかった。 遠慮なんて言葉はベトナムの交通事情のなかには全くなかったし、そんなことをしていたらいつになっても前に進めない。使えるものは最大限に活用しようというのが街中に表れていた。きちきちの日本ではすぐ捕まりそうなことがいっぱいだったけれど、それが私はとても楽しかった!! またベトナムは物で溢れていた。日本だって物は溢れているが、ベトナムは日本とはぜんぜん違う豊かさがあった。水田はとても広いし市場に行けばいっぱい果物もある。バスの中からもバナナがなっているのを見たし、船からココナツも見た。街の道でもいっぱい食べ物を売っていた。人間もたくさんいるが、鶏(ひよこも)牛もバイクに乗せられた豚も負けずにいた。買えるかどうかは別にしてもベトナムの土地の豊かさを本当に感じた。 ベトナムには本当にものすごいパワーがあった。たとえどこかの国がそのパワーを阻止しようとしても止められるはずがないというほどだった。日本なんてその点では勝ちようがないと思った。私はほかにもベトナムの人の気の使い方やベトナムの子どもたちのへんにひねてないところなど感じたことはたくさんあったが、このベトナムという国ではパワーを感じたことが一番大きかった。あんなに勢いがある国から帰ってきて私は日本は沈んでいるなぁとかやる気がないなぁと思った。この元気のなさは何が原因なんだろう。やはり考え方も変わったような気がする。
|
| ベトナム支援へ戻る |
| ベトナムでノン(菅笠)をかぶったよ! 慈子 |
|
だれが言ったのだったか、「子どもは社会の子である」とつくづく思う。われら親子は、今年で17年めの母子家庭のベテランだ。 といっても、わたしが夫と別れることになって親子ふたりで暮らし始めたときは実家に帰らず東京での生活を選んだので、精神的にも金銭的にも頼れるものはなく、脆弱さだけがさらけ出されていたにちがいない。まず仕事探しから始まったのだが、その後入園できた保育園がよかったのだろう。意地っ張りなだけの未熟な母親であるわたしは、いつも保育園の先生方やまわりの父母らに助けられてここまでやってきた。そんなふうにして育ってきたムスメももうすぐ20歳。短大で幼児教育を学んでいる学生だ。 いつか婦民のベトナムツアーに参加してみたいなあと思っていたわたしは、ムスメを誘ってみた。親からの押しつけを極力嫌うので答えは五分五分と思っていたが、「行く」という。短大は2年になると実習などで忙しく、とても旅行どころではないらしい。そこでベトナム行き、決定! 留守中、3匹の猫の世話はムスメの友人に頼むことになった。 ところが、出発の10日ほど前にわたしが風邪をひいてしまいなかなか治らず、4日前に今度はムスメが高熱をだして医者に「行けないかもしれないよ」と脅かされたりと、ひやひやすることばかりだった。それにベトナムについての知識もイマイチだし、希望の家(村)の子どもたちがほんとうに喜んでくれるのだろうか? という不安もぬぐいきれないのだった。 出発の前日に夜中までかかって荷造りを終え、なんとか武蔵境(むさしさかい)を出発することができた。 行ってみたら楽しいのなんのって! いつのまにかわたしの風邪は治り、ムスメも薬を飲むのを忘れるくらい快復していた。そのあとの元気な様子は、みなさまよくご存知のとおり。 絵日記風長歌と反歌。 降り立ちし タンソンニャット 空港は すなはち簡素 しづしづと 検査受けつつ ベトナムに 歩を踏みだせば 新たなる 熱気のなかに 放られて バイクの波に 驚きぬ 手袋・マスクに 目をみはり 食べてゐるもの 盗み見む ホーチミンを飛び立ちて ダナンといふは 落ち着きし 中部都市なり あしひきの ミーソンの山 連なりて 遺跡を包む 密やかに 迷ひ込みしは ヒンドゥーの 神々のもと 時忘れ ノンを被りて 歩きたり 一夜過ぐれば 暑さゆゑ 朝早くから 訪ね行く 希望の村は 待ちゐたり 二百名とふ 子どもらは みなはにかみて ゐる様子 所長の笑顔 子の笑顔 安堵の暮らし しのばるる 犬猫さへも つながるる ものはをらずて 気持ちよし お昼のフォーを 共に食み 共に遊びて 暮れゆけば 踊りと演奏 披露する 子どもの顔の 真剣さ ひと日出会ひし ものなれど 数多のものを もらひ来ぬ 希望といふは やさしく在りぬ ダナンにて一粒の種もらひたりメコンデルタをなぞる機影よ こんどの旅行で気がついたことがある。それは服装と笑顔について。準備が十分にできなかったわたしは、旅の先々で服を買い求めて着てみた。そうしたら持っていった服よりも涼しく、らくだった。やはり暑いベトナムならではのパジャマスタイルだったのだ。菅笠のノンもしかり。ぜったいに帽子よりも涼しい。それにしても、わたしたち日本人はみんなノンが似合っていた。現地のガイドさんが「これでみんなベトナム人」といっていたが、ほんとにそんな感じだった。
|