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インタビュー

首都圏のアイヌを撮り続ける写真家

宇井 眞紀子さん

  • 2009.10.15
  • 聞き手:柏原登希子
  • 撮 影:落合由利子

宇井 眞紀子さん

「他力な感覚」に魅せられて

 東京で行われた初めてのアイヌプリ(伝統的なアイヌの方法)の結婚式、アイヌを名乗れないウタリ(同胞)のためにアイヌ料理店を立ち上げる人々、若いアイヌたちがアイヌ文化を学び独自に表現しようとする姿…奪われた文化と誇りを取り戻し、生きようとするアイヌの人たちの喜怒哀楽の傍らには、いつも写真家の宇井眞紀子さんがいた。宇井さんは1992年から「首都圏で今を生きる等身大のアイヌ民族」を撮り続けてきた。

 マンガ「アタックNo.1」の影響で、小学生の時は「バレーボールで生きていく」と決めていた。しかし強豪の高校に入学するとすぐに極度の貧血であることが判明。増血剤を飲みながらも3年間バレーボールをやり続けた。まさに「根性の人」。写真に出会ったのは、デッサンを一枚も描いたことがないのに、「そういえば美術が好きだった」と思って入った美大の授業で。「現場に行って一瞬を切り取ってくるというのが性に合っていたんだよね」。
 卒業後は、「写真家になる」と親を説得し、専門学校へ。しかし卒業制作を控え、写真家としてこれから、という時に妊娠し、結婚した。「無謀な時期にね(笑)。でもとてもうれしくて、『子どもを育てたい』が、『作家になりたい』に勝っちゃった」。以前には想像もしなかった子育ての生活に入った。「バリバリ働こう」と思ったのは、離婚をしてからだ。

 アイヌとの最初の出会いは実は思い出せない。小さなころからなぜか「アイヌ」が頭の隅にあった。そして北海道でアイヌの人たちが多く住んでいる地域の和人(非アイヌ)として育った元夫から、周囲の大人がアイヌを差別していた話を聞いた。  「一番親しい人から聞くリアルな話にびっくり!『差別』って過去の話っていう認識だったし。昔から気になっていたアイヌがバーンと表に出てきた」
 離婚後、自分が撮った写真が載っている雑誌をめくっていると、北海道・二風谷在住のアイヌ女性アシリ・レラさんが「(アイヌの聖地を沈める)二風谷ダムに反対する」と書いている文を読んだ。「出会った!」と感じた宇井さんはすぐに手紙を書いた。すると紙の切れ端で「すぐにおいで」という返事がきた。

続きは本誌で...

うい まきこ

1960年千葉県生まれ。武蔵野美術大学、日本写真芸術専門学校卒業。写真家・樋口健二に師事。写真集に『ASIR RERA:AINU SPIRITS』ほか個展も多数。今年9月写真集『アイヌときどき日本人』(社会評論社)の増補改訂版を出版。http://www.shahyo.com/mokuroku/gendai_shahyo/ainu/ISBN978-4-7845-1472-4.php
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