髙山さんがカウンセラーの道を選んだのは、自身が「支援されるしんどさ」を経験したことが影響している。
日本の大学を卒業後、女性学のコースがあるアメリカの大学に留学し、フェミニズムの面白さを知った。そのまま、女性学の修士課程に進む。
その直後、引っ越したばかりのアパートに一件の電話があった。髙山さんの友人の知人だと名乗る男性からのいたずら電話だった。この日から、14カ月もの間、ストーキング被害に苦しめられることになった。電話は常に留守電にし、相手を確認してからでないと出られない。アパートのエレベーターの扉が開いた時、人が乗っていると体が震える。犯人が誰か検討もつかず、本当に不安な日々だった。
ある時、不安と緊張が高まり、警察に行くと「君に必要なのはカウンセリングだよ」と署長がパンフレットをぽーんと投げてきた。すごく傷ついた。
学内のカウンセリングは2回ほどでやめた。友人が在籍する別の大学では、女性に対する暴力のプログラムがあり、そこでのカウンセリングは少し続いた。だが、「被害にあっていたときは、カウンセリングの効果を信用できず、何の役に立つのだろう?くらいにしか思っていなかった」
周りの友人たちや教員も理解があり、いつもサポートしてくれた。しかし、支援されている者としてのつらさは言えなかった。「頑張らなきゃいけない、応えなきゃいけない、と思って」
支援されている以上、不満は言っちゃいけない。頑張ることは「自律」でもあり、屈しないことだ。犯人を捕まえなきゃ…。プレッシャーとストレスで、誰も信じられない心の状態になっていた。加害にも苦しめられたが、「支援される」ことについて、深く考えさせられた。