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インタビュー

証言の力で、南京大虐殺を伝える

松岡 環さん

  • 2009.10.05
  • 聞き手:室田元美
  • 撮 影:飯田典子

松岡 環さん

多くの日本人に真実を知ってほしい

 1937年12月13日。日本軍が南京を陥落した時、30万人の人々が虐殺された。その多くは女性や子どもも含む市民だった。あの事件を正しく伝えようとしたのが、小学校の先生をしていた松岡さんだ。南京大虐殺の加害者である元日本兵250人、性暴力を受けたり家族を殺された中国の被害者300人から、12年かけて証言を集めた。
 南京では、日本人が来たと聞き、怖くてトイレに隠れていた女性がいた。血圧が上がるから帰って、と言われたことも。長い年月を経ても癒えない傷に、改めて加害の重みを知った。
 進んで語る人などいない、元兵士の聞き取りは苦労の連続。97年に「南京大虐殺情報ホットライン」を立ち上げて証言者を探したり、南京攻略戦に派遣されていた三重、奈良、京都、愛知などの部隊の手記を図書館で調べ、そこに書かれた名前に片っ端から電話した。
 「『南京のこと、聞かせてもらえませんか』って訪ねていくと、『話すことないんじゃ!』とドアを顔の前で閉められました。今度は、戦争の苦労話を聞かせてと頼んで、ようやく話してもらったんです」

 一つ一つ足で探し求めた証言なのだが、南京大虐殺はなかった、と否定したがる右翼からは「松岡が仕組んだストーリー」「中国が用意した証言者」とネットや雑誌に書かれる。
 毎年12月には、南京の被害者を招いて証言集会を行う。その時にも右翼の街宣車が大挙して押し寄せた。
 「怖くないかって? そりゃ怖いですよ。会場やその周辺では、私は絶対、ひとりで行動しませんね」
 危険を覚悟してまで南京大虐殺を説き明かし、社会に伝えようとするのはなぜなのか。

 主婦だった松岡さんが大阪で教員になったのは、30代半ば。食品会社で組合つぶし攻撃に遭い、孤立し追いつめられていた夫を支えるためだった。
 「夫たちが受ける差別を見ていて、差別のない社会をつくるために先生になろう、と思いました」
 人権や平和を生徒と一緒に学ぼうとしたが、教材がない。ならば自分で作ろうと沖縄などへも足を運んだ。88年に初めて南京を訪れ、知らなかった事実に衝撃を受けた。
 「特に性暴力のことは、中国でも日本でもタブー視され、ほとんど触れられていなかったんです。だから私は何度目かの取材で信頼関係ができてくると、元兵士たちにも強かんについて聞くようにしてきました」

続きは本誌で...

まつおか たまき

1947年大阪府生まれ。1982年から2007年まで小学校教員を務める。97年より南京大虐殺の本格的な聞き取り。「南京大虐殺60カ年全国連絡会」共同代表。映画『南京・引き裂かれた記憶』は、10月下旬、東京・渋谷のアップリンクで公開予定。http://nanking-hikisakaretakioku.com/
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