一つ一つ足で探し求めた証言なのだが、南京大虐殺はなかった、と否定したがる右翼からは「松岡が仕組んだストーリー」「中国が用意した証言者」とネットや雑誌に書かれる。
毎年12月には、南京の被害者を招いて証言集会を行う。その時にも右翼の街宣車が大挙して押し寄せた。
「怖くないかって? そりゃ怖いですよ。会場やその周辺では、私は絶対、ひとりで行動しませんね」
危険を覚悟してまで南京大虐殺を説き明かし、社会に伝えようとするのはなぜなのか。
主婦だった松岡さんが大阪で教員になったのは、30代半ば。食品会社で組合つぶし攻撃に遭い、孤立し追いつめられていた夫を支えるためだった。
「夫たちが受ける差別を見ていて、差別のない社会をつくるために先生になろう、と思いました」
人権や平和を生徒と一緒に学ぼうとしたが、教材がない。ならば自分で作ろうと沖縄などへも足を運んだ。88年に初めて南京を訪れ、知らなかった事実に衝撃を受けた。
「特に性暴力のことは、中国でも日本でもタブー視され、ほとんど触れられていなかったんです。だから私は何度目かの取材で信頼関係ができてくると、元兵士たちにも強かんについて聞くようにしてきました」