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インタビュー

人権や平和をテーマにトーク ピアニスト

崔 善愛さん

  • 2009.04.25
  • 聞き手:栗原順子
  • 撮 影:落合由利子

崔 善愛さん

国を奪われた者の悲しみが見える

 「二度とこの国に帰って来られない気がする…」―作曲家のショパンは祖国ポーランドを離れる前に、親友への手紙にこう綴った。「国を奪われた者たちの悲しみ。ショパンの悲しみから父の悲しみが見えた」と、ピアニストの崔善愛さんはいう。

 善愛さんは韓国籍を持つ在日朝鮮人3世である。21歳の時、著しく人権を侵害する外国人登録法の指紋押捺を拒否した。
 「『お父さんの影響でしょ?』とよく言われましたが、自分の意思でした」。善愛さんの父親は、北九州市で牧師をしていた故・崔昌華さん。日本統治下の朝鮮半島、平安北道宣川で生まれた。解放後、キリスト教徒という理由でソ連軍による弾圧を受け、1954年、朝鮮を離れ、日本に入国。民族の人権回復を求め、名前の原語読みを訴えた「一円訴訟」など、裁判闘争や人権擁護運動に生涯を捧げた人だった。
 父親から韓日の暗い歴史や在日の苦労話を毎日のように聞かされ、取り戻す民族性など初めから持っていないと感じる善愛さんは、むしろ父親が突き付ける「民族の回復」に大きな壁を感じていたという。
 「被差別部落出身の友人の告白がきっかけでした。彼女の苦しみを知り、自分の『在日』について心にひっかかっていたものが出てきたのです」
 中学生の時「〝チェ〟と呼んでください」と言ったら、嫌な顔をした教師や「サイでいいだろう」と言った教頭がいた。当時は「先生に嫌われた」と気落ちし、無意識に朝鮮人であることを恥じ、悩んでいたことに気づいた。「次世代までこの苦しみを残したくない」と指紋押捺を拒否し、83年に北九州市から告発され、起訴された。これが20年間の裁判の始まりだった。

 「日本人でも朝鮮人でもない自分。一度すべて白紙に戻したかった」という善愛さんは86年、音楽留学を決意し、再入国許可がおりないままアメリカに旅立つ。今度は自分が国を告訴。再入国不許可取り消し訴訟を起こし、2つの裁判を闘うことになった。そして、88年、日本国より永住資格を“剥奪”された。
 「帰れないと思ったら、どれほど生まれ育った日本が好きかという思いがわき上がって…」

続きは本誌で...

Choi Sun-Ae

1959年、兵庫県生まれ。ピアニストとしての演奏活動とともに、「人権」「平和」「君が代問題」などをテーマに講演を行っている。著書に『父とショパン』(影書房)、『「自分の国」を問いつづけて ある指紋押捺拒否の波紋』(岩波ブックレット)がある。
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