善愛さんは韓国籍を持つ在日朝鮮人3世である。21歳の時、著しく人権を侵害する外国人登録法の指紋押捺を拒否した。
「『お父さんの影響でしょ?』とよく言われましたが、自分の意思でした」。善愛さんの父親は、北九州市で牧師をしていた故・崔昌華さん。日本統治下の朝鮮半島、平安北道宣川で生まれた。解放後、キリスト教徒という理由でソ連軍による弾圧を受け、1954年、朝鮮を離れ、日本に入国。民族の人権回復を求め、名前の原語読みを訴えた「一円訴訟」など、裁判闘争や人権擁護運動に生涯を捧げた人だった。
父親から韓日の暗い歴史や在日の苦労話を毎日のように聞かされ、取り戻す民族性など初めから持っていないと感じる善愛さんは、むしろ父親が突き付ける「民族の回復」に大きな壁を感じていたという。
「被差別部落出身の友人の告白がきっかけでした。彼女の苦しみを知り、自分の『在日』について心にひっかかっていたものが出てきたのです」
中学生の時「〝チェ〟と呼んでください」と言ったら、嫌な顔をした教師や「サイでいいだろう」と言った教頭がいた。当時は「先生に嫌われた」と気落ちし、無意識に朝鮮人であることを恥じ、悩んでいたことに気づいた。「次世代までこの苦しみを残したくない」と指紋押捺を拒否し、83年に北九州市から告発され、起訴された。これが20年間の裁判の始まりだった。
「日本人でも朝鮮人でもない自分。一度すべて白紙に戻したかった」という善愛さんは86年、音楽留学を決意し、再入国許可がおりないままアメリカに旅立つ。今度は自分が国を告訴。再入国不許可取り消し訴訟を起こし、2つの裁判を闘うことになった。そして、88年、日本国より永住資格を“剥奪”された。
「帰れないと思ったら、どれほど生まれ育った日本が好きかという思いがわき上がって…」