学校では友人からいじめを受けて孤立し、家では両親が離婚、同居の母親からも理解されない少女が、ゴンドラに乗ったビルの窓拭きの青年に出会う。青年も都会で孤独に生きる一人。少しずつ心が通うようになったふたりは、青森・下北半島へ旅をする。そこは寂れた漁村で、青年の年老いた両親が寄り添うように生きていた…。今年約30年ぶりにリバイバル上映された映画『ゴンドラ』が、新たな反響を巻き起こしている。貞末麻哉子さんは当時20代で、脚本、プロデューサーとして制作に関わった。
「今回、大勢の人が足を運んで共感してくれるのは、30年たっても社会が何も変わっていない証しですよね。本当は昔はあんな子、いたよねと思って観てもらえたらよかったのですが」。主人公の少女「かがり」の姿が、観る人の心に圧倒的な存在感を刻む。笑うことを忘れた、暗い瞳。かがりを演じた少女は実際学校に居場所がなく、母親に勧められて『ゴンドラ』の監督、伊藤智生さんや貞末さんの仕事場に遊びに来ていた。この子がなんで孤立するんだろう、という疑問から映画は生まれた。最初は劇団の子役を考えていたが、「ジュースを買ってあげたら『どうも。いくらだった?』と子どもらしくない言葉がそのまま脚本になると思った」と貞末さん。彼女以上にリアリティーのある子は、考えられなかった。
撮影場所を探すロケに、貞末さんと監督が、少女を誘って出かけたときのこと。「おなかすいた?」「べつに」「泳ごうか?」「なんで?」ここまで不機嫌なやつは知らん!と監督も匙を投げる。しかし、京都・丹後半島を回ったとき、波打ち際で網を手に小魚をすくう地元の子どもたちを見かける。「翌日、彼女が『買ってほしいものがある。網がほしい』と言うの。よし、買ってやるよ。そしたら彼女、シャツの下に水着を着てね、子どもたちと一緒に遊んだの。私たち、号泣しました。なんだ、子どもじゃないの、と。都会のアスファルトの中でどうにもならないものが、自然の力を借りるとほぐれることもわかって」
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