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インタビュー

映画『息の跡』の監督

小森はるかさん

  • 2017.2.15
  • 聞き手…岡田真紀
  • 撮影…落合由利子

 山下沙織さん

記録によって手渡される記憶

 

岩手県陸前高田市。東日本大震災による津波で沿岸部は流されつくした。今、「復興」の名のもとに、土砂による大規模な嵩上げ工事が進む。ドキュメンタリー映画『息の跡』冒頭、無機質なショベルカーの動きとは対照的に、緑輝く苗が並ぶ種苗店「佐藤たね屋」がポツンと一軒たたずんでいる。流された自宅兼店舗跡に自力で建てたプレハブの店舗に、店主の佐藤貞一さんの声が朗々と響く。「The seed of hope in the heart.…(心に希望の種を。…)」。佐藤さんは津波で何が起きたかを、独学した英語で記録し、自費出版した。日本語で書くにはつらすぎた。  『息の跡』は、震災前の日々の営みを語る佐藤さんの震災後の姿を映しとり、嵩上げ工事によって再び失われる町の記憶を、観る者の胸に刻み込む。監督の小森はるかさんは震災当時22歳の大学生だった。

小森さんは静岡市生まれだが、幼少期は、茶の栽培をする祖父母が暮らす山村、川根を訪ね、山や川でよく遊んだ。

 

「私のふるさとは、じいちゃん、ばあちゃんのいる川根だという意識があります」と言う。

絵を描くのが好きで、もの作りに携わりたいと、映画制作を志し、東京芸術大学先端芸術表現科に進む。しかしまだアートにも映画にも疎く、大学と並行して映画美学校にも通う。東京の生活に慣れるのに精いっぱいのなかで、自分の表現を模索し、次第にドキュメンタリー映画の方向に向かっていった。  2011年3月11日、卒業式と大学院入学のはざまの春休みだった。大きな揺れは東京でも続いたが、混乱は一時的だった。小森さんの心は東北で起きていることに共振した。「どんどん日常に戻っていく東京のスピードについていけなかった。何かしないと生活を続けられないように思えた」  1カ月後、芸大の友人、瀬尾夏美さんに誘われて被災地のボランティアに出かける。

        続きは本紙で...


こもり はるか

1989年静岡県生まれ。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業、同大学院修了。山形国際ドキュメンタリー映画祭2015で『息の跡』上映、再編集して2016年完成。仙台でNOOK設立。瀬尾夏美との『遠い火|山の終戦』展、開催。共著に『論集 蓮實重彦』。

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