昨年夏、『戦争と看護婦』(国書刊行会)という本が出た(本紙2016年12月5日号)。日本赤十字社に保管されていた、膨大な救護活動記録と元赤十字救護看護婦への聞きとりを基に、太平洋戦争に「召集」された救護看護婦の体験を明らかにしたものだ。飢餓地獄、注射による傷病兵の毒殺、戦後のソ連・満州国境での性暴力、日本兵からのセクハラ、精神障害…。
共同執筆者の一人が、看護師歴65年の川嶋みどりさんだ。「『お国の役に立つ』と信じた看護婦たちが、『敵味方関係なく人命を救う』という赤十字精神に反して、敵どころか味方も救えなかった。看護婦たちの口がほどけてきたのは、ここ10年くらいなんですよ」。捕虜の生体実験や沖縄戦の体験者の証言こそ得られなかったが、本書は川嶋さんたちの「平和こそが看護が看護であり続けるための基本」という思いが貫かれている。
日本の植民地下の、今の韓国、中国で、「軍国少女」として育った。敗戦後、家族そろって父の郷里の島根県に引き揚げたが、現金収入を絶たれて、慣れない農業をする両親の下、苦しい生活が続いた。
経済事情から進学を諦めていた高校生の時。「保健の先生が月経の話をしてくれたんだけど、子宮の絵をバーッと描いて説明してくれたの。それまで月経は女性の病気、宿命だって言われてきたから、目から鱗!」。その先生が、授業料がなく、資格取得ができる看護学校への進学を勧めてくれた。当時、GHQの占領政策の一環で、専門性を持った職業として、看護婦の社会的地位の向上が図られていた。川嶋さんは迷わず、看護の学校へ進んだ。
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