WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

  • HOME
  • >
  • インタビュー

インタビュー

関東大震災朝鮮人虐殺を伝える

大竹米子さん

  • 2016.12.15
  • 聞き手…室田元美
  • 撮影…落合由利子

 大竹米子さん

いつまでも種を蒔き続けます。

 

「おおわだシード」と呼ばれる市民の学びと交流の場=コミュニティスペースが昨年、千葉県八千代市に誕生した。若手建築家が手がけた、モダンですてきな建物は、関東大震災の朝鮮人虐殺の真相究明に長年力を注いだ大竹米子さんが、退職金で建てた。86歳の大竹さんは何を思って場を創ったのだろう。

大学卒業後、教師になった大竹さんは、習志野市立第四中学校で「郷土史クラブ」を立ち上げた。1977年のある日。定年退職した先輩教師の阿部こうさん(故人)から「あなたに話しておきたいことがある」と言われ、クラブの生徒と阿部さんの家まで出かけた。

 

 阿部さんは地元の大和田新田で関東大震災を経験。当時9歳だった。聞かされたのは、3人の朝鮮人が道ばたに座らされ、近くの女の人が握り飯を持って行ったが食べなかった、3人は地元の男たちに連れて行かれ、殺されたと大人たちが言っていた、という話だった。「私も生徒も、怖い思いをして、帰り道はいつもの賑やかさはどこへやら、みんな押し黙ってしまいました」

生徒たちは「このままにしておけない」と周辺地域で住民の聞き取りを始めた。阿部さんの話をもとにパンフレットを作り、文化祭で発表。大竹さんは翌年、仲間と「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」を発足させ、本格的に地域で調査が始まったのだった。「土地の人たちは、決して口外しないことで村の名誉を守ろうとしていたのでしょう」。だが重い口を開き、殺された人たちを埋めるのを手伝ったと話した人、うちに日記があるからと提供してくれた人もいた。

そのおかげで、少しずつ一帯の集落の出来事が解明された。軍は、陸軍の習志野捕虜収容所に「虐殺から保護する名目で」隔離していた朝鮮人のうち不穏分子と見なしたのか16人を高津、大和田新田、萱田の村々に「払い下げ」し、村人に殺させた。それは他県の虐殺にも例のないことだった。

          続きは本紙で...


おおたけ よねこ

1930年大阪府生まれ。1954年より1991年まで千葉県の中学校で社会科や国語を教える。1978年より関東大震災朝鮮人虐殺の調査や真相究明に全力を注いでいる。2015年、市民が集える「おおわだシード」を設立。

【 新聞代 】(送料込み)
 1カ月750円、3カ月2,250円
 6カ月4,500円、1年9,000円
【 振込先 】
 郵便振替:00180-6-196455
 加入者名:婦人民主クラブ
このページのTOPへ