自国の負の歴史に向き合うのは、なんと苦しくつらい作業だろう。カンボジア映画『シアター・プノンペン』が見る者に焼きつけるのはまさに、その困難と希望。ふとした偶然から母の過去を発見する女子大生を主人公にすえ、家族史を探る彼女を通じて壮大な国家の闇に迫る意欲作には、監督自身の人生が色濃く反映されている。
1975年4月。革命を掲げるクメール・ルージュが首都を制圧すると、都市の住民は農村に大移動させられ、国はまるごと強制労働収容所と化した。そして政権が崩壊する79年1月までに、国民の4人に1人、170万人もの命が奪われた。拷問、処刑はもとより、過酷な労働と飢餓による死が多かった。
わずか2歳半だったソトさんも家族とともに首都を追われ、北部の村で親から離されると、幼児ばかり百人ほどの集団生活を強いられた。
その頃のことで、今もはっきり覚えていることがある。 モンスーンの季節だった。寝泊まりしていた建物が嵐で潰れ、多くの子が死んだ。それを知った母親が、洪水の中を娘の無事を確かめに駆けつけた。 「遠くに母が見えると、世話役の女性が私を高く抱き上げてくれました。生きている私を見て張り詰めたものが切れたのか、母は水中に倒れこんでしまった。そのとき、世話係の手が私の口をふさいだのです」
子どもは国の子。親が死んでも泣いてはならず、肉親の情におぼれる者は、処刑に値する反革命とみなされていた。
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