いつまでできるかな、怒ること
「『今日から野宿してくれ、その代わりあの立派なスポーツジムに通っていいです』って言われても困るでしょ? 福島に立派なものを建てたからお帰りくださいって言われても困るんです」「国は(私たちを)支援すべき人だと思ってるのか、勝手に帰らないわがままな奴らだと考えているのか。はっきり言ってください」―
1月25日、「原発事故子ども・被災者支援法推進自治体議員連盟」ほか主催の、復興庁などとの政府交渉の場で、福島第1原発事故により居住制限区域となった福島県富岡町から会津若松市に避難している古川好子さんは、官僚を前に舌鋒鋭く迫っていた。昨年6月、政府は「復興の加速化」の下、2017年3月で避難指示区域指定の解除、区域外避難者(「自主避難」)の住宅支援の打ち切り、損害賠償の18年3月打ち切りの方針を発表した。交渉で避難者らは、住宅支援や避難指示区域指定の継続を訴えていた。
「自他共に認める闘争体質」と言う古川さんは、これまでも政府交渉などで、「棄民」とも言える政府の意図をズバリと突き、一歩も引かずに迫ってきた。「私は活動家でも何でもないの。自分が困っているから叫んでいるだけ」と笑う古川さん。しかし古川さんのような「強制避難」者と、住宅支援や賠償の程度に差のある「自主避難」者の間の壁を乗り越えたいという思いがある。「政府が差を付けたところをお互いつつき合ってたら、向こうの罠にはまるだけ。我慢できるところはして、5人よりは100人の力で訴えないと。避難指示区域が解除されたら私だって自主避難者だよ」
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ふるかわ よしこ
1963年北海道生まれ。10歳の時に福島県富岡町へ。原発事故避難により、現在は会津若松市の借り上げ住宅に住む。「自分たちは被害者と呼ばれるのに加害者は責任を取っていない」と福島原発告訴の告訴人でもある。趣味は、日々腹が立ったことを書き留めること。