WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

女性と労働を追い続ける

竹信三恵子さん

  • 2015.6.5
  • 聞き手…清水さつき
  • 撮影…宇井眞紀子

竹信三恵子さん

男社会をはねのけ〝女〟の問題へ

 
  • 長く大手新聞社で働き、貧困や女性の労働などの分野を専門に、いくつもの市民運動にも関わる竹信三恵子さん。厳しい意見を柔らかく言うが、激しい議論や修羅場も多々経験しているはず。そんな竹信さんがどうやって作られたのか、そのヒミツを聞いた。
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  • 新聞社に入ったのは、「同一労働同一賃金」の職場だったから。マスコミ志望で、一緒に住んでいた人(後の夫)が取り寄せた就職資料の中から、その年唯一女子を募集した朝日新聞を受けたことが直接的理由だが、間接的には母の影響も大きい。
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  • 和歌山県出身の母は、昭和初期に薬学系の専門学校で学んだ。戦争に突入する1930年代前半に企業の女性研究員の先駆けとして働いたが、敗戦で男たちが社会に戻って失職。自身で薬局を始めた。店に出入りしていた製薬会社の営業員が父となったが、父は早世する。シングルマザーとして、仕事と家事の両立に追われた母は、常日頃、母子家庭が貧しいのは社会の仕組みに問題があるから、と言っていた。
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  • 竹信さんが入社したのは、「国際婦人年」の翌年の76年。その頃から、女性記者も支局に配属された。  配属先の水戸支局では、保育士が待遇改善を求めるストライキを記事にして、要求が通る後押しをしたという、〝成功イメージ〟を得た。ここでテーマは「女性」、と心に決めた。しかし周囲からの評価は低かった。「支局から本社へ異動するとき、『女性はいらない』『政治部に女性記者は時期尚早』『社会部には2人いるから結構』と、主流な部に引っ張ってもらえなかったんですよ」と怒る。深夜勤はないが人気の低い、地方版の見出しを付ける整理部へ。時は男女雇用機会均等法施行前。働く女が歩まされた困難な道を、竹信さんも歩んだ。
  • 続きは本紙で...


    たけのぶ みえこ

    1953年東京都生まれ。ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員兼論説委員。和光大学教員。『ルポ雇用劣化不況』、夫の急死後の日々を綴った『ミボージン日記』『家事労働ハラスメント』(いずれも岩波書店)、『ピケティ入門』(金曜日)など、著書多数。

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