藍からさずかる誇りと喜び
沖縄県北部名護市、濃い緑に覆われる山道をガタゴトと車で抜けたところにオーシッタイ(大湿帯)がある。上山弘子さんはここで「やまあい工房」を営み、25年間、琉球藍を染めている。上山さんが染めだす藍の濃淡は沖縄の海のように繊細な色あいの変化に富み、その奥深さに見飽きることがない。上山さんの爪は藍色に染まっている。
大阪で生まれ育った上山さんは1980年、35歳のときに、夫と4歳の娘とともにオーシッタイに移住した。農業をするためだ。当時はジャングルのようで、電気も電話も通じておらず、住んでいる地元の人は1世帯だけだった。生い茂る亜熱帯の植物を刈り取り、土地をならした。エネルギーは太陽の力と山からいただく薪、それに自家発電機。水は滝つぼから自力で引く。まさに開拓者だが、上山さんは自然の恵みと人間の努力が生みだす生活の充実を感じていた。
「ちっとも苦労とは思わなかったですよ。何もないところを自分たちの力で切り開きたかったのですから」
都会育ちの上山さん一家が移住を決めたのは、当時の名護市基本構想にある「逆格差論」に夫婦で惚れ込んだからだ。経済ではなく、自然や歴史的文化的豊かさこそが本当の豊かさであり、それをやんばるの未来づくりに生かそうという。「すごい! 行政がこんなことを言っている。その担い手になろう」。上山さん一家は循環型の有畜複合農業を始めた。昔からのおじい・おばあの営みだった。牛や鶏を飼い、糞を堆肥にして野菜を育てる。地域の人から会員を募り、野菜セットに便りを添えて週に1、2回配給する。地域自給の拡大だ。みそやしょう油、天然酵母のパンも作った。
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うえやま ひろこ
1945年、大阪府生まれ。両親はウチナーンチュ。80年に名護市の大湿帯に移住、有畜複合農業を始める。93年やまあい工房設立・主宰。1998年から毎年、東京・日本橋の丸善で展示会を開く。故・高木仁三郎さんとも交友があり、2009年、太陽光発電を取り入れた。