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インタビュー

被災地の保健師活動を記録する

菊地頌子さん

  • 2014.03.15
  • 聞き手…岡田真紀
  • 撮影…宇井眞紀子

菊地頌子さん

住民の生命を守る伴走者

 宮城県石巻市、岩手県大槌町、福島県飯舘村…、3・11の被災地を訪ね、保健師たちの声に菊地頌子さんは耳を傾け、震災時の保健師の活動を記録に残し、次代に伝えようとしている。  菊地さんが看護学校卒業ののち保健師教育を受けて勤務した東京都城東保健所がある地域は、1960年代後半、高度経済成長の陰で公害に苦しんでいた。大気汚染のために小学生は黄色いマスクをして通学し、担当した地区は縫製業者が多く、ほこりの中の長時間労働で、結核の発生率も高かった。  菊地さんは保健師活動の中で、障害児の親の会や難病患者の会の活動を積極的に支援した。「病気のことを一番よく知っている当人同士が集まって話をすることで前向きに療養ができて、生活や活動の範囲も広がる。保健師はその交流を保障しなくてはいけない」と考えたのだ。  また、保健師の自主研究会を組織し労働組合の運動にも参加、この中で国の動きや自治体の財政問題など、多くを学ぶことができた。「保健師の仕事は一人ひとりの個人や家族だけでなく、地域の問題や健康を妨げる問題の原因を突き止め、地域や行政に働きかけ、住民のいのちや暮らしを守ること」と言う。  退職後、長野県安曇野市にある「保健婦資料館」の事務局長として、戦前からの保健師活動の記録にも携わり、原爆投下直後に島根から支援に駆けつけた保健婦の活動や、満州での保健婦教育、「開拓保健婦」の活動を掘り起こす作業などもしている。  2011年3月11日、東日本大震災が起きた。阪神・淡路大震災や新潟県中越地震で被災地支援の経験がある菊地さんは、すぐに岩手県の保健師の要請に応えて、住民の安否確認カードや健康相談カードを大量に印刷して、現地に入る人に持たせた。東京で後方支援の事務局となって、現地に入る支援保健師の呼びかけを行い、交通手段や必要な物資などを手配して、保健師を送り込んだ。 続きは本紙で...


きくち うたこ

1943年、栃木県宇都宮市生まれ。1965~2003年、東京都城東保健所、江東区保健所に勤務。NPO法人公衆衛生看護研究所・「保健婦資料館」事務局長。戦前からの保健師に関する資料の収集・記録化・保存・展示・資料の提供などのため、離島も含め全国を歩いている。

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