「ああ、私は存在していたんだ!」
サウジアラビアには映画館が一軒もないという。この国でイスラムの解釈が一気に保守化した1980年代、「下品でみだらな場所」として閉鎖されたきり、今に至っているのだとか。
映画で食べるのは難しい。女性で初めての監督にはことさらだ。比較的開放的な首都でさえ、「女が男に指図する」姿は非難の的になる。抗議の人が集まる前に急いで撮ったり、車内からトランシーバーで指揮したり。初の長編デビュー作『少女は自転車にのって』でも苦労した。それでも自分の国で、自分たちの物語を撮れた解放感は忘れられない。
そもそも映画監督を夢見たわけではない。道は偶然に開かれた。就職した石油会社でメディア部門に転属になったのがきっかけだ。仕事でカメラを回すうち、自分の作品を撮りたくなった。誰にも見られないよう夜明けに撮影して短編を仕上げると、これが中東や欧州の映画祭で評価されることに。
「職場でも家でも顔や体を覆い、いつも自分は見えない存在と感じていた。ところが映画祭に招かれると、観客が私の意見を聞きたがる。ああ、私は存在していたんだ!」。そう実感できたとき、世界が開けた。
『少女は自転車にのって』はいたってシンプルな物語だ。
主人公は、〝CONVERSE〟のスニーカーで学校に通うやんちゃな少女ワシダ。男友達のように自由に風を切って自転車に乗りたいと思う。しかし親にねだると、「女だから駄目」とにべもない。なら、自力でお金を貯めよう。そう決めたときから、少女は少しずつ社会の理不尽に気づいてゆく。
なぜ、父は第2夫人と結婚するの。なぜ、家系図に女は書き込まれないの。なぜ、学校で笑い声を立ててはいけないの。なぜ、好きな男子と一緒にいると宗教警察に連れていかれるの。
カメラはワシダが自転車を手に入れるまでの冒険を追いながら、矛盾に満ちた社会とそこに生きる女性の条件を映しだす。
続きは本紙で...
ハイファ・アル=マンスール
1974年、サウジアラビア生まれ。父は詩人であり法律家。カイロのアメリカン大学卒。初の長編『少女は自転車にのって』(配給 アルバトロス・フィルム)は2014年度アカデミー賞外国語映画賞(サウジアラビア代表)他、世界各地の映画祭で賞に輝く。バーレーン在住。