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インタビュー

『三池』を撮った映像ジャーナリスト

熊谷博子さん

  • 2012.07.25
  • 聞き手…清水さつき
  • 撮影…落合由利子

熊谷博子

生活文化を語っていかないと、ね

 「敷地に足を踏み入れたその瞬間だ。そこで働いていた人の声が、地の底から本当に聞こえたような気がした」  熊谷博子さんの『むかし原発いま炭鉱』(中央公論新社)の一節、福岡県と熊本県にまたがる三井三池炭鉱のひとつ、旧宮原坑での一コマだ。  三池炭鉱は有明海の海底深くまで斜坑が伸びる、巨大な炭鉱だ。1960年、経営合理化による解雇通告をきっかけに、大規模な争議が起きた。当時は毎日のように新聞でも報道されていた。労組側は「一組」・「二組(主流派を裏切ったと言われた労使協調派)」に分裂し運動が激化。そして、63年には、戦後最大の炭塵事故が起き、死者458人、一酸化炭素(CO)中毒患者839人と、多くの被害者家族を生む。97年春に閉山。  2005年、熊谷さんはドキュメンタリー『三池 終わらない炭鉱の物語』を制作。7年の年月を費やし、映画では伝えきれなかった思いを、今年出版した冒頭の本に著す。  映画にも本にも、炭鉱の女たちの運動ぶりが描かれた。母娘代々ヤマに入る姿、炭塵事故によるCO中毒被害者の補償を求め、真っ暗で深い炭坑の底にもぐり6日間もの座り込みをする姿。争議中は給料がないため、全国からの支援金でやりくりする女性たち。炭塵事故の後遺症で日常生活に支障をきたす家族を支える女性たちの姿を、丹念に追う。痛々しく切実で、胸に迫る現実だ。「男たちの運動はイデオロギーの運動でしょ。女たちは生活の問題として動いていた。脱原発の女たちの運動とも重なると思います。生活文化を語っていかないと、ね」  中学生の時、女性新聞記者を主人公にした翻訳ものの職業小説に出合い、わくわくした。  大学生になり、韓国の日本人妻を取材してルポを書く機会を得た。「ちょうど女性史の聞き書きが評判を呼んでいた時代。わたしもやるぞーと。でも、学校のレポートじゃないんだよ、と売り込みに行った出版社でボツにされたのよ。あの経験がなかったら今の私はなかった」 続きは本誌で...


くまがい ひろこ

1951年東京都生まれ。映像ジャーナリスト。75年よりTVディレクターとして、ドキュメンタリー番組の制作を開始、多くの社会問題を追い、その後フリーに。映像作品多数。著書に『「やめたい病」にさようなら』(情報センター出版局)など。モットーは“右手にカメラ 左手にこども”。

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