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インタビュー

在日外国人のサポートをする

井上由巳子さん

  • 2012.04.05
  • 聞き手…じょうづかさえこ
  • 撮影…宮澤響

井上由巳子

静かな反原発・反差別の暮らし

「ふぇみんで紹介してほしい人がいるんだけど」。長年の読者からの依頼で、東京・杉並区の住宅街に住む、井上由巳子さん宅を訪ねた。  電気はほとんど使わず、灯りは太陽の光。暖房なしはもちろん、冷蔵庫もただの箱。「寒くて耐えられなければ図書館に行くし、客人をもてなすときは、電気も使うし。ただの中途半端な人間よ」と、井上さんには何の気負いもない。「だって、何が贅沢で、何が幸せかは、人それぞれでしょ。自分に必要ないものは使わないだけ」。ファクスも携帯も、パソコンもない。  井上さん宅は、いつでも誰でも出入り自由。ひな祭りの日は、ブラジル人、日系人、日本人が区別なく集まり、いろいろな言語が当たり前に飛び交う。  「生活保護を受けている外国人に日本語を教えてきたけれど、20年も日本にいても、日本人の友だちがいない、日本人の家に行ったことがない人が多いんですね。地域とのつながりがなく、ゴミの出し方で怒られ、『国に帰れ』と言われ、ひっそりと暮らしている。でも、そんな彼らと一緒に、津波の被災地に絵手紙を送ることをしたら、表情が変わったんです。人間は、与えることで幸せになれるんですね」  18歳で家族とブラジルに渡った時、ユダヤ人が多い現地校や夜間中学に通い、さまざまな暮らしに触れた。異国の友人たちとの好みや思考の違いに、「1年近く友だちの顔を見るのも嫌だった」経験もあり、日本になじめない外国人の気持ちも分かると言う。  22歳で帰国し、美大を受験しようとしたが、高卒資格がなくて断念。「ブラジルに渡った時は高校3年生で、先生が卒業証書を出してくれると言ったけど、『卒業証書がないとお嫁にいけないから』の言葉にカチンときて断わっちゃったの。おかげで美大に行くより豊かな人生を歩めて本当によかった!」 続きは本誌で...


いのうえ ゆみこ

1941年、台湾生まれ。4歳で帰国し、18~22歳まで父の仕事の関係でブラジルで暮らす。帰国後は、ポルトガル語を教え、その後は、日本語教師や通訳の仕事などを通して、在日外国人のサポートを続ける。

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