WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

97歳の現役フォトジャーナリスト

笹本恒子さん

  • 2011.12.15
  • 聞き手…栗原順子
  • 撮影…落合由利子

笹本恒子

レンズを通して見た1世紀

日本初の女性報道写真家となり、今も現役で活躍する笹本恒子さん。昨年、初めて年齢を公表して写真展を開き、多くのメディアから注目された。今夏はテレビ朝日の「徹子の部屋」に出演。年齢を超えた凛とした姿に魅了された視聴者は多いだろう。以来、取材が殺到している。その笹本さん、実は本紙と深い関わりがあった。  敗戦の翌1946年、笹本さんは疎開していた千葉から東京へ戻り、職を探すため、知り合いの画家の三岸節子さんを訪ねた。当時三岸さんは、佐多稲子さん、松岡洋子さんたちと、3月に創立された「婦人民主クラブ」が発行する「婦人民主新聞」の創刊に協力参加するところだった。   「女たちの手になる女たちの新聞」や「反戦平和」の思想に共感した笹本さんは、三岸さんや、付き合いのあった佐多さんらの推薦を受け、嘱託記者として働き始めた。「当時はカメラを扱える女性がほとんどいなかったから、撮影も記事も書ける私は重宝だったのでしょう」と思い出を語ってくれた。  「長い間の抑圧から立ち上がろうと、誰もが意気軒昂としていた」と笹本さんの目に映った編集局はさぞ活気があったことだろう。新聞づくりに熱くなっていた女たちの意気ごみが笹本さんから伝わってくる。  が、笹本さんは「私は皆が恐ろしくて、いつもおずおずしていました」と笑った。当時の記者は大手新聞社から移ってきたベテランが多く、エリート意識が強い人もいて、笹本さん自身はまわりとの距離を感じながら仕事をしていたという。  嘱託は1年ほどで辞めたが、フリー記者としてしばらく婦民に関わった。佐多さんをはじめ創立当時の婦民のメンバーは、その後、笹本さんの写真集にしばしば登場する。佐多さんの家族とは今も付き合いがある。  「佐多さんはとても気配りのある方でした。気骨がある立派な婦民の先輩たちを本当に尊敬していました」
続きは本誌で...


ささもと つねこ

1914年、東京都生まれ。46年「婦人民主新聞」嘱託記者。2001年に第16回ダイヤモンドレディ賞、11年に第45回吉川英治文化賞、日本写真家協会賞功労賞を受賞。著書に『昭和・あの時・あの人』(ティービーエス・ブリタニカ)ほか多数。

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