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インタビュー

運動マインドの翻訳会社

高橋由さん

  • 2011.11.25
  • 聞き手…清水さつき
  • 撮影…飯田典子

高橋由

「リングァ茶屋」で翻訳と文化を語る

高橋さんが代表を務める「リングァ・ギルド」は、言語の手工業的職人集団という意味で名付けられた。翻訳の他に、ウェブデザインや映像字幕、文字起こしも行う。小さい会社が小回りを利かせて動くことを考え、小規模な依頼者からの小ぶりな仕事も多い。  1960年代から70年代、独裁体制下にあったタイやフィリピン、マレーシアなどのアジア諸国の民衆と連帯・交流を求めてできた市民団体、アジア太平洋資料センター(PARC)。PARCは、日本からの運動を海外に発信するために英文雑誌を発行していた。その翻訳部門がリングァ・ギルドの始まり。  「かつての社会運動には運動で食べていくという考え方があまりなかった。そこで活動家が生活するために共同で翻訳の仕事をとって、運動の財政面を支えることになったんです。今はNPOで働いて食べていく、という選択肢もできたけれど」  83年にPARCから独立、株式会社リングァ・ギルドになった。高橋さんは87年に参加。  当時の社長、山鹿順子さんの考えもあって、会社とはいえ上下の階層がなく、仕事内容がどんなに違っても社内では対等な関係をつくっていた。そして営利目的だけでなく、社会性も求めていた。その信条は今も続く。  いったん離れて92年に戻り、2003年に社長業を引き継いだ。自ら欲したわけでも、先代社長から命令されたわけでもない。次は自分だと分かっていたが、家庭の事情があって拒否していた。  山鹿さんはオレンジ色の丹前に下駄を履いて出社し、すべての責任を負い、仕事をコントロールしていた。「私には山鹿さんのような働き方はできない。自分ひとりで引っ張っていくのは無理ですから。最初からまわりと協働しなくてはと考えていました」  現在は、スタッフそれぞれが個々の仕事の責任者になって、価格交渉をし、翻訳者とのコーディネートをし、請求書も出す。役割を分担するよりも全体に関わるほうが仕事は面白いものだし、命令されて働くのではない、という方針をとる。
続きは本誌で...


たかはし ゆい

1959年東京都生まれ。20代前半をアメリカで過ごし、87年からリングァ・ギルドに参加。一時会社を離れ、スペインやメキシコを放浪する。高3の息子は重度障害者。現在、リングァ・ギルド代表取締役。
http://www.linguaguild.com/

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