親子が安心して暮らせる環境を
携帯電話が頻繁に鳴る。福島はじめ関東地方のお母さんたちからの疎開の問い合わせだ。母子疎開支援ネットワーク「hahako」の木田裕子さんは、勤めている中学の授業が終わると、電話の応対に追われる。
「3・11の東日本大震災以降、自分に何ができるかを考えていました。目にとまったのがインターネット掲示板の、『友人は子どもを西の方に疎開させたけれど、私は知り合いもいない。どうすればいい?』という福島の人の声だったんです」
その問いに対して、「甘えるな」などの否定的なコメントがいくつか続き、木田さんの胸に「しこりができた」。何か書いて励ましたいと思いながらも言葉が浮かばず、できなかった。
「小さな子どもやお腹の赤ちゃんが心配という人は大勢いるのでは。東京は余震が続いて不安定だけど、西にいる自分なら何かできるかもしれない」
母子疎開支援ネットワーク「hahako」のメーリングリストを立ち上げた。2001年の9・11のあとも、こうしてネットワークを作り、アフガン攻撃に疑問を持つ人たちの声を集めたサイトを作った経験がある。
「今回も、一緒にやろうというメンバーがさっと集まって、無償で家を提供する全国・海外からの申し出も、最初の3日で数十件寄せられました」
避難している人も多い被災地に、どうやって情報を届けるかが問題だった。東京のメンバーがコンピューターの情報を紙に印刷して、取材に入るボランティアやジャーナリストに託したり、首都圏に避難してきた被災者たちに配りに行った。各地のメンバーは地元を当たって疎開場所をさがした。
ほどなく、疎開希望者のアクセスが始まった。さらにメルトダウンが報じられてからは、被災地だけではなく関東地方全域から「どこかへ行きたい」お母さん(お父さん)も。
「受け入れ先に、千葉や東京のお母さんも程度は違うけれど同じ不安を抱えていることを話すと、ほとんどが快く引き受けてくれますね」
続きは本誌で...
きだ ゆうこ
1966年三重県四日市市生まれ。
大学卒業後、会社員、米国でのキャンプカウンセラーなどを経て、現在は公立中学校の英語講師。東日本大震災後、母子疎開支援ネットワーク「hahako」を発足。
http://hinanshien.blog.shinobi.jp/