WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

社会を抉る記録映画を撮る

羽田澄子さん

  • 2011.06.05
  • 聞き手:栗原順子
  • 撮 影:落合由利子

羽田澄子

懐かしい旅順に複雑な思いを重ね

記録映画の第一人者で、日本の女性映画監督のパイオニアである羽田澄子さん。最新監督作品の、ドキュメンタリー『遙かなるふるさと‐旅順・大連‐』が間もなく公開される。故郷と呼ぶ旧満州(現・中国東北部)の旅順、大連を訪ね、歴史を見つめた羽田さんのシネエッセーである。  羽田さんは、教師の父親が赴任していた大連で生まれ、途中数年日本で暮らしたが、旅順の小学校と高等女学校を卒業する。その後、東京の自由学園に入学し、軍需工場に動員され空襲を経験。卒業した1945年に家族が住む大連に戻った。  南満州鉄道の中央試験所に勤務していた時に敗戦を迎え、日本に引き揚げるまでの3年近くは、ソ連軍の占領のもと「大連日本人労働組合」で働いた。激動の時代、羽田さんは満州で多感な思春期を過ごし、大人になった。  「旅順は美しく、懐かしい故郷。いつかこの街を作品にしたいと思ってきたのですが、それはかなわない夢でした」  日中が国交回復した後も、旅順は軍港のため外国人は入れず、90年代の一部開放を経て、全面開放は2009年の秋まで待たねばならなかった。  10年6月、「日中児童の友好交流後援会」が、旅順へのツアーを企画していることを知り、同行撮影の許可を得て、念願のロケーションが実現した。  かつて、旅順には多くの日本人がいた。ツアー同行者の多くも旅順で暮らした人たち。作品では、羽田さんや同行者が住んでいた家や通った学校が映され、それぞれの記憶を手繰りながら個人史を追う。それと同時に、日本や、他国に翻弄された街の歴史を見つめていく。  遼東半島の先端にある旅順は日清・日露戦争から太平洋戦争後まで、日本かロシア(ソ連)の支配下に置かれ続けた地だ。日露戦争の記念塔や戦跡がいまだに残されていることに何ともいえない気持ちを抱く。
続きは本誌で...


はねだ すみこ

1926年、旧満州(現中国東北部)大連市生まれ。50年、岩波映画製作所の設立とともに入社。82年からフリー。『嗚呼 満蒙開拓団』(2008年)ほか、各作品で数多くの賞を受賞。『安心して老いるために』(岩波書店)など著書も多数。

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