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インタビュー

「非戦行脚」を31年続ける

菅野静枝さん

  • 2025.11.15
  • 聞き手…栗原順子
  • 撮影…宇井眞紀子

菅野静枝さん

(c)宇井眞紀子

A級戦犯の縁者として向き合う戦争

菅野静枝さんは、夫の一周忌の1994年5月20日、一人で全国の首長と高校等の校長を訪ね、戦争体験を聞きながら非戦を訴える旅に出た。今まで訪ねた自治体は701、学校は106。他に国会議員や、元日本軍「慰安婦」の宋神道さん、沖縄の集団自決を証言した牧師の金城重明さん等、多くの戦争体験者と会話を重ねてきた。

 

東京の下町(現・江東区)に生まれ、45年3月の東京大空襲時は、母親と栃木県に疎開していて被害を免れた。  「母親は空襲の前日に下町にいた。父親は兵隊にとられ、47年1月に抑留先のシベリアから生還した。私は親を失わずにすんだけど、不仲だった父母はそれぞれ家を出ていったことがあったから、親への不信感がありました」

 

弁護士を目指し、高校と予備校に通っていた3年生の冬、父親が若い女性と失踪した。母親と小学生の妹2人と借金が残され、途方にくれ、高収入のキャンペーンガールに応募し、幸運にも選ばれた。その後はタレントになり、一家の生活を支えた。

 

タレント業を辞め、喫茶店で働いていた時、ある男性と出会う。後に夫となる菅野武さんだった。つかず離れずの間柄から、90年10月、武さん62歳、静枝さん49歳の時に結婚。だが、2年半後、夫は病気で帰らぬ人となった。

夫は亡くなる前、意識が朦朧としていたのか「しい(静枝)ちゃん、燃えてきた!逃げて!」「ソ連兵!隠れて!」と叫んだ。45年5月の山手大空襲や、満州でソ連兵侵攻による逃避経験があった夫。実は彼はA級戦犯とされた7人のうち唯一文官として絞首刑となった廣田弘毅元首相の初孫だった。平和交渉に努めた廣田だが、戦争責任については一切弁解しなかった。

 

          続きは本紙で...


すがの しずえ

1940年、東京都生まれ。キャンペーンガール、テレビタレント、遺跡発掘作業員、市場価格調査員、書店役員など様々な仕事に就く。著書に『私の非戦行脚』(学習の友社)『非戦行脚29年 戦前にしないために』(同)。

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