摂食障害、ナンバーワンホステス…

よしだよしこさんのライブを聴いて、ギターと歌のうまさもさることながら、強さと柔らかさが同居する立ち姿に、話を聞いてみたいと思った。
4時間に及んだインタビューの最後に、「とても短くはまとめられないよね」と彼女は言った。
「息子が荒れだしたのが中2のとき。真夜中に『××警察です』って電話が入って引き取りに行った。でも、彼はやるだけやって、たぶん達成感がなかったのね。中3で、ボコボコにされて仲間から抜けました」
家を離れ、博多の音楽専門の高校に進学した彼は、寮でリストカットをする。
「すぐに飛んで行って、息子に全部謝ったの。寂しい思いをさせたことや、私のすべてを。私が彼に甘えてたんです」
高校時代、フォークソング部でギターに明け暮れていたよしこさんは、近所のメンバーで「ピピ&コット」というバンドを結成。テレビのコンテスト番組で優勝し、17歳でデビューした。
「1972年の浅間山荘事件のときは、エレックレコードの事務所でずっとテレビを見ながら、吉田拓郎さんとレコードの梱包作業をしていました」
数年でバンドは解散。ソロ活動を始めたが、22歳のとき、憧れのアメリカへ単身旅立った。
「そこで爆発≠オちゃったのね。パラノイア。隣の人が何考えてるか怖くて…。ギターはずっと持ってたけど弾けなかった。好きな料理をしているときだけが、落ち着けた」
子どものころから、「平和って何? 家さえも平和じゃないのに」「私は何のために生まれてきたの?」「なぜ差別があるんだろう」と考えることが多かったよしこさんは、70年代のフォークソングに出合って「ひょっとしたら、世界って変えられるの!?」と震えたという。
「でも、アメリカでは、その答えは見つからなかった」。米大陸を横断し、1年後に身も心もボロボロになって帰国した。
食べては吐いての暮らしが、それから13年間続く。
「昼間は食べて吐くのが一種の儀式。これをやらないとダメなわけ。だから、仕事はホステスを10年やりました。銀座の店のナンバーワンホステスになって、時給6、7万稼いでたかな。『明日は吐くのをやめよう』『快感だから治したくない』。毎日がその葛藤でした」
月経も10年なかったが、そんな中でまさかの妊娠。
「まわりはみんな反対ですよね。結婚できるわけじゃないし、からだもボロボロだし。でも『この子を産まなかったら、私は人間に戻れない!』って思った」
35歳で出産し、ホステスもやめた。それでも摂食障害は続いていた。
「そんな自分があまりに情けなくて、大先輩の女性に初めて告白したんです。そしたらたった一言、『なんでそんなもったいない! 罰あたりのことをして!』って怒られた。母を知らない私には、母の声みたいでした。そのとき『バキーン!』と本当に音が聞こえて、その夜から食べられるようになったんです。奇跡みたいな話でしょ?」
ホステス時代の蓄えも底をつき、新聞配達、クリーニング屋、ビルの掃除と、生活のために何でもやった。
続きは本紙で・・・