国超えつながれば、まだ希望はある

2001年9月11日。堤未果さんは、ニューヨークの世界金融センタービルにいた。飛行機が隣の世界貿易センタービルに激突したのを、勤務している野村證券のオフィスの壁一面のテレビ映像で知った。2機目が激突したとき、衝撃とともに、ハイヒールを履いていた堤さんは倒れ、同時にテレビ画面は真っ黒になり、緊急警報という文字が点滅した。誰かが「テロだ」と叫び、泣きながら必死で逃げた。
「私はアメリカの物質的な繁栄の時代に留学しました。日本の集団主義に背を向け、アメリカの自由と民主主義を信じていた。国連の職員になって紛争解決の仕事をして…まっすぐに道が見えていたんです」
だが9・11後のアメリカの変化は激しかった。
テレビからは2つの報道しか流れない。煙を上げるタワーの映像と、こぶしをふりあげながら泣く大統領の映像。不安に駆られた人々は銃を買いに走る。やられたら、やり返すしかないとアフガニスタンへの攻撃が始まった。そんな変化は堤さんにはショックだった。アメリカという国に裏切られたと思った。
だが、よくよく考えると、昔からあったアメリカの侵略の歴史を見ないできたのは自分だったと気がついた。
「これまで夢中だった恋人のいやなところが、別れた途端にいっぱい目に付いてきたみたいに(笑い)」
挫折を感じながら、日本に帰国。ちょうど自衛隊の派兵が取りざたされているころだった。イラク人医師や、平和を求める9・11事件の遺族たちの来日集会で通訳をした。彼らは皆日本の憲法9条を評価していた。「なぜ原爆が落とされた後、日本は民族主義に陥らず世界平和のため、過ちを繰り返さないと言えたのか」と。日本はずっと前に戦争にかかわらないと決めたから、自分たちが安全に過ごしてこられたのだと気付いた。
「小学校から高校まで和光学園で過ごし、先生は口を開けば憲法9条。修学旅行も京都に行きたくても長崎と広島で、かえって9条の価値を感じてこなかった。でも、9条のおかげで私たちは守られてきたんだ、尊いものなのだとわかったのです」
続きは本紙で・・・