"神様"なんかじゃない、一緒に生きてる

東京・台東区の山谷にある「ふうせん」は、路上生活を経験してきた女性たちのグループホームだ。現在5人の女性が、角田さんやほかのスタッフとともに生活している。「ふうせん」のベランダにはフウセンカズラが種をつけていた。花言葉である「あなたと共に生きる」という意味と、風船のように軽やかに、自由に形を変えられる、という思いを込めて「ふうせん」と名付けた。
リビングと6つの個室があり、1つは緊急のために空けてある。リビングからテレビの音が漏れ、台所からは夕餉の匂いが漂ってくる。
「ここから飛び出す人もいるけど、迎えに行きますよ。飛び出していくだけ不安だったんだろうな、って。捜すことで距離を埋めていけたらと思う。私って粘着質だから(笑)」
高校生のとき福祉の道に進もうと決めた。20代のころは知的障害のある幼児の通園施設の職員として働き、毎日ボランティア活動をし、朝はテニスで一汗かいてから出勤。ハードな毎日だったが「自分の体が悲鳴を上げていても気付かなかった」という。
29歳のとき黄疸が出て緊急入院。10カ月の入院生活の後、余命10年と宣告される。その1カ月後、30歳の誕生日を迎える。
「命のカウントダウンが始まった。朝日が昇るたび、あぁ生きている日が一日減った、と思う。カーテンを開けられなくなった。生き急いだ結果がこれなのかなって。どう生きるかより、どう死ぬかを考えてた」
いつかくる自分の死を受け入れられず、親友にも話せなかった。その親友も「命のカウントダウン」の状況にあり、ある日、自死を選んだ。
親友の自殺と残された時間が、自分と向き合うことにつながっていく。
そのころから、山谷の週末の炊き出しに参加していた。そして、山谷の人々の自立と解放を目指していた「石瓦礫舎」に出合い、活動にかかわっていく。ホームレスの人が隣にいると、膝がガクガクするくらい「怖い」と感じていた角田さんは、時間をかけて山谷の人々と向き合い、怖いと感じる自分と向き合っていく。
余命宣告から8年後、熱が下がらず、病院に行った。そこで医者から精密検査を勧められ、「余命10年」が誤診だったことがわかった。
「すっごいうれしかったし、ありがたかった…。ぼろぼろ泣いたの覚えてる」
しかし、はたと「これからどうやって生きていこう」と迷いの森に入っていった。山谷の炊き出しにパートタイムでかかわることに違和感を持ち始めていた。でも、答えが出るまで、自分を信じて待ってみようと思った。
5年の歳月がたち、山谷に置き去りにされた石川光子さんと出会う。具合の悪い石川さんを入院させ、夜は傍らで付き添った。角田さんがいると、石川さんは点滴を抜かない。好物のおいなりさんを欲しがってくれる。しかし、2カ月後に石川さんは亡くなる。
「当人にとって心地良いことをしたら、心を開いてくれるんだなって。しんどい思いをしてきた人だからこそ、あたたかい居場所をつくりたいなあと思うようになった」
続きは本紙で・・・