国家や民族より前に私はひとりの人間

「日本は何も変わってないね。女性がお茶を淹れなくなっただけ」。ルティ・ジョスコヴィッツさんは大きな目で私を見た。
ルティさんが『私のなかの「ユダヤ人」』を出したのは1982年。89年に再版したが、20年たっても変わらない世界と日本の状況を見て、昨年に増補新版を出版した。「いい本だからね」。
ルティさんが本を書いたきっかけは、身分を証明するものを失った、つまり無国籍者になってしまったことだった。
日本人と結婚し10年間日本で暮らしてきたルティさんは、80年、法務省に帰化申請した。が「日本社会への同化の程度に疑問がもたれたため」という理由で、帰化を拒絶された。法務省の指導によってフランス国籍を失ったあとだった。「日本はマッチョな国だから、(元)夫の活動に対する間接的な評価だったのでしょ」
「天皇のシステムがあるから、二重国籍を認めないのよ」
日本人の夫との間に2人の子どもがいる。日本の文化にそれなりに同化してきたのに。周囲の勧めで再申請をすると、彼女には監視がつくようになった。
申請を拒否されたのはユダヤ人だったからではない。だがユダヤの人々はこういう思いをしてきたのだろうと感じた。そしてフランス国籍を失い日本への帰化を拒否されたルティさんは自分は何者なのだという問いにぶつかった。
ルティさんのアイデンティティーを求める営みが始まった。パリに住む両親との手紙の往復。世界中のユダヤ人にも「あなたにとって『ユダヤ人』とは何ですか」という手紙を送った。
ルティさんの父、ダビドさんはポーランドのウッジに生まれ、母サビナさんはジショフに生まれた。両方ともユダヤ人が商工業に従事し栄えていた都市だ。両親は39年、それぞれナチスの迫害から逃れてソ連領に入った。その後シベリアの収容所での生活を経て、42年サマルカンドへ逃れ、そこで2人は出会う。結婚後、女の子が生まれた。そのころ、祖父母、叔父叔母、いとこたちはナチスのユダヤ人強制収容所で殺されていた。
戦後、両親と姉はパリへ。その後49年に建国間もないイスラエルに移り、ルティさんは三つ子の一人として生まれた。4歳の時、一家はパリへ戻った。
続きは本紙で・・・