統合教育へ、今が法律を変えるチャンス

弁護士になって2年目、まだ20代だった大谷さんのところに、逮捕者が出たから警察に接見に行ってくれという電話が入った。
「接見大好きだったから、はいはいと会いに行ったの。金井康治さんという養護学校2年生の脳性マヒの男の子が、弟の通う地域の小学校への転校を要求して拒否され、校門の前で自主登校をしていた。そしたらトイレに行きたくなって1・1メートルの高さの門を乗り越えて学校に入ったら、一緒に付き添って入った介護の若者が建造物侵入で逮捕された。だから『大したことないから大丈夫、すぐ出られるわよ』と話してさっさと家に帰ったの。そしたら出られるどころか起訴、その後有罪にされたのよ。それ以来、『大谷恭子の大丈夫は誰も信用しない』って言われてね」(笑)
これが大谷さんと「障害児を普通学校へ」という運動との出合いだった。校門前でテントを設置して闘ったこの自主登校の運動に励まされ、運動は全国に広がった。
東京・王子駅から2分の場所に北区が区のシンボルとして建設した17階建てのビル「北とぴあ」がそびえている。その5、6階に2004年、北区男女共同参画センター「スペースゆう」が、駅から遠くて不便な場所から移転してきた。同センターのコーディネーターだった大谷さんの技だった。
6階にはプラネタリウムのあるコンサートホールがあり、5階には障害者の就労支援事業として「喫茶・友」があるのがユニークだ。どうして男女共同参画センターに障害者の人たちが働く場があるのか、大谷さんの話から疑問が解けた。金井さんの裁判以来、障害者たちとの縁ができ実現したのだ。
アイヌや琉球の人たちが出演するエスニックコンサートや永山子ども基金が主催するコンサートも、この6階ホールで開催された。
エスニックコンサートは、大谷さんが弁護を引き受けた「アイヌ肖像権裁判」の原告だったチカップ美恵子さんの「先住民の音楽祭を開こう」の提案で開催。それが1回で終わらず10年間、大谷さんが仲間とともに続けてきた。
連続ピストル射殺事件を起こし『無知の涙』などの著作を獄中から発表した永山則夫さんの弁護も大谷さんは控訴審からかかわった。1997年に死刑を執行された永山さんは「印税を世界の貧しい子、特にペルーの貧しい子どもたちのために使うこと」という遺言を残した。
遺言どおり、05年までに1500万円を超える印税がペルーの子どもたちに届けられた。その印税はもう底をついたが、支援を中途でやめられない。多くの人の協力を得て、永山さんが処刑された8月の前後に、毎年チャリティーコンサートを開き、その収益から支援を続けている。
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