生徒の前で自分にウソはつけない

去年「ふぇみん」に連載した「停職出勤日記」でもおなじみの根津公子さん。公立中学校の家庭科教員として、一貫して「自分の頭で考える」教育を大事にしてきた。「日の丸・君が代」の強制に対して「不起立」で闘い続け、いま免職の危機にある。
「闘う教員」というイメージが強い根津さんだが、そのまなざしは限りなくやさしい。去年11月出版の『希望は生徒』(影書房)には、根津さんの教育への思いが詰まっている。
「将来は専業主婦になりたい」と思っていた根津さんの人生を変えたのは、短大時代の一冊の本との出会いだった。
「家はみかん農家。両親は早朝から夜遅くまで働き、私は小学生のときから、薪で風呂を炊き、米を研ぎ…と家事を全部担っていました。料理は好きだったけれど、子どもと遊ぶ近所の親の姿はうらやましかった」
親に甘えたことも、忘れ物をしたこともない、まじめで完璧主義の根津さんは、中学3年生で、中央教育審議会が答申した『期待される人間像』が出た時、「私たちは期待されている。日本をしょって立つんだ!と感激した」と笑う。
短大生になった根津さんが、本屋で何気なく手にしたのが、朝鮮と日本の歴史が書かれた一冊の本だった。
「世界が音を立てて崩れていくようでした。私は何も知らなかった。誰も教えてくれなかった!」
侵略戦争の実相を知り、戦争体験のある父親を問い詰めた。「本当のことを知りたい」と本をむさぼり読んだ。女性史研究部の部室に出入りし、男女差別や人権の問題に目を開かれた。
「女性も働かないと、男女平等な社会にならない。私は何をしようか?」
その答えが、教師だった。
「私みたいに何も知らない生徒をつくってはいけない。子どもに本当のことを伝えたい!」
迷わず家庭科を選んだ。
「食べること。男女のこと。平和のこと…。生きる上での原点が詰まっている教科だから」
教員になって9年目の1980年、勤務先の中学校で家庭科の男女共修を実現。全国の中学で共修が始まる13年前だった。
90年に赴任した八王子市立石川中学校でも共修を進め、同時に根津さんのキーワード「自分の頭で考える」授業を工夫した。
「子どもを早く寝かしつけて、夜なべで教材を作りました。大変だったけど、面白かった」
手づくりウインナーから世界を見たり、男性の育児について考えるなどの斬新な授業は、保護者の評判もよく、PTAの学習会にも呼ばれた。「従軍慰安婦」の授業で右翼の嫌がらせが来た時は、校長が「指導要領にあることだから」と抗議を退けた。
「同じ指導要領下なのに、2001年には私の『従軍慰安婦』の授業を攻撃弾圧の材料に使うのだから、怖いですよね」
教育現場は、「何でも話し合って決める」場から、上意下達、反対する者は処分という反民主主義≠フ場へと徐々に変質していった。
東京都は、「処分10回で免職」という驚くべき独自の規定をつくり、根津さんは3月の卒業式で君が代斉唱時に「不起立」すれば解雇という崖っぷちに立たされている。
続きは本紙で・・・