カンボジアでやれることをこれからも

1975年4月から、79年1月までカンボジアを支配した民主カンプチア政権(通称クメール・ルージュ政権または、ポルポト政権)は、100万人以上の国民を死に追いやり、数十万人の難民を出して崩壊した。
その犯罪の清算は、追及されないままに約30年が過ぎた。2006年7月、国際社会とカンボジア政府の協力で、「クメール・ルージュ国際法廷」がようやく始動、3年間で裁判を終了する予定という。
カンボジア在住9年、NGOカンボジア弁護士の会(CDP)のスタッフであり、大学の教師として人権・女性問題を中心に活動している中川さんは「この国は、40歳以上の人は全員、加害者か被害者です。私と一緒に仕事をしている仲間も、お父さん、お母さんが殺されたという人たちが多いですね。国際法廷はカンボジアの人たちが、初めて過去と向き合う貴重な機会です」と喜ぶ。
中川さんをカンボジアに引き寄せたものは何か?
「クメール・ルージュ時代は、私の生まれたころと重なるのです。どうして、ポルポトのような人間がこの国を支配するようになったのか? カンボジアの近・現代史を、ずっと勉強してきました」
大学院1年のとき、外務省の派遣職員としてカンボジアに2年滞在、学業を終えた2001年に再びカンボジアに戻った。いつも原点の「なぜ?」に立ち戻るという。
「05年、アジア女性資料センターがカンボジアツアーで訪問した際に、日本軍『慰安婦』のことを調べたのですが、カンボジアにも被害者はいたということは分かりましたが、すでに亡くなっていました。ポルポト時代にはどうだったのか?とすぐ思いました。いままで、ポルポト政権に関する研究は数多くなされているのに、性犯罪に関する研究がなかったからです」
カンボジア社会は、性犯罪について語ることをタブー視する傾向がある上に、被害者は、すでに殺害されているから記録はないというのが、一般的な理解だったという。
「被害者が全部死んでいるなんてことありえない、被害者が語れない社会なのだ。被害者がいることを調査で証明し、いままで誰も語ってこなかった歴史を記録したいと強く思いました」
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