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出会いの中で歌を育む 寿[kotobuki]
ナビィさん
聞き手じょうづかさえこ
撮 影落合由利子
食と音楽を結びつけたい!
 寿〔kotobuki〕は、ナビィの歌と、ナーグシクヨシミツ(宮城善光)のギター&三線が、まっすぐに心とからだに響いてくる不思議なユニット。すでに結成22年の歴史を持ち、その軌跡をたどった本、『寿〔kotobuki〕魂』が2006年末に出版された。


 子どものころから、エレクトーン、サックス、トロンボーンを演奏し、「将来は音楽家になりたい」と思っていたナビィが寿〔kotobuki〕と出会ったのは、東京の音楽専門学校。学生仲間のバンドに、サックス奏者としてスカウトされた。
 「音楽的には面白くなかったですね。『めざせ、矢沢永吉!』みたいな男ばっかりのロックバンドで、歌詞もピンとこなかったし、すでにあるものをマネしてもつまらないと思っていた。でも、ヨシミツさんのギターは、個性的ですごい!って思った」
 当時のバンドメンバーは、沖縄、広島、長崎の出身者ばかり。そんなメンバーとのかかわりは楽しかったと言う。
 「私は広島県出身ですが、小学生のとき、隣の席になった子が、あっという間に白血病で死んじゃったんです。世の中では『もう戦争は終わった』っていうけど、そんなのウソだ! って思いました。高校生になって『慰安婦』のことや外国人被爆者のことを知り、今度は、原爆で苦しんだ大人たちが、他者への痛みには鈍感なことにショックを受けました。そして、東京に来たら、みんな被爆のことさえ知らない。『なんで8月6日に登校するの?』と平気な顔で聞かれて、『何言ってんだ、コイツは!』と、どこにも自分の居場所がない感じでしたね」
 自分の怒りや思いをどう音楽で表現すればよいのかわからず、「20代は死ぬほど悶々としていた」とナビィは語る。


 ナビィにとって大きな転機になったのは、91年のエストニアでの「ロック・サマー」への出演。ソ連からの独立を願うロックコンサートだった。
 「エレキギターを持っているだけで銃殺されるというすごい弾圧の歴史の中で、無血革命を望む10万人の観衆がひとつになっている! こんな一体感は私の人生で初めてでした。突然、客の乱入を防ぐための金網が邪魔に思えて、思わずステージを駆け降り、『こんなフェンスは要らない』って金網を激しく揺さぶっていた…」
 その1カ月後、エストニアが独立。人々が願いを込めたエストニア国旗がはためくテレビ画面に、涙が止まらなかった。
 「音楽ってすごい! ライブって楽しい!」。それまで、どこかでメジャーデビューに縛られていたナビィが、「感じればいいんだ。互いの感情が向き合えればいいんだ」と、はじけた。
 「いまもずっとあのライブの翌日みたいな感じなんです」


続きは本紙で・・・

ナビィ
 1967年、広島県熊野町生まれ、40歳。「ナビィ」は、ウチナーグチ(沖縄の言葉)で「鍋」の意味。ヨシミツさんのお母さんに沖縄の古い名前を教えてもらってつけた。1歳年上で、広がりのある歌をつくるヨシミツさんは、「だーい好きなお兄ちゃん!」。
http://www.kotobuki-nn.com/

「ごめんください」とは、ふぇみん1面のインタビュー記事です
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