ここは占領下。でも、なに?この幸せ

「私を見て幸せそうって伝わるでしょ?」
ビデオに映る自分をさして森沢典子さんは言った。2003年の春に滞在していた、ヨルダン川西岸地区の都市、ナブルス近郊にあるイラクブリン村での様子が映っている。滞在先の村長さんの家の庭には、レンゲや野生のポピー、レースフラワーが咲き乱れ、森沢さんが村長さんや子どもたちとワイワイ言いながら、花や豆を摘み、時に笑い転げている。次に森沢さんは、自分が撮った写真の束を持ってきて、その一枚一枚について気持ちを込めて話をした。伝統的なパレスチナの人々の暮らしがどんなに美しいか、占領下で何を失ってしまったのか。それでもどうやって人々は日々を紡いでいるのか。パレスチナの人々の心の襞や、土や風の匂いすら表現しながら、森沢さんはこれまで全国200カ所以上の場所でこうやってパレスチナのことを伝え続けてきた。
初めてパレスチナの地を踏んだのは02年3月。とりわけパレスチナに関心があったわけではない。本を数冊読んだ程度。けれど、「はかなく消えていく存在感」だけは伝わってきた。
幼稚園の先生を経て、私塾の講師として子どもたちとかかわっていた01年、同時多発テロが起こる。崩れゆくビルを見た時「パレスチナに行かなきゃ」と直感的に思った。でも「パレスチナ問題」と関連づける人は周りにいない。アフガニスタン攻撃が始まろうとする時、恩師の清水真砂子さん(青山学院女子短大教員)が「パレスチナはどうなるのでしょう?」と言っていた。やっとパレスチナのことを言ってくれる人を見つけた。
「テロに報復するという空気の中、根っこを持たないままフワーっと流されるのは嫌だった。なぜそれが起きたのか。その土地に立って感覚的にわかることを自分の根っこにして、きちんと子どもたちや周りの人たちと話をしたかった」
一人で入ったパレスチナの情勢は悪化していた。折しも、イスラエルが自治区を再占領していた時。それでも海外NGOなどの力を借り、自治区へ入った。帰国後、知人に送ったルポが反響を呼び、書籍出版と全国での講演活動につながった。
02年の夏に再びパレスチナへ。ガザ地区のラファに入り、そこで老人たちに、イスラエル軍に追われて難民になった時の悲惨な話をたくさん聞いた。でも、難民になる前の話を聞くと、皆「そりゃあ、ビューティフル、ビューティフル、ビューティフルライフだったよ」と声をそろえた。この人たちは、何を取り戻したいのか、失ったものは何なのかを知りたい。そのために難民になる前の暮らしが知りたい。以前出会ったイラクブリン村の村長さんに電話をした。返事は「ウェルカム!」
続きは本紙で・・・