楽しい生き方をジャマさせない

2006年、『すみれ日和―職業病も乳がんもパーキンソン病も友達にして』を著した望月さん。最近の「女性ユニオン東京」ホームページに「やりました。南アルプスの女王と呼ばれる仙丈ケ岳に立ちました」とあってびっくり。八王子の自宅にお伺いしたら「どうしても登りたい山として仙丈ケ岳を選んだのは、乳がん手術のとき、執刀医から"スプーンですくったようになりますよ"といわれたから。山肌に、氷河で削りとられた地形カールのある山に親近感を持ったの」ですって。絶句…。
高校を出て小さな会社に就職、今で言うセクシュアルハラスメントを体験した。「経営者は働く者の時間だけでなく精神的なものまで自分の意のままにしたいのです」。32歳のとき富国生命に入社。今までに比べ、労働環境は整い、労働組合もあり、同僚とも打ち解けて楽しーい。「それをジャマするもの、女性差別やセクハラは退けなければ」という思いがだんだん自分の中でポリシーになっていったと言う。
1986年、女性差別をなくす有効な手立てを持たないまま、「男女雇用機会均等法」が見切り発車した。会社側の新人事制度を組合から見せられたとき、望月さんは、「うっそおー」と叫んだ。男女の2本立て賃金差別がそのまま大卒・総合職、高卒・一般職に置き換えられただけだった。組合役員は「均等法に抵触してない」の一点張り。組合の八王子支部は職場集会を開き「反対を表明しよう」となった。役員が「正当な組合活動を逸脱している」とすっ飛んできた。
1年後、元人事課長だった支社長の赴任後から、締めつけが開始された。だんだんと、ものを言わなくなった同僚たち。正当な要求を、さらりと言ってのけ、実行する望月さんが標的になった。業務量は3倍になり、88年、頸肩腕障害に。そのときの労組では職業病責任の追及は無理と思い、全国一般の労組分会を結成、団体交渉に入った。
会社が労災認定も認めず、望月さんを自宅就労という労務管理下に置いていた99年の夏、乳がんを発症した。『すみれ日和』には、患者側から見た体験情報が満載である。なかでもナチュラルキラー細胞(NK細胞)は、がん細胞をやっつけるキーポイントとか。「その細胞が元気でいるにはストレスをなくし、笑って暮らすこと」だそうだ。望月さんは、会いたい人に会い、好きな場所を訪ね、NK細胞に元気になってもらい、困難なときに耐える力を与えてくれる思い出を数えて、手術を乗り切った。その後も思い出づくりに励んでいる。
2000年の春ごろから、静止している右手がかすかに震えていることに気づく。病名が分からぬまま1年が過ぎた。翌年の3月、13年間の職業病闘争を和解終結し退職したが、10月にはパーキンソン病と診断された。乳がんのときと同じように病友と情報を交換、パーキンソン病に向く、と自分で決めてスキーにも挑戦している現在だ。
「徐々に動けなくなることが避けられないのであれば、動ける間に動いておくしかないと覚悟しました」
続きは本紙で・・・