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「憩いの家」の寮母として200人の子どもと暮らした
三好 洋子さん
 
聞き手じょうづかさえこ
撮 影落合 由利子
ひとりぼっちで生きないで
 1967年に東京・世田谷区にボランティアの力で誕生した「憩いの家」は、何らかの理由で家庭にいられなくなった15歳から20歳前後の子どもたちの暮らしの場。現在、全国に約40カ所ある「自立援助ホーム」の先駆け的存在だ。
 その「憩いの家」で、29年間寮母をしてきた、三好洋子さん。200人の子どもたちと寝食を共にした。


 中学生のときに、孤児院を舞台にしたテレビドラマ『記念樹』を見て「孤児院の保母さんになりたい!」と思った三好さん。高校卒業と同時に上京し、無資格のまま、保育園、養護施設で働いた。
 「養護施設の勤務は交代制。この子の話をもっと聞きたいと思っても、時間で区切られてしまう。かかわりきれない思いが自分の中で汚点となってシミのように広がっていきました」
 4年勤めた養護施設を辞め、保母資格を取るための夜間の学校に通い始めた。昼間は、保護司向け雑誌の編集部でアルバイト。その取材先として「憩いの家」と出会い、縁あって、26歳で専従の寮母になった。
 「私が寮母になった77年当時はツッパリ全盛期。門限破りや無断外泊は日常茶飯事、食事を出しても『いらねぇよ!』と吐き捨てる子…。最初は、『指導』『教育』などの言葉でバリケードを築いて自分を守ろうとしたけれど、子どもたちにバリバリと破られる。もうダメと鎧かぶとを手放した時、『自分は自分であればいいんだ』と思えたんです」


 憩いの家には、児童相談所、家裁、少年院、養護施設など、さまざまな所から子どもがやって来る。定員は男女6人。個室がある一軒家で共に暮らし、「働くこと」「3万円の生活費を入れること」「門限は23時」以外は、規則はあえて設けていない。
 「お互いに生身だから、生々しいことはいっぱいあります。感情を殺して死んだ心で付き合ったら子どもに対して失礼。ぶつかって初めてその子の心に触れたり、子どもにけんかで勝って、寮母という権力を感じて一晩じゅう涙がこぼれたり…」
 同じ空気を吸っているから怒れるし、どんなに偉そうに怒っても大人の弱さが丸見えなのがいいところ、と言う。
 「怒りには2種類あって、考えられない、信じられない! という怒りは、ブリブリ怒ればスッキリします。厄介なのは、『赦せない』という怒り。自分の中にも同じ質の問題があって、それを赦していないから、子どものことも赦せない。自分がこんなにも問題人間だったと気づかされてしまったけど、それは出会えた自分の数だった。子どものおかげで、何千回も思春期をやり直させてもらいました」
 家族的ではあっても、自分は彼らの母親ではないと語る三好さん。子どもが見失いかけている自尊感情にノックし続け、いつかは子どもの気持ちを親の元に帰したいと言う。
 「だって、赦せないと思って生きていくことは、あまりにも孤独。生まれてこなければよかったと思って死んでいくことは、あまりに残酷だと思うから」
 三好さんの、子どもたちへの願いは、「自分らしく生きてほしい」「ひとりぼっちで生きないでほしい」。それは自分への願いでもあり、すべての人への願いでもあると言う。




続きは本紙で・・・
みよし ようこ
 1951年、島根県生まれ。現在は、神奈川県川崎市にある「フリースペースたまりば」のスタッフ、「憩いの家」の夜の泊まりスタッフなどをやりつつ、これまでかかわった子どもとの付き合いを続けている。

「ごめんください」とは、ふぇみん1面のインタビュー記事です
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