想像力が物語りを導いていく

©Marian Wood Kolisch
アーシュラ・K・ル=グウィンさんはファンタジーやSF作品でファンを魅了し続けてきた。私も20代から『ゲド戦記』を読み始め、事あるごとに読み返し生きる手掛かりを得てきた。いつかは、と思っていたインタビューを申し込んだところ、eメールでの質問に答える形でなら、と返事をもらった。そうして実現した「ごめんください」番外編をお届けする。
やりとりの原文(英語)は
コチラ
ル=グウィンさんの『ゲド戦記』はアースシーという多島海の世界を舞台に、魔法使いゲドの成長、冒険から始まる。後半は女性の存在が大きくなっていく。1968年に1巻が発表され、2001年に6巻が書かれた。
そこには、ゲドが生まれ、羊飼いとなったゴント島をはじめ、多島海に暮らす人々や草や木、竜などが描かれている。彼女はそうした世界を「創造する」のではなく「発見する」のだという。
「もちろん私はアースシーという世界を創造しているのですが、それでは全知全能の神のように思えます。私が作品を書いているときには決して神ではなく、ひとりの探検家のように感じているのです。私の心は想像力に従って見知らぬ土地に行き、理解し、見つめ、地理学者や植物学者や文化人類学者がするようにノートをつけるのです。それが発見のプロセスなのです」
ル=グウィンさんの父は文化人類学者アルフレッド・クローバー。幼いころ、一家は先住民の「インディアンのおじさん」2人と毎夏を過ごし、そこで自然に彼女は文化相対主義を学んだと語る。肌の黒い魔法使いゲドを書いていたときに、知的で、寡黙で、肌の浅黒い彼らを思い出していたのだろうか。
「いい質問ですね。私はゲドを書いているときに、ジャン・ドロールとロバート・スポットの2人のことを意識的に考えることはしませんでした。でも、あなたの言うことが正しいと思います。彼らはゲドの中に存在していました」
ゲドは『影との戦い』で、若いときの過ちで呼び出してしまった影につきまとわれて苦しみ、最後にはその影と向き合い、影に真の自分の名前「ゲド」と呼びかけ、影もまたゲドの名前を呼びふたつは一体となる。…この物語から生きる上での示唆を得てきた人は多い。たとえば自分が抱えている困難を解決するには、実は自分自身の内側の問題と向き合わねばならないのではないか、と。
『ゲド戦記』は、3巻で完結したと思われていたが、17年後に再び語られ始めた。そこでは囚われの少女だったテナーが、子育ても終え夫を亡くした中年の女性となって再登場する。物語をもう一度語ろうとしたきっかけは何だったのだろう?
「私は第4巻があるべきだと、そこでテナーに起こっていくことを発見していくだろうと予感していました。でも、どう書いたらいいのかを見つけるのに17年かかったのです。
私は男性を物語の中心に据えずに女性を書くことを学ぶ必要がありました。1960年代から70年代のフェミニストの運動から大きな助けを得ました。その助けなしには書き続けることができなかったでしょう。
十分に学んでから、私はアースシーに戻りました。そして、何ひとつ変えずに、完全に違った物の見方ができるようになりました。力の場からではなく、下から、"普通の"女や恐ろしく傷ついた小さな少女の位置から、そう、力なきものの立場から、見ることができるようになったのです。そこから見ると、すべては違って見えたのです!」
中年の女性であるテナーの暮らしぶりからは確かな力を感じさせる。また、魔法の力を失ったゲドとテナーが結ばれていく姿が魅力的だ。
続きは本紙で・・・