民族と出会うきっかけをくれた。

神奈川県川崎市の「ふれあい館」で、毎週水曜日に開かれる「トラヂの会」。チャンゴの練習に通ってくる「ハンメ(おばあさん)」たちがいる。輪になって、両手に持ったバチでチャンゴを叩くハンメたちの顔は真剣そのもの。輪の真ん中で教えているのは、金正姫さんだ。
「ハンメたちが喜んでくれるのがうれしい。チャンゴは私が民族と出会うきっかけをつくってくれたんです」。
彼女のチャンゴや踊りは、飾りっ気がなくて人をなごませる。正姫さんそのもの、という気がする。
生まれ育った大阪では、周囲に在日韓国・朝鮮人の子どもたちが大勢いて、韓国籍を持つ3世の正姫さんも日本人と一緒に教育を受けた。「あたし、在日やねん」「あたしも」と口に出せる気軽さがあった。ところが小学校3年生の時に引っ越した東京では「お母さんが遊んじゃだめと言ったから」と、離れていく友人もいて、自然に出自を隠すようになっていった。
やがて正姫さんはむさぼるように本を読む。なぜ日本に韓国・朝鮮人が住んでいるのか。かつて創氏改名に抵抗し、毒を飲んだ朝鮮人がいたことを知った。もうそんな時代じゃない、堂々と胸を張って生きたいと思った。高校3年の時、思い切って本名を名乗りたいと相談したら、担任の教師はこう言った。"もうすぐ卒業なんだから、みんなを動揺させないでほしい"
「最後の日本史の授業の時、私は手を挙げて聞くつもりでした。先生、創氏改名ってなんですか、と」
だが、手は挙げられなかった。
就職してからも、立ち位置が見いだせず、韓国語が話せない自分にはアイデンティティーを証明するものすらない。そんな正姫さんを変えたのがチャンゴだったのだ。
「1989年に、ある在日の作家の講演会に出かけた時、いきなりドンタクンタとチャンゴを叩きながら出てくる人たちがいるじゃありませんか。それまで私はチャンゴもアリランも好きじゃなかった。なのに自分と同じくらいの年齢の若者たちがすごく幸せそうに叩いてて、じっとしていられなくなって」
私が求めていたのはこれだ!
「チャンゴで民族主義に目覚めて、振り子がバーンと振れるように変わったんです。それからの私って『朝鮮人を苦しめた日本人を糾弾する!』とか『日本人との結婚? そんなの歴史が許さない!』。あ〜、今考えると恥ずかしい(笑)。半面、そのころの自分がいとしくて、しょうがないんですよね」
続きは本紙で・・・