生きづらさの根が労働にあった

"右翼少女"というイメージが強かった雨宮さんだが、軽やかに変化し続けている。平たく言えば「右」から「左」へと転身した雨宮さんは、「変わり続けなきゃ書くことなんてないし、いつだって100パーセントこれだ!って思ってますよ」と話す。
4月30日、東京・新宿で「自由と生存のメーデー07」というデモが開催された。フリーターや非正規雇用の若者を中心に420人が大音響の音楽に身を任せ、練り歩いた。その中に雨宮さんの姿もあった。トレードマークのロリータファッションに身を包み、マイクを手にして「時給を上げろ」「生きさせろ」とシュプレヒコールを先導する。
このサウンドデモは今年で4回目。雨宮さんは、逮捕者も出た去年のサウンドデモに参加し、若者の労働問題に取り組むようになった。
「長く自殺やリストカットの問題にかかわってきて、怒りもあったし、出口がないと思ってた。去年のデモで社会学者の入江公康さんの話を聞いて、自己責任論がいかに人々を追いつめているか、自分の問題と結びついた。条件つきじゃないと生きていることが許されない空気があるでしょう。当事者は自分を責めているから、これは伝えなきゃ、と思った」
就職氷河期世代である雨宮さんのフリーター経験も大きい。それまでにも、自著『自殺のコスト』で過労自殺の取材などを通して、若者の間で不安定なフリーターか、長時間労働の正社員か、という二極化が進んでいることに危機感を持っていた。
雨宮さんは小・中学生でいじめに遭い、学校に行くことがたまらなく苦痛だったが休まなかった。夜中にコンパスの針で手の甲を刺し、声を殺して泣いた。でも親には絶対に言わなかった。制服に靴の跡がついていても、気付いてもらえなかった。
高校に入り、ビジュアル系バンドの破壊的で絶望的な音楽の世界にはまり、自分の気持ちを代弁してくれていると思った。追っかけをするうち、学校に行かなくなり、家にも帰らなくなった。母親は泣き、父親には殴り飛ばされた。
いい成績を取ることでしか愛されなかった。ある夜、カッターで手首を切った。あふれ出る血を見ていると、落ち着いた。それから、頻繁にリストカットをするようになった。
高校を卒業後、美大の受験のため上京したが、全滅。自動的にフリーターとなった。フリーター生活は、「別に私がいなくてもいい」という事実を突きつけられているようだった。リストカットは相変わらず続き、ついにはオーバードーズ(薬物過剰摂取)で胃洗浄も経験した。そして、20歳のとき「地下鉄サリン事件」が起きた。かぶりつくようにオウム報道を追い、興奮した。
「大学も行かず、インテリでない私にとって、オウム事件は社会的な関心を持つきっかけだった。その後小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』なんかをそろえるようになった」
続きは本紙で・・・