第1特集は、「フェミニズムから見た やまゆり園事件とその後の10年」。座談会では、数多くの論評が優生思想等を指摘するも、「母や女性がケアを担わされること」と「ケアワーカーを低く見るまなざし」というジェンダー視点が抜けていることを喝破。また、できないことを「くぼみ」と呼び、ケアの相互応答性を綴った鶴峯まや子のエッセイも沁みる。
第2特集「買春処罰は誰のため?」は、高市首相が買春処罰規定導入の検討会を立ち上げ、歓迎するフェミニストもいる今こそ読みたい。仏ほかの調査では、需要抑制や買春を減らした証明はできず、逆にセックスワーカーの交渉力を弱め、危険にさらすと。特に仏での同規定導入の背景に、反移民政策と結びついた「悪しき買春者=移民」との主張があったことは見逃せない。ワーカーに移民が多く、法執行機関等の国家権力に依拠した「監獄フェミニズム」がワーカーを追い詰める様など、今私たちに必要な視点がぎっしり。(俗)
生き延びたものたちの哀しみを抱いて 軍事化に抗する沖縄のフェミニズム文学
佐喜真彩 著
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- 生き延びたものたちの哀しみを抱いて 軍事化に抗する沖縄のフェミニズム文学
- 佐喜真彩 著
- 勁草書房3600円+10%
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沖縄戦後の女性を取り巻く政治や言説から、沖縄人作家の小説(目取真俊や崎山多美の作品)をフェミニズム視点からつまびらかにした論評。様々な暴力からのサバイバーを「生き延びたもの」と訳したことに著者の意志を感じた。沖縄の家父長制で補強された米国の占領政策は女性たちを分断した。だが女性たちはそんな中からもアジアへの加害をくみ取っていく。フェミニズム運動が、女たちの言葉にならない悲鳴や語られない言葉をすくい上げて、犠牲者を「犠牲化」せず、捉え直す視点を与えたと著者は書く。
朝鮮人「慰安婦」を、沖縄で繰り返された性暴力の連続性の中で捉えた崎山多美の代表作「月や、あらん」から、“悼まれない死者たち”をどう解釈するのか、女性たちや沖縄が周縁化されることへの批判を、展開する。
軍事化される社会で記憶されない他者をどう記憶するか。考えさせられた。(え)
- わたしはどこに
- 片山郷子 著
- 共和国1800円+10%
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詩人・作家の著者は、網膜色素変性症のため65歳頃からの5年間で全盲への道を辿った。本書の前半は失明後のエッセイ。「0.001の視力は残るだろう、と本気であれこれ考えていた」が失明、「真っ暗な中に何十年もいると、わたしは闇に溶けていきそうだ。溶けてわたしはなくなる。わたしはだれになる。手足はどこへいった」。高齢の中途失明者の絶望は、なった人にしかわからない、と言う。
私たちが普段いかに「見ること」で自分の存在を確認しているかを考えさせられる。見えない不安をつづりつつも、しかし巻頭言に「われおもうゆえにわれあり」を掲げたことで、著者の強靭さも伝わってくる。いま著者は、言葉で表現することで自分を確かめている。「全盲者は描写ができない」と評されれば、「形や色の見えない者の文章の選び方」を自覚し「描写」や「状況説明」に挑戦するのだ。
本書の後半には代表作『ガーデナの家族』など2編を収める。忘れ難い短編小説である。(雪)