Subject: [fem-women2000 487] (日本語)BEIJING +5 その後・・・ (by CWGP&WEDO)
From: Miho Takeshita <tmiho@twcu.ac.jp>
Date: Thu, 3 Aug 2000 19:22:25 +0900
Seq: 487

長文、そして雑な翻訳です。
明日からしばらくアクセスしないつもりだったので、
そのへんご勘弁下さい。

REFLECTIONS AFTER BEIJING +5(北京+5その後)
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Center for Women's Global Leadership
Women's Environment and Development Organization (WEDO)

(後半部分)
3)NGOの活動は特定のものだが、ほどほどにまとまりがあり、多種多様だった。
 NGOフォーラム事務局というのが設置されなかったため、特別総会のために動いた
多くのNGOは女性の地位委員会(CSW)年次会合の時のように動かされた。CONGO事務
局はチャーチセンターの部屋全てを国連のためにおさえ、それを要請に従って割り当
てた。DAWは国連内の場所を配分する権利を確保したものの、彼らはそれをCONGO事務
局と調整した。NGOの勝利だったのは、国連の大きなホール(第4会議室)をNGOのた
めに一週間おさえたことだ。その部屋の配分は優先的に、その日に国連文書に影響を
与えたいNGOの日々のイベントのため、午前のブリーフィング、地域別コーカスのた
めに、そして一日の終わりにはリンケージ・コーカスに使われた。その他のイベント
はDAWに決定されていたが、おもにグローバルサウスからのNGOやネットワークのグル
ープに支援されたものが優先的に使用した。
 一方国連とチャーチセンターのNGOのための場所は地位委員会の会合の時はたいて
いゆうに使える状態だったが、北京+5では足りないということが明らかになった。受
け入れ側アメリカ委員会は1999年秋に設立されたが、より多くの活動と施設を、やっ
て来るだろう何千名もの女性たちー特に国連から許可を得ていない人たちーのために
手配しなければならなかった。まず大学の場所を探した。しかし6月は卒業シーズン
でほとんど空いていなかった。米政府は税関(The Custom House)ーニューヨークで
数少ない政府の管理している建物の一つーという理想の解決策ではなく当面唯一の選
択肢である場所を提供した。ここは米国ベースでも非米国ベースのグループでも使え
ることとなった。税関は全てのイベントに適していないことを知って、多くのグルー
プは自分たちのイベントに場所を見付けるか金を払うことになった。国立女性調査機
関/CUNY大学院センターと日本グローバルフォーラムは、それぞれ違う場所を確保し
、主に認可されていないNGOに焦点をあてた活動を並行して行った。
 3〜6月の期間、ニューヨークにいる多くの個人、団体は全ての人に場所とイベント
が提供されるように尽力し、外部から支援を求める多数の要望に応えた。このような
努力はしかし、いつどこから何を求めてどのくらいの女性が来るのか、など確実な情
報がないために非常に困難を伴った。今から考えればむしろNGOフォーラムのために
一つの中央組織が組織や資金調達をしていれば簡単だっただろう。しかし後からなら
何とでも言える。これはおそらく99年3月に女性の地位委員会に集まった世界の女性
NGOの決断でも、国連+5イベントの伝統でもないのだろう。このような決断なしでは
全てのグループは全体像のほんの一部を担っていただけとなっただろう。

4)強力な右翼勢力と交渉を長引かせる勢力のマイナスの影響
 全ての問題がこれらの要因のせいで解決するわけではないが、彼らは全体の雰囲気
にかなり影響を与えていたし、NGOが手に入れた公共の場を利用していた。例えば、
右翼は3月の時点で既に多くのNGOイベントを台無しにしていたので、調整委員会は
NGO作業セッションでは文書についての戦略は議論しないことにした。なぜなら北京
行動綱領の特定の部分に反対する多数のNGOが来るだろうと予測したからだ。今から
考えると、たとえ反対派のNGOがいたとしても、作業セッションが文書化の過程につ
いてもっと基本的で戦略的な情報とトレーニングをもとになされていれば、より有益
だったであろうとおそらく多くの人は思っていることだろう。
 さらに、成果文書をめぐりエンドレスに長引く交渉と後退への脅迫のせいで、多く
のNGOはそのほとんどの時間を文書をおさらいすることに費やしてしまい他のNGOの活
動に参加できなかった。このせいで、国連許可をもち、文書作りに集中していたグル
ープと、特に許可を得られず並行して行われていた活動に関わっていたグループとが
ますます引き離されてしまうことになった。これは世界会議での問題の一つではある
が、ニューヨークではーNGOフォーラムが1週間前から開催されて政府間会議はフォー
ラム後も続いた北京やナイロビとは異なりーNGOイベントと文書交渉日程が完全に重
なっていたのだ。よって多くのグループは、北京で獲得した点すら失うという後退の
危険性の雰囲気の中で、人材と資源を、状況全てを一度に把握することに使ってしま
った。

5)女性NGOは北京行動綱領の実施に向かって闘い続ける
 過ちや欲求不満はあったものの、グローバルな女性の運動はそれでもなお、北京+5
の行程と交渉のなかで広がっていった。女性(と少しの男性)の数は、北京世界女性
会議と同様記録を作った。これは人々の生命/生活と情熱の根源に関わる問題を再び
提示したのである。北京行動綱領は再確認され、政府は再度、責任をもってその実施
にあたることを誓った。われわれが望んだほど多くの特定の目標が設定され、資源が
配分されたわけではなかったが、そこに女性たちが立ち戻り、行動綱領実施のために
働きかけ、次を作ってゆけるような、そして政府が女性に関するあらゆる政策に対し
説明責任を果たさねばならないような確実、具体的な前進があったといえる。重要な
ことは、北京会議は単なる一つの通過点の標識のようなものであるということである
。そして女性は今後、国連と国際システムの多様な役割だけでなく、他の国連会議の
文書、人権条約、女性に関する条約など法的拘束力をもつものをどんどん利用し、そ
れに言及してゆくかなくてはならない。
 北京+5の反省は良い面と悪い面があるが、これが、女性に関係する多くの問題が広
く議論されるという機会をもう一度提供してくれた。このイベントのおかげで、メデ
ィアは地域やグローバルなレベルでの女性問題を放送した。また、国連における関係
当事者としての女性の重要性を示した。ほとんどの政府は行動綱領実施のために何を
行っているかという報告書を作り、多くの女性たちはオルタナティブ報告書作成や他
の方法を通じて何がなされるべきかという議論に参加した。女性たちはその場を利用
して、文化、人種、性、国籍、その他の境界線を越えてネットワークを作り戦略を共
有した。国連世界会議のようなイベントやその他の戦略を利用して女性のエンパワメ
ントと人権を世界のアジェンダにのせたのは、他ならぬ女性なのである。今回の会議
は、女性たちがもう一度、決意とリーダーシップをここで表明し、あらゆる多様性の
下で全ての女性に、正義とあらゆる人権を確認するために働こうというためのものだ
ったのだ。
(以上)
翻訳、文責:竹下美穂

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    Miho TAKESHITA
Department of Communication
Tokyo Woman's Christian University
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